(2019.12.04)









 噂話









一理ある、と思った。




成程確かに、無きにしも非ずだな、といった具合に妙に納得してしまって、は足を止めて考える。

ジャンルを問うのであれば今耳にしたことは間違いなく嫌味や苦言に近い。

またその対象が本人である自分であるのだから足を止め息をひそめないわけにはいかなかった。

何の根拠も根も葉もないことであればお得意のスルースキルで右から左を決め込んでいたであったが、今回のものはやけに的を得ており、すん、と胸の中に落ちた。


(なぁるほどねぇ)


落ち込む、悩むというものより納得したというのが一番近い心情。

例えその見解が外れていても、こちらの応対をちょっと変えるだけでそんな噂が飛ばなくなるのであれば万々歳だろう。

噂の種が己のみであれば何も悩むことも考えることもなく今まで通りの振る舞いを続けていただろうが、今回は巻き込まれている人物もいる。


(ま、人の噂も七十五日っていうし)


ちょっと気を付けていれば噂なんて次の流行に変わっていくだろう。

その間彼の耳にこの噂が入らない事だけを祈ればいい。

自身の行動を振り返り、すぐに対策を取ったであった。




 +




「おねね様、見ませんでした?」


廊下で八合わせた相手に半兵衛はふと目的の人物について問う。

今朝がた、いつもであれば共に城に向かうところであったが、ここ数日の自身の仕事が立て込んでいるのかは半兵衛が目覚めるよりも早くに家を出ていた。

早くから仕事に取りかかっていても彼女は自他ともに認めるサボり癖のある人物なため、飽きたり作業に詰まったらふらりと持ち場を離れて息抜きをしている。

暇そうな武将に声を掛けたり、おねね様と茶話会をしていたりして気分転換兼仲間たちと上手くやってのけているので、忙しいからと言って自分の首を絞めるような仕事のやり方はしていないはずだ。

つまりは自分と同じく普段からよく持ち場を離れて放浪する癖のある彼女の事など、誰に聞いても目撃情報は上がってくる。

…ものの、肝心の本人に合えずまま太陽が真上に昇ってしまった。


?あぁ、さっきいい甘味が手に入ったって聞いて一緒に一服したところだよ。それからは…作業場にはいなかったのかい?」

「一番に行ったけどもぬけの殻。おっかしいなぁ」

「用事があるなら見つけたときに代わりに伝えておこうか?」

「用事って言うほどでもないんですけど。そもそもこれだけ探して姿が見えないってのが問題って言うか…」

「あら、仲違い中かい?――っと、悪かったよ」


ねね様は半兵衛のしかめっ面を見てすぐさま謝罪した。

戦場ではどんな局面においても状況が有利、不利にかかわらず表向き顔に出ることの少ない半兵衛。

あの手この手を考えて状況を円滑に進めることが出来る軍師であっても、の自由奔放な行動と発想はそのさらに上を行くこともあるようで今孔明は頭を抱えているようだ。


「…やっぱり俺、避けられてると思います?」

「さぁ、どうだかねぇ。あの子も自由気ままな子だから」

「はぁ、気まますぎてこの先心配だなぁ」

「…半兵衛。惚れた女に振り回されるなんて男冥利につきるじゃないか。大丈夫さ、自由に出来るのも戻る場所があるからこそってやつだよ。それに次捕まえた時にでも聞いてみるといい」


良くも悪くも嘘をつく子ではないから、とおねね様はにっこりと笑った。

半兵衛の眉間に皺を一つ増やすと、ぺこりとお辞儀をして諦めて昼寝をするべくお気に入りの場所へと歩いていったのだ。


「それにしても半兵衛。の事になると途端に自信を無くすんだから」


そんな半兵衛の背中を微笑ましく見送るねねであったそうな。




 +




(おっと…)


廊下の角を曲がり、作業場の襖を開こうとしたところ、鼻腔をかすめたのは慣れ親しんだお日様の香り。

察しのいいはその匂いで中に半兵衛がいることを瞬時に理解する。

は歩みを止めると、ほんの少し前まで引き返し別ルートから自身の作業場に戻れる襖を開く。

普段は反物の貯蔵庫のようになっている人があまり出入りしない場所に静かに踏み入ると、はカモフラージュにと、棚から適当な糸と装飾品を手に取り作業場への裏道を何食わぬ顔で進んだ。


「――流石のも、これだけの反物の匂いの中だと気づかないんだ」

「あら!半兵衛様…び、っくりしたぁ。いないと思ってたところから突然声がするんだもん!」

「いるってわかったら逃げちゃうでしょ。…今みたいに」

「…。まんまと引っかかっちゃったってわけかぁ。むむ」


目隠し越しに見える半兵衛はいつもの羽織を着ていなかった。

昼寝を終え、たっぷりとお日様の匂いを吸わせたそれをの作業場に先に捨て置き、後は本人が戻る時間を見越してこの場所で待機するのみ。

自身を避けているのであれば別ルートであるこちら側で待てばよいし、避けてないことがわかったのなら「あっ、ごめんごめーん。こんなところに置き忘れちゃった」等と言い回収に行けばよいだけの事。

訳あって普段から目に覆いをしているは僅かに隙間から見えるものと、匂い、音といった感覚を頼りに動く節があるのはかなり前から承知の上で、このような策を投じてみた、が。

勘のいいであっても、見ていない動きから予想することは不可能だったのだろう、まんまと策にはまってくれた。


「で、なんで避けられてるの俺。何の理由もなく距離置くような子じゃないってわかっててもさ、結構傷つくんだけど」

「…えーっと」

「ねぇ、俺なにかした?」

「ちょっと待って」

「ごめん、待てない。俺に対して言葉選ばなくていいからそのまま考えていること言って。さん、はい」

「――半兵衛様」


話せと言っているというのにまさかのは半兵衛の口元を手で押さえた。

何事かと目を見開く半兵衛だったがの意識は今来たばかりの廊下側へと向けられて、察した半兵衛は呼吸を合わせるように息をひそめる。

廊下から壁一枚越しに聞こえてくるのは女性の声…侍女たちであろうか。

声をひそめながら話しているが、が静かにため息をついたので内容は今の彼女にとってあまり面白いものではないのだったらしい。


『―――』


内容はとぎれとぎれであったが、まぁ掻い摘むと「来たばかりの小娘がいけしゃあしゃあと身分極まりない態度で目に余る」といったもの。

紛れもなく女性特有の小言、陰口の類。

もっと言ってしまえば男女問わず誰とでも親し気で、優遇されているへの嫉妬が含まれていた。

確かにの立場はあくまでも「秀吉様が拾ってきた縫物全般に覚えのあるただの一般人」。

元隠密という事は上層部のみが知る事実であるが、その情報の届いていないものからしてみればどこの馬の骨かもわからない女に変わりはない。

経緯との行動の意図を察した半兵衛は、気配が完全に遠のいてから息を盛大に吐き出した。


「そういう事。あーあ、なーんか今までの心配を返してほしいや」

「あらぁ、ごめんね。人の噂も七十五日…最初はそのうち飽きるかなぁって思って放っておいたんだけど」

「そこで俺が絡んできたわけだ。察するに俺がお目付け役ってのを理由に根も葉もないこと言われたんでしょ」

「当たらずと雖も遠からずだなぁ。って、なんか悪いこと考えてない?」


のマイペースな反応とは裏腹に話を進めるにつれてにやり顔になる半兵衛に「女性の口喧嘩に男が口出ししちゃダメなのよ」と釘を打つ。


「つまりは、中途半端に逢引きしてるからそんな風になるわけで、もう堂々としちゃて公認にすればいいって事でしょ?」

「確かにそしたら今みたいな言われはなくなるだろうけど、半兵衛様にそんな役させるのも心苦しいなぁ」

「…ちょっと、。それ本気で言ってる?」

「はい?え、うん、わりと大真面目に………え?」

ってほんっと、勘が良いのか悪いのかって感じだよね。俺結構わかりやすくしてた方だと思ってたけど、ふぅーん、そっか、には伝わってなかったのかぁ」


へぇ…と今度は深みのある笑み。

小首をかしげるはとぼけているわけではないようだ。

好意は感じているが、それが正しく伝わっていなかった模様。

正直誰にでも人当たりのいいとこの関係になるのまでもかなりの労力と時間がかかった。

人の顔色や空気を察するのは得意なくせに恋に関してはさっぱりのようで、ここまで話してもは「え、何の話?」と疑問符を沢山脳裏に浮かべている。

見兼ねた半兵衛は彼女の後頭部へと手を回して引き寄せ、気持ちを押し当てた。


「だいじょーぶ、全部俺に任せときなって。にもわかるように1から10まできちんと教えてあげるから」

「え、え?え?」

「困惑した顔も可愛い。ほら、いくよ」

「えぇっと、ちょっと!半兵衛様!」


の根回し以上に半兵衛の行動の速さは目を目を見張るもので、翌日からはそんな噂を耳にすることがなくなっていた。

寧ろ微笑ましく見守る視線が増えた気がするとはぼやいていたが、半兵衛は彼女を後ろから包み込みながら「気のせいじゃない?」とご満悦に返した。














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