(緋村剣心)剣心の兄弟設定














 夜狐














冷たい廊下だな、とふと思う。


温度ももちろんそうだが雰囲気が特に。


綺麗な板目は遠くへとまっすぐ伸びているのに影が落ちているせいで


奥のほうにいくにつれて肉眼では捕らえずらくなっていく。


草履、足袋越しにひんやりとした温度さえ伝わってきそうで


は狐の面越しに木枠の外……満月が怪しげな色で光っているのを見つめた。


月は、好きだ。


心が落ち着く。


例えどんなに地上が汚物で汚れていたって、


上を見上げれば何事もなかったようにいつもそこにいて


救われる気さえするから。自分に向かって微笑んでくれてる気がするから。


まぁ、あくまで気のせいなんだろうけど。




ダンダンダン、と複数の足音が今まで静かだった廊下になった。


2人…いや、子供がもう一人で3人か。


雲の隙間から月が現れて、木枠の隙間から月光が差し込んで


影のかかった廊下に人影を映し出す。やっぱり三人。間違いはない。


すっと鼻腔を懐かしい香りがくすぐる。


久しぶりすぎて、忘れてしまったかとばかり思っていたけど、


案外なじみ親しんだにおいというのは何年たっても忘れないものらしい。


現に今現在。10年ぶりほどになるであろう人物の匂いに


は面の中で薄く微笑んだ。あーあ。こんな形でなんか会いたくなかったのに。


悪態のひとつだってつきたくなる。




……」




荒々しかった足音はひとつがとまるとどうじにいずれ消えた。


やはり一番初めに足を止めたのは彼。10年ぶりに会う人物。


自分の姿を、狐の面を、気配すべてに意識を集中させて


驚きをこめた一声をあげた。なんだ。覚えてたの。忘れてたら拳骨だったのに。ちぇ。


その次に足を止めた法被姿の長身の男が「何だ知り合いか」と間抜けな声で問う。


それに答えない。いや、答えられない懐かしの人。


だから変わりに答えてあげよう。




「久しぶりだね、剣兄」


「やはり…」


「…!剣兄って!おい剣心!?」




剣兄。そう、懐かしの人。緋村剣心。義兄。


仮面の下で無表情を貫き通しながらは明るい声色で続ける。




「ここにたどり着いたってことは般若さんが負けちゃったのか…メズラシ」


「……


「絶対に来ないって決め込んでたのに、剣兄が来ちゃうか…ホントやりずらいなぁ」


「…


「ま、お仕事引き受けたからにはしょうがないけどね」


「  」


「――何?義妹のオレになんの断りもいれずに10年間放浪していた剣兄さん」




噛み合いを持たない会話。一方的に話すだけの


軽々しい口調で話しているものの、剣心だけでなく、左之助や弥彦にだってわかる。


肌で感じる威圧。とぐろ巻いた感情。怒り、悲しみ、悔しさ、寂しさ、様々な感情。


狐の面が表情を隠しているから見えない。


けれども剣心には手に取るようにわかる。


寂しい思いをさせていたのだと。そして。




「ここを通してはくれないか」


「じゃあオレを殺せば?」


「拙者はもう人は殺さぬよ」


「じゃあ両手足折っちゃえば、それで簡単に動けなくなるよ?」


「いや、手を上げる気も毛頭ない」


「我侭だね。でもオレはどかない」


「――毒薬の話を聞きつけてここに来たのでござろう?」


「…」




だったら?


と、しばらくの沈黙の後が答える。声色が変わった。


左之助や弥彦はただただ目の前で繰り広げられている


次元を超えた兄弟喧嘩をただ見守ることしかできないでいた。


何より、の放つ威圧に圧倒されていた。


生唾を飲み込むだけでも躊躇われる殺気。


埒が明かないと察したのかはゆっくり少し短めの刀を抜き、


一線床に向かって振り払う。ピチャリという水音。剣心にはそれが何かわかった。


毒だ。


生まれつき命を狙われるがとった最も少ない力で済む攻撃法。


医学知識の豊富なのことだ。


おそらく痺れや痙攣程度の軽いものであろうが、


ひとつでも傷を負ったものならこの先に監禁されている


恵を助けに行けなくなるほどのものであるくらい剣心には見当がついていた。


攻撃は浴びられない。




「そこ、オレの間合いね。ま、わかってんだろうけど。入ってきたら――切るから」




空気の重み。


後の見覚えのある抜刀術の構え。


呼吸までも読み取られている。まるで無心。


剣心は静かにをみた。


射るように、だが敵意はない。


そして刀の柄に一切触れることはせず無防備なまま一歩歩み寄った。


後ろから安否を気遣う二人の声に微笑みを返して。


一歩。


また一歩。


少しずつ距離が縮まる。


は微動だにしない。




「顔を見たら決意が揺らぎそうで、迷いが出そうで言えなかった」




一歩。


また一歩。


空気が張り詰める。




「けど」




最後の一歩。


これで、指定した一線を越える。


剣心は穏やかに、諭すように言った。


そして覚悟したように眼を閉じた。




なら――待っててくれると信じてたでござるよ」




ぴちゃり。


水音。


後の、静けさ。


廊下の冷たさ。


時間にしてわずか数秒ほど。


次に聞こえてきたのはが構えをといたときに聞こえた布ずれの音。


はすっと壁側に身を寄せて道をあけた。




「この奥に、恵って人いるから」


「かたじけない」


「…オレは般若さんの手当てしてから行く」


「ああ」


「後これ、見てて痛いから…」




顔は一切向けずに手だけ差し伸べた。


小さい巾着の中に合わせ貝の薬入れ。おそらく血止め。


彼女が調合したものだろう。


剣心は急に口数が少なくなったの頭に手をポンとやると


二人を引き連れ走り出した。


再びあの静けさがやってくる。




冷たい廊下だな、とふと思う。


温度ももちろんそうだが雰囲気が特に。


綺麗な板目は遠くへとまっすぐ伸びているのに影が落ちているせいで


奥のほうにいくにつれて肉眼では捕らえずらくなっていく。


草履、足袋越しにひんやりとした温度さえ伝わってきそうで


は狐の面越しに木枠の外……満月が怪しげな色で光っているのを見つめた。


そして、触られた頭に手をやって壁に身を寄せた。


狐の面を少しずらすと、たまっていた涙を袖で拭った。




「バカ兄」














(ずるい、ずるい。いつだって兄さんはずるいよ。) inserted by FC2 system