(2021/05/25)









 雨だれ









、と耳触りのいい音が響いた。



少し前はすらりと伸びた枝から新芽がのぞいていたというのに、季節はすっかり梅雨に差し掛かっていた。

今年はどうやら例年よりも早く梅雨を迎えたらしい。

お日様の香りをめいいっぱいに吸い込んだ洗濯物が、この時期だけは生乾きの近いそれに代わるのだけはいただけないが雨は嫌いじゃなかった。

むしろどちらかというと好きな方だと思う。

屋根を優しく鳴らす雨粒の音はメトロノームのように自分の気の持ちようを整えてくれたし、激しく叩きつける音もまた私のやり場のない感情を洗い流してくれた。

ちらり、と彼を一瞥する。

なんだよ。

縁側で一人日向ぼっこならぬ、雨だれぼっこを楽しんでいたというのに。

不愛想に返事もせずに目線だけ彼に向けてやると、彼は今の自分の気持ちすらも見透かしたように薄く笑い許可もなく隣に腰を下ろした。


「風邪をひくでござる」

「そんなやわじゃないでござる」

「…しかもそんな薄着で」

「平気だよ。これでもあの師匠の下、無事に過ごせてたから」

「説得力があるでござるな…」


でしょ、とにやりと笑い掛けると剣心は肩の力を抜いてようやく昔のように頬を緩めた。

剣兄はいつだって自分を世界で一番愛おしむような視線をくれる。

それが恥ずかしくて、守られてるのが情けなくて、少しでも力になりたくて、一緒に横に並びたくって突っぱねてしまっていたあの頃が懐かしい。

素直に愛情を受け入れられるほど余裕がなかった、というのがここだけの本音。


4歳の時、名づけ親がコロリで死んだ。

兄と共に身売りに出され運ばれる道中で野党に襲われ、わずかな時間を過ごした人たちもすべて失った。

片時も離さなかった兄の手に必死にしがみ付いたあの日から。

この手だけは失いたくないと強く願った。

共に生きようと必死だった。


「ほら」

「…わざわざいいのに」

「体を冷やすとよくないだろう」


剣兄はまたしても自分が何か言う前に腕にかけていた羽織を自身の肩に落とした。

有無を言わさずやってしまうところが彼らしい。


「兄として見過ごせないでござるよ」

「…」


文句の一つや二つでも続けてやろうかと思ったのに。

彼はまたあの優しい目で諭すように見てくれるもんだから思わず言葉を飲み込んでしまった。

虫の居所が悪くなって視線を再び庭に戻す。

東の空がいくらか明るくなってきた。

これだと夕時にはすっかり雨も上がってくれるだろう。

しとしとと降り続ける雨粒の音の合間を縫うように、剣心はぽつりと言った。


「ありがとう」


不思議と雨音をかき分けるようにして耳に届く。


「――何が、と言おうとしただろう」

「…」

「それと、ずるい、と」

「…10年間連絡の一つもよこさなかった口に言われてもねぇ」

「…」

「って言ったら意地悪?」


いや、と剣兄はすぐさま首を横に振った。

生暖かい湿気に纏われる。

気持ちごと重くなってしまわないのは10年前と同じ時間の流れが今も流れているから。

空白の時間はただ寂しくて、苦しくて、辛いだけだったのに。

いざこうして言葉を交わしてみると、自然体の時間が続いていて安堵した。


は昔から試すように嘘をつくきらいがある」

「まぁ、否定はしない」

「それが本心か否かくらい、拙者にはお見通しでござるよ」


汗ばんで張り付いた兄と同じ色の前髪を指ではらう。

視界がいくらか明るくなって空へと視線を持ち上げると、分厚い雲の割れ目から光が指してきていた。

この調子だとあと数刻もすれば傘も持たずに出かけることが出来るようになるだろう。


「じゃあ当ててみせてよ。オレが今から言うことが本心か、そうじゃないか」


それだけ前置きをしては羽織を落とさないように腰を持ち上げると、彼に背を向け吐き捨てるように言う。


「心の広ーーーいちゃんは桜餅一つで今までの事を帳消しにしてやろうって気分みたいだけど、今も昔も優しい兄さんはきっとなんだかんだそんな我儘聞いてくれたりするんだろうなぁ」


振り返るとやれやれと呆れながらも立ち上がる姿に、堪えきれずにふき出してしまった。














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