(2021.05.25)(過去拍手掲載夢)

「真冬の恋7題」--冷たくて、暖かいあの季節がやってくる--

  ―― 素敵お題配布 「確かに恋だった」様









 この熱は消えぬまま








「一服いかがですか」


体の芯から冷える様な寒い夜だった。

がおずおずと戸を開け部屋の主に声を掛けると、彼はかなり集中しているのか目線を書物から外すことなく「そこに置いておいて」と言葉を返した。

そこ、に特定の場所の指定はなかったが、がふと見た“そこ”の場所には数刻前に置かれた湯呑が一つ。

体を冷やさないようにと熱々で煎れていたはずなのに、手に取ったそれは内容量は変わらないまましっかり冷え切っていた。


「半兵衛様」


喉を震わせて音を届ける。

その音にはいくらか心配が上乗せされた。

無心で筆をすべらせる彼の手が一瞬止まったが、間もなくて再び動き出す。

やがて二人の間に沈黙が流れた。

ろうそくの光がちろちろと揺れて部屋を灯す。

戸のすぐそばでちょこんと正座をしたまま、は静かに半兵衛の背中を見つめ続けた。


そもそも自宅に仕事を持ち帰ることの方が珍しい彼。

流石、秀才。

生まれながらに才能にあふれたお方。

今孔明とは彼の事。

サボり癖があり、気が付けば官兵衛の目を盗んで昼寝しているような彼だが、頭のキレは天下一だった。

そんな彼が今、他の誘惑にも目を向けずに目の前の残務に勤しんで丸3日。

仮眠と軽食はどうにかこうにかとっているようだが、それでもまともな休息はとれていないだろう。


(今日は特によく冷える。風邪をひかれないといいけど)


羽織のすそをきゅっと握って冷たくなりつつある指先をきつく握りしめた。

間もなく日をまたぎ、夜もさらに深くなる時間帯。

普段であればすでに床に入り、よほどのことがないと目覚めることもない時間だった。

今となってはそれが普通になってしまったが、ふと油断した時に思い出すのは暗部時代の記憶の片割れ。

闇に身を置き、闇に生きる。

そうしてこれまで何人もの人を手にかけてきた。

指先をなぞると、今でもその時の名残である肉刺や切り傷が残っている。

決して年相応の綺麗なものではないそれ。

ちらり、と縋るように仕事に夢中な半兵衛の背中を見やると、夜の寂しさも相まって虚無感が胸に広がって溶けた。




「…はい」

「ここは冷えるから部屋に戻ってて」

「…」


彼は手を止めずに、決して振り返ることなくそう言った。

まるで突き放すような言葉。

自分の身を案じて言ってくれている…そうわかってはいてもどうしても寂しさが立ち込めて仕方がなかった。

今までだったらこんな言葉慣れっこだったのに。

背中の戸の隙間から吹き込んだ冷たい風に身を震わせる。

寂しさで体が凍えてしまいそうだった。

ここにいたところで自分が役に立てることは何もない。

それどころか彼の気が散って作業に後れを生じさせたらそれこそ本末転倒ではないか。


「わか、りました。失礼します」


なんとか、言った。

言えた。

は手をつき会釈をすると、身を翻して戸に手をかける。

その時、背中で人が動く気配がして、身を強張らせた。


「…っ」


元暗部であるが簡単にその背後を取られる。

その人物とは他でもない半兵衛。

を背中から包み込むようにきつく抱きしめると、耳元に口を寄せてただ一言呟いた。


「 すぐ行く。部屋で待ってて 」


言うや否や、背中の熱がすっと遠のいた。

振り返る事すら許されぬまま、は縁側へと踏み出す。

止まっていた肺に、どうにか酸素を送り込む。

そうしてふぅっと長く細く息を吐きだすと、白くなって夜空に消えた。


体が熱を覚えている。

その頃には、不思議とあれだけ胸を支配していた淋しさはどこにも見当たらなくなっていた。














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