(2019.12.08)(出会って間もない頃・おねね様との会話)
約束
が秀吉様に拾われて、ここで共に過ごすようになって半月が経過したころだった。
拾われたのは人生のほとんどを隠密として生きていた、いわば訳ありの子。
闇の世界で生きてきたそれまでをすでに死んだことにして、秀吉は彼女に新たな名前と新しい居場所を与えた。
「アンタとはちゃんと一度話をしてみたいと思ってたんだ。さぁ、おあがりよ」
「失礼いたします、おねね様!あっ、これ私の大好きなお茶菓子なんで一緒にいかがです?」
「あら有難う。…そうかしこまらずとも、楽にしていいんだよ」
「あらぁ、勿体なきお言葉!では是非2人きりの時にそうさせてくださいなぁ」
指先をチョンと合わせては丁寧なお辞儀でねねのそばにつく。
この半月でだいぶ表情、仕草、言葉遣い…そのどれもが体に馴染んでいるように思えた。
(2人だけの時、とは。流石だね)
それもそのはず屋根裏にはもしもの時の為にくのいちが2人配置している。
視界はいくらか塞がれているはずなのに、長年の経験や勘はしっかりとその体に染み付いているようだ。
屋敷の中の過去の彼女の名を知る一部はそれを見て「道化を演じている」と陰で言うものもいる程。
彼女の腹の中は誰もわからぬまま。
秀吉様の見立て通りであれば気に留めることなどないはずだというのに、彼女の素性が読めない事も相まってか簡単に信じてはいけないような気にもさせる。
目の前には明るく柔和な一人の女の姿。
子飼いからも勿論お目付け役として傍につかせている半兵衛からもその辺の情報はおねねに届くようにしていたが、百聞は一見に如かず…自分の目で見る方が早いとおねねは判断したのだ。
「うんうん、そりゃあそうだよね。四六時中監視付きだとあんたも参るだろうに」
「は構いません。出所が出所だけに万全を期すのは当然の対応でしょう。あむ…むひろ害がないふぉ早く判断してもらえるいい機会で、んぐ」
「…食べるか喋るかどっちかにしないと喉に詰まらせるよ」
「むむ。…。…っと、でもまぁ、半兵衛様もこんなのお目付け役などお気の毒に。あれは中々に知恵のあるお方。が重荷、足枷となっていなければよいのですが」
お茶菓子をはむはむと頬張りながらは「あ、これ半兵衛様には内密に願います」としっかり釘を刺す。
元がついたとしても人生の半分以上を闇の世界で生きてきた人間。
腹の内を見せるまでに相当な時間が掛かるだろうとおねねは踏んでいたが、彼女はいとも簡単に白状した。
それどころか話だけはまともなことを言っているが、なんとも気の抜けてしまいそうなほどに間抜けな姿に力が抜ける。
己の情報を無償で差し出し、自身の隙を見せる事など隠密としては死を意味するものだというのに。
それには思わずおねねも驚きを隠せなかった。
「ここに来て少し経つけど、困ったことはないかい?」
本題はそれ。
愛した秀吉様の考えについていかないはずがない。
たとえ相手が素性を見せぬ腹黒であってもその対応は変わらなかったであろう。
両の目があるであろう位置を射抜いて言うと、は動かしていた口のものをごくりと呑み込み顎に指をあてて考え始めた。
「困ったことなどとんでもない!秀吉様をはじめ、おねね様、そして皆様のお陰でございます」
「けど、来て間もないのに不自由な思いをさせているだろう?」
「十分すぎる程の愛を頂いております」
「…」
「あ!ちなみに…は嘘はつきませぬ。半兵衛様との約束ですから」
約束、半兵衛、という耳にしたことのないワードにおねねは目を丸くした。
疑問に抱き、そのままの言葉で彼女に返すと、彼女は何のためらいもなくつらつらと言葉を連ねた。
半兵衛からいくらか報告を受けたが、この事は聞いてない。
「えぇ。が以前の名を捨てる時、秀吉様は私に名前を下さる代わりに“自らの意志で死なない事”を命じられました。しかし、これが中々に難しい。目の前に転がる筆は目や喉を刺す凶器に見えますし、商売道具の糸や組紐はしめ縄に見えてきます。厨には刃物、救護室には毒。あらゆるものがを惑わすのです。…もなりに命を全うしようとするのですが、死にきれないが夜な夜な私を殺そうとするのです。“何故生きている”と私に夢で問うのです」
「…それが、半兵衛の約束とどうつながると?」
「夜な夜な死にきれない長い夜を過ごしていますと、ある日、半兵衛様が言ったのです」
『決して嘘をつかないと約束して。そしたら俺が、のしがらみを全部取り去ってあげる』
「………それを、半兵衛が?」
「はい。は嘘をつきません」
すん、と言う。
にこり、と覚えたての笑顔では笑った。
(あの半兵衛が、ねぇ)
頭は切れる癖に面倒くさがりでサボりに定評のある彼は面倒ごとは避けて通ろうとする節がある。
今回、秀吉様にほぼ名指しで半兵衛を指名し、のお目付け役に任命した。
はじめはあれだけ顔を顰めていたというのに、彼女の何が彼をそうさせたのだろう。
秀吉様が見抜いた本質を、同じく半兵衛もそばにいて感じ取ったという事だろうか。
「(半兵衛もいい子を見つけたというか…)」
「?」
「いんや。が来てくれて嬉しい。歓迎するよ!」
「ありがとうございます、おねね様!」
「じゃあ。私ともひとつ約束をしてくれないかい?」
「あらあら?に出来るものでしたらなんなりと」
手土産の草餅は確かに絶品で、おねねの口にもあったようだ。
慣れない事ばかりの日々の中で、こういった好きな甘味と熱いお茶を飲むこの時間がどれだけ救いな事か。
「次はあたしのとっておきをご馳走するから、あたしにも組紐のお守りを一つ作ってくれないかい?」
「あらあらぁ?お返しがそんなのでいいの?」
「半兵衛に以前自慢されてね。ずるいじゃないか。今度は私にぴったりなのを見繕って欲しいのさ」
「ふふ、そういうことでしたら。とっておきのものをお作りいたします!」
はまた一つ増えた「約束」を噛みしめ、胸に刻み込んだ。
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