(2019.12.01)









 林檎









「あらら?」


この何年かで口癖とまでなった言葉を呟くとは目の前の状況を見つめ、小首をかしげた。

見つめる、と言ったが特別な事情により彼女の視界は黒い帯で覆われているせいでほとんど光りを通さないはずだ。

それでも目の前に広がる死屍累々とした状況に彼女の反応は適しており、は深く考えるよりも先に適当な紐で袖を縛って中へと入っていった。


「これと、それからこれ剥けばいいのー?」

「いけません、様。これは私たちが」

「へーきへーき。これ終わったらすぐに戻るからさぁ」

「ですが…」

「ふふー。そう言うと思っておねね様にはもう言づけしてるからだいじょーぶだよ。それに困った時はお互い様でしょ?」


そう言って口元だけは微笑み返すと、その手はしっかりとリンゴを捕らえ、適当な包丁でしゃっしゃと皮をむき始めた。

五感の中でも大部分の情報量を占めるはずの視野が塞がれているはずなのに、は屋敷の中を転ぶこともなければ、よろけることもなく何不自由なく過ごしている。

なんなら筆を持ち文を書くこともあれば、こうやって調理の真似事をしたり、時には遠征から帰還した兵たちの救護に当たったりと人並み以上の仕事をやってのけた。

彼女自身のポテンシャルの高さは言うまでもなかったが、それでも何故目隠しを行うのかというと彼女曰く「見え過ぎっちゃって疲れるんだよねぇ」との解。

彼女に目隠しの事を問えば、その眼隠し布にも仕掛けがあり、うっすらと透けて見えるという事まで丁寧に教えてくれた。

よって、日中彼女の目を見たものは少ない。

彼女の目を見たものは石になる、という噂が飛び交った時期もあったくらいだ。


「助かりました、様。あのなんてお礼を申し上げたらよいか」

「いーのいーの。いつも美味しいお料理作ってくれるお礼って事で」


桶いっぱいのリンゴを剥き終わったは手の水分を適当な手ぬぐいに吸わせると何事もなかったかのように去る。

人が困った時に困ったタイミングで駆けつける。

目隠しという個性はあれど彼女が受け入れられている理由は彼女の持つ気さくな雰囲気と細かい気配りにあるようだった。




 +




「あらら!半兵衛様だ」


お迎え行きたかったのにー、と口ではそう言いながらもはにこにことご機嫌にしている。

それとは対極に、ただいま、と返しつつもつまらなさそうに口を尖らせる半兵衛。


「やーっぱりバレたか。ちゃんと気配消せてたと思ったのに」

「ふふー、気配を消すならもうひとつ前の角からじゃないと流石に分かるよぉ」

「それわかるのくらいじゃない?」

「そう?んーでも、半兵衛様はお日様の匂いですぐにわかるしなぁ」

「おっかしいなぁ、今日は昼寝してないはずなんだけど」


遠征帰り。

久しぶりに顔を合わすのだから驚かせようと思っていたのに、と彼は不服そうだった。

は今まで熱心にしていた作業の手を止めると、改めて半兵衛に向き直った。


「ご無事で何よりです、半兵衛様!」

「俺にかかれば当然だって。の方は変わりなかった?」

「うん、お陰様です」

「…何だか甘い匂いがするのは気のせい、じゃないよね?」

「あ、さっきリンゴを剥いたからその時かも」

「もしかして、の事?厨房の危機を救った救世主って話」


大袈裟な話になってるー、とはまるで他人事のように笑う。

だって決して暇ではないはずなのに、痒い所に手が届くとはまさに彼女の事でどこからともなく現れて手を貸してくるのだから悪い噂など秒で消える程だった。

ましてや今回駆けつけたというのは限られたものしか立ち入ることのない厨房。

彼女のどこに一体目がついているのか不思議でしょうがない。


「ときに半兵衛様」

「え、何急に改まっちゃって」

「怪我、してるでしょ」

「…」

「それもまだ新しい」

「ほんっと、は俺の事なんでもわかっちゃうなぁ。さっすがー」


手当もしてもらっているはず、今までの動きの中で不審な点もなかったはず。

それなのに彼女はそれを見抜き、人差し指で服の上からその個所を指さした。

目の前の天才軍師様は見つかることも予想済みだったのかいつもの調子でとぼける。


「その調子だとちゃーんと処置してもらってるみたいだからちょっと安心」

「うん、もう平気。痛くもなんともない。むしろに言われて思い出したくらい」

「ホントー?」

「ホント。心配ありがとう」


膝の上でぎゅっと結ばれた片方の手を引くと、はいとも簡単に半兵衛の胸の中になだれ込んだ。

「んんっ」とその時小さな悲鳴をこぼす彼女に笑みを落とす。

それすらも包み込んで無事を伝えるように腕に力を込めると、やはり彼女からは甘いリンゴの香りがした。


、これ外していい?」

「えー恥ずかしいなぁ」

「目を見て言いたい。だめ?」

「…んん」


先程も述べたが彼女は「見えすぎて疲れるから」と日中ほとんど覆いを外すことはない。

親しい間柄の半兵衛にさえも素顔を晒してくれるようになるまでいくらかの時間が掛かった程。

彼女が小さく頷くと綺麗な黒髪を撫でるようにして後ろの結び目を解く。

しゅるり、と膝元に落ちていくそれを見送ったは見上げるように半兵衛を目に映した。


(綺麗)


一瞬、溢れるほどの光が眩く感じたのかぐっと目を凝らす。

それが段々に慣れて行って、双方の瞳は迷うことなく目の前の一人の男を真っすぐに射抜いた。

言われてみればやや色素の薄い褐色の瞳。

半兵衛の腕をつかむの手に力が入る。

怖いのだろう。

彼女の眼は不要なものまで映してしまうから。

だからこそ、絶対に嘘はつかなかった。


「俺が留守の間もたくさん頑張ってたって聞いたよ。流石、

「ここの人みーんな優しいんだもん。私も出来る事しなくっちゃ」

「そんな頑張り屋のにご褒美をあげなきゃね」

「ご褒美!?わーい!…でも、半兵衛様もお疲れなんじゃないの?」

「俺はを甘やかすのが心と体の休息なの。それに、俺はこうやってを独占出来て癒し補給してるし」

「ふふ、なにそれ」

「お、その表情も大好物」


そう言うと流石に恥ずかしかったのか目をそらそうとするのを顎を捕まえて「だーめ」と逃がさない。

素直にじぃっと見上げたままの彼女に流石に我慢が出来なくなった半兵衛は彼女の唇に自分のものを押し当てた。

人気はない事をいいことに好き放題。

久しぶりの長期の遠征だったのだからこれくらいは許されたいところ。


「今でさえ幸せなのに、これ以上願ったりなんかしたら罰が当たりそうだなぁ」

「……」

「半兵衛さ、」


続きは喉の奥に呑み込まれる。

背中に腕が回され、耳元からは盛大な溜息と共に「それはずるいって」なんて声がこぼれた。

勿論半兵衛のもの。

文字通り骨抜きにされたように彼女にほの字なのは火を見るより明らかだった。

他の武将の前や軍事では決して見せられないゆるゆるな表情をしているんだろうと半兵衛は思った。

それほどに目の前の彼女が愛しくてたまらなかった。


「罰なんて当たらないし、俺がさせない。甘えられるのって男としては本望だよ。どんと来いって感じ」

「そうなの?半兵衛様ったら甘やかし上手だから駄目になっちゃいそう」

「まったそんな嬉しい事言ってくれるんだから。よし決めた、今日はドロドロに甘やかすから覚悟してね」


ぽっと頬が赤く染まる

ほんの少しの抵抗の意味も込めて「ばーか」と呟いたその言葉さえ可愛いと思ってしまうだなんて、本当に病気だなと思う半兵衛であった。














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