(2020.02.19)








 曼珠沙華









「明日、に会いに行こうと思うんだよねぇ」


このお漬物美味しいね、の話の流れから声色一つ変えることなくは言った。

本当に何気なく、いつもの調子であったためちょっと気を抜いていた時ならば「へぇ、そうなんだ」と簡単に相槌してしまいそうなほど。


「…。うん、そっかそっか」


目の前で魚をつつきながらその話を聞いていた半兵衛は箸を一瞬止め、瞬時に事の次第を理解したのか二つ返事でその報告を受け入れる。

は何食わぬ顔で味噌汁をすすりながら、半兵衛の目がくるりとしたのを見逃さなかった。


「だから帰り夕刻くらいになっちゃうかもだから、伝えとかなきゃと思って」

「明日ね、了解。昼前とかに出発でいい?」

「あらら?半兵衛様お仕事立て込んでるんじゃないの?それに今日だって半兵衛様を探す声がそこらじゅうでしてたし。いいよ、ぴょんぴょーんって行ってすぐ戻ってくるから!」

「大丈夫大丈夫!丁度若い子たち育てなきゃなーって思ってた頃なんだよねぇ」

「あらぁ、これは明日も探し回る声が響くんだろうなぁ…」


彼女のトレードマークでもある黒の目隠しのお陰で目元の表情は見えないが、きっと眉は八の字になり「いいのかなぁ」と難しい顔をしているのだろう。

そんな彼女に半兵衛は、


「いいんだって。思い立ったら吉日!それに、もし置いていったりなんかしたら…知らないからね」


と絶対に彼女が一人で行かないよう釘を刺して、頭の中では明日の自分の身の振り方を段取りし、にこりと笑った。


 +


「目、平気?」


有限実行。

彼は言った通りきちんと仕事をどうにかした(というより若い衆に丸ごと投げてきた)ようで、時間になると簡単な身支度を終えてと集合した。

彼女の言う「」は屋敷から少し離れたところにいるため、丁度太陽が真上からやや西に傾く未の刻ごろには到着するだろうと二人は読んでいた。

軍師である半兵衛ならともかく、そんじょそこらの人であれば繰り返し休憩を挟みたがる様な距離であったが、彼女はけろりとしており、流石育ちの違いを感じずにはいられなかった。


「人の目がない分だいぶねー。ド田舎でよかったぁってこういう時思うよねぇ」

「へぇ、そういうもんなんだ。ま、俺としてはまじまじとの事見れるからお得感満載だけどね」

「…。一人からの視線が熱すぎてそろそろ穴が開きそー」

「もうすぐ目を逸らす。俺の大好きなものの一つだって言うのに」


屋敷の中でのみ眼帯の着用を許可されているは、町に出る時やこうやって屋敷の外に出るときは眼帯を外して、きちんとそれなりの格好をする。

何を言い返しても半兵衛に裏を取られてしまうことにはぷーと子どもっぽく頬を膨らませた。

眼帯がない分、彼女の表情がころころと変わるから見ていて飽きない。

本当は常に眼帯を外してその表情をいつまでも見ていたいというのが半兵衛の想いだったが、彼女の体質上長時間目を使う事は想像以上に疲労が激しいようで、そんな姿を見るくらいならと引き下がった。

彼女曰く「人の目は口程に物を言う」とのこと。

人の目から読み取れる情報に酔ってしまうらしく、が屋敷で暮らすようになってからは眼帯着用での生活が基本となっていった。


「にしてもの口から会いに行きたいだなんて。俺なりにその話題出さないように気を遣ってたんだけどなー」

「そりゃあいい思い出はないよ!…人を騙して、欺いて、嘘に嘘を重ねてがんじがらめになって。…生きた心地がしない中、一瞬の蜜にしがみついて、惰性でだらだら生き続けて」

「言うねぇ」

「一番近くで見てきたからね。本人一番愛されたい癖に、大事にされると今度は不安で不安で死にたくなっちゃう子なんだぁ、って」

「ふーん」


ほんっと不器用だよねぇ、とは笑う。

彼女の手には屋敷を出てすぐの野原で摘み取った1輪の白い曼珠沙華。

への餞別にと彼女は迷わずそれを摘み取った。


「だから、私だけはを愛してあげたいんだぁ」


はまるで人ごとのようにそうきっぱり言い放つ。


(…流石“元”。1年ぽっちじゃ心中荒れてるかと思いきや…思ったよりは、か)


その彼女の後姿を観察するような、心配するような視線で半兵衛は射貫き続けた。




が一体どんな生涯を送ったのか、の口からこぼれることは皆無に近い。

その過去を無いものにしたい、というわけではないのだろうが、彼女の言葉からもわかるように決して綺麗な事ばかりでないのは明白で、それなりに死地を潜り抜けていたのがうかがえた。

、という人格を保とうとする彼女にとっては不要であり、切り捨てたい過去の一つであっただろうに。


『あらあら半兵衛様!お初にお目にかかります、どうかお気軽にって呼んで下さいなぁ』


はじめは道化を演じてるのだと、誰もが疑った。

それもそのはず彼女は知る人ぞ知るいわば隠密で、依頼された命令に従い秀吉に近づいていた。

しかし結果から言うと密行は失敗に終わる。

処分を待つくらいなら殺せと喚いたであったが、秀吉がそれを認めなかったのはご想像の通り。

自分を売ろうとしていた人物に、彼は事もあろうか新たな名と住処を与えたのだ。

それから7日後にはけろりと今のへと180度その人格を変えていった。


『半兵衛様ものお目付け役などお気の毒に。ままっ、そんな警戒しなくともは逃げも隠れもいたしませぬ』


監視という意味も込めて傍に配置されることになったのは半兵衛だった。

秀吉の考え通り、これが後々にいい結果を招くことになる。


『あぁ、この目隠しが気になるのぉ?だいじょーぶ、ちゃんと半兵衛様の綺麗で整ったお顔はしっかりこの目に――って、いでで』


馬が合うのか歳が近いせいなのか打ち解け、疑惑が解消されるのはそれから間もなくの事だった。

はあの時いなくなったものとしては話し、としてのスキルはそのままには新たな人生を歩み始めたのだ。

捨て置いた、のではなく、区切りをつけたのだ。




「っと、着いたー!」


石畳の道をてっぺんまで登ったところ、そこには丸い石が無造作にぽつんと置かれていた。

形式だけの墓で中身は当然ない。

その場所には先客がいたのかすでに白い曼珠沙華が備えられていた。


「…」


は少し思慮したのち薄く微笑み、同じものを墓の前に添える。


「なるほどなるほどぉ。そりゃあ長い時間屋敷中探されてたわけだ…」

「んー?何の話?」

「べっつにぃ!はちゃあんと愛されてるんだ、って話!」


実は昨日のうちには屋敷を抜け出し今と同じ道を一人で辿り、花を供えてくれていたなんて。

知らぬ顔の半兵衛様様である。

にっこり笑った笑顔はの時には見られなかった、として生きているからこそ見れたもの。


(半兵衛様ちゃんと、覚えててくれたのね)


一年前、としての一生を終え、そしては半兵衛と出会った。

思うはあなた一人。

2輪の白い曼珠沙華が風に揺れるのを、半兵衛と2人でしばらく見つめていた。














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