(2019.12.03)
安堵
「あらあら、今日のお茶もまた格段に良き味ですなぁ」
縁側に座って庭の景観を見ながらなんとも年寄りくさい台詞を履いている人物は。
竹中半兵衛の想い人であり、元気なのんびり天然っ子かと思いきや意外と多芸で身の回りの事だけでなく、ちょっとした読み書きや薬の知識まであるから驚きだ。
特に縫物、組紐作りといった「糸」を扱わせたら見た目に似合わず天下一品の腕。
一見幼げに見せる物言いや振る舞いはいわば相手の懐に入るためのカモフラージュのようなもので、おっとりとしているのに隙の無い彼女の人間関係は浅く、広くといったものが多い。
当たり障りなく、適当な距離で、物言いで、相手の懐にいつでも踏み込める彼女は、ここへやってきて数年で彼女なりのネットワークを構築していた。
相手を知る、という事は己の手の内を差し出すという事。
彼女がこの屋敷の色々な人物の事を把握しているように、彼らもまた、彼女を見守る「目」となった。
それが意外な場面で活躍を生むことになる。
…こんな風に。
「おっかしいなぁ!職務中に倒れて早退した人は今頃、布団で横になってるって聞いてたのになぁ」
「うんうん、そうなのぉ。でもちょーっと退屈になっちゃったから、今は休憩の休憩中!」
「…こっちは居てもたってもいられなくって早急に仕事片付けてきたんだけど?」
「あらあら、流石天才軍師様、大変ご苦労様です。あっ!半兵衛様も一服どうで――んぐ!」
「はーい、休憩おしまい。病人は寝てくださーい」
床に臥せているかと思いきや、布団の上に彼女の姿はいくら目を凝らしても見えることはなく、悪い予感がして縁側を覗けば薄着で茶をすする彼女の後姿。
そんな姿を捕らえた半兵衛の形相は凄みのあるものであったが、そんなこと知ってか知らずか(間違いなく気配には気付いていたであろうが)は悪びれた様子もなく“休憩の休憩”を続行しようとするから質が悪い。
問答無用で半兵衛は彼女の着物の襟をつかむとずるずると引っ張り、ぽいっと我儘ちゃんを布団に放り投げる。
「病人に対する扱いじゃないってばぁ」
と非難も飛ぶが無視だ、無視。
半兵衛はしっかりと掛け布団までかけてやると、ようやく観念したを見下ろして額に自身の手を重ねて置いた。
(熱い…)
物言いや振る舞いからは一見そうとは見えないが確かに彼女の額は自分の体温を上回るものだった。
それも、中々に高いもの。
咳などの風邪の症状はここ数日見ていないから、きっと過労の類だと思わせるが、彼女自身けろりとしているから気付くのが遅れてしまった。
(俺が知らぬ顔なら、は何食わぬ顔って奴か)
否、それなりのサインは前から出ていたのかもしれないが、それを見落とすほどの多忙。
それを言い訳にしていいわけでは勿論ないが、こういう時彼女もそれを見越して多忙な彼に余計な気を掛けないようにするから、もうお手上げ。
普段から活発な彼女は、ちょっと頬が赤いからって言動に異変がなければ“いつもより機嫌がいい”くらいにしか思われないのだ。
それに、彼女には隠すアイテムとしてその両目を覆う眼帯がある。
「はさぁ、ちょっとは気を抜くことを覚えてもいいと思うけどねぇ」
「結構いつもだるんだるんじゃない?」
「自覚あるんだ。そうじゃなくて…ちょっとは弱みを見せてもいいよって事」
「んん…」
「俺だけの特権ってのは喜ばしいんだけど、ね」
額にかかった前髪を払ってやる。
最初はいくらかちゃんと横になっていたのだろう、日中欠かさず付けている眼帯は外されており、その瞳はよくみると熱のせいかとろりとしていた。
目は口程に物を言うというが、彼女はそれを人に見せたがらない。
見舞いに来たのが半兵衛でなければ眼帯装着したまま取り繕いを続行し、一緒に茶でもすすっていたかもしれない。
それが容易に想像できるから、他の来客を断り持ち前のものをすべて終わらせることとなった。
「半兵衛様の手、冷たいねぇ」
「…」
自分が熱い、と感じるという事は相手からは冷たいと感じるという事。
先程までの天真爛漫さはどこへ消えてしまったのか、まるで熱に溶けていくかのように彼女の全身から力が抜けていった。
この数年で蓄積していった信頼、安心感がそうさせるのだと半兵衛は自覚していた。
「あーあ、俺も安心したらどっと疲れてきちゃった。ほら、少し空けてくれる?」
「あらあら、一緒におサボりしてくれるの?」
「まっさかぁ、これからが仕事の本番。どっかの誰かさんがしっかり休むようにこうして見張っておくんだよ」
「ふふ、もうしないってば」
目を閉じる時間が徐々に長くなっていくのを同じ布団の中で見下ろす。
完全に瞼がおりきったところで半兵衛はようやく人心地着くことが出来たのだ。
規則的な吐息と、返ってくる安心感に包まれながら、半兵衛もひと眠りする為に目を閉じた。
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ぽちり