(2020.03.03)(過去Web拍手掲載夢)









 赤い糸









「あらあらこれはどうしましょう」


口癖になってしまった言葉を付けて目の前の彼の名を呼ぶ。

見た目以上にご機嫌斜めな彼は不貞腐れた面持ちのまま黙々と身支度をしていた。

見えるはずのない黒々とした負のオーラを眼隠し布越しに確認すると、人を遠ざけるほど不機嫌な彼のそばにちょん、と座る

ここまで機嫌の悪い半兵衛の傍に寄れるのはそうほかにいないだろうが、彼女の知るところではない。


「あらぁ、半兵衛様ほどのお方が戦前に珍しい」

「俺だって人間なんだから四六時中機嫌よくなんか出来るわけないでしょ。それを求めてるなら今は構わないでもらえる?」

は事はお構いなく。その矛先が自分でないことは自覚してますゆえ。…あっ、正しくは事の関係はしているけど原因ではない、かな」

「…わかっててよくそんな毅然としてられるよね」

「あら酷い。塩対応受けての心は大荒れなのに」

「ごめん。今冗談を聞き流せない」


何を言っても棘のある物言いしか返って来ない彼には予想通りだったのか両の手で口元を抑え、可笑しそうにケラケラと笑う。

その行動でさえも今の半兵衛にとっては面白くないそれだったが、それにいちいち反応していては彼女の思うつぼだと理解しているからこそ口を固く閉じる。

一通り笑い終えた後で、ようやくは両目を眼帯で覆ったままの表情ですん、と半兵衛を見やった。


「そんなに心配ですか?」

「…」


落ち着いた声色で言うと図星だったのか端麗な顔を難しそうにゆがめた。

戦前どころか、見たことはないが戦中であってもこのような分かりやすい表情は他者に見せはしないだろうに。

余程面白くないことが起こっていると見える。

彼にとっての心配要因は、他でもない彼女自身。

しかし、が先程物申したように、本人の意思の元、その事項が実行されるわけではない。

ましてや半兵衛が知るところでもないところが今回の不満の種。

流石知らぬ顔の半兵衛様でも予期できなかった穴埋めを、経験もあり手先の器用なが請け負う事になったのだ。


「腹立つな」

「心の声が漏れてますよ」

「人の心配を弄ぶなんて悪趣味」

「堪能してるといってほしいなぁ。今までそんなに思われた事なかったから新鮮で新鮮で」

「はぁ、こっちはの身に何かあるんじゃないかって今から気が気でならないんだけど」


いってしまえば本業の組紐職人として、ではなく以前生業でやっていた隠密の類。

しかも半兵衛はこれから遠征に行くためすぐには無事を確かめられない状況。

どちらの事も言わずもがな“仕方のない事”ではあるのに、心配が後を絶たないせいかそれがわかった時から時が近づくにつれて胸騒ぎが増していって落ち着かない。

そのくせ目の前の彼女は相も変わらず動じることなく顔色一つ変えないのだから半兵衛の機嫌は右肩下がりであった。

ふっと、が息を吐くと袖から何やら取り出していくらか落ち着いた物言いで半兵衛を呼ぶ。


「半兵衛様、お手を」

「?なに?」

「お守りにございます」


取り出したのは一本の赤い糸。

が普段仕事で取り扱う組紐になる前の何の変哲もない糸。

半兵衛が何事かと目を丸くしながらも差し出したそれを手に取り、は小指の部分にくるくるっとその糸を器用に巻き付けてきゅっと結んだ。

余分な糸を歯でちょんと噛み切ると言わずもがな唇が彼の指にそっと触れる。

その一部始終をじっと見つめていた半兵衛が静かに問う。


「なにこれ。まじないか何か?」

「まぁそのようなものです。が思いを込めて結びましたので遠く離れた地に居てもの思念が半兵衛様をお守りいたします」

「へぇ。でもさ、切れたらどうなるの」

「つまりは務めを果たし、半兵衛様の身代わりを果たしたという事。切れたからと言って不吉なことはございませぬ」

「なるほどね」

「目に見えるところにあると少しは不安は解消されるでしょ?」


確かに、と半兵衛は自身の小指をまじまじと見た。

何をしていてもふとした時にこうやって手を見ればこの糸を通してのことを思い出せる。

半兵衛は今までの不機嫌はどこえやら…いつも通りの余裕の笑みを口元に浮かべた。


「ちなみにその糸って、もうないの?」


その意図を瞬時に理解したはにこりと笑って袖口から青い糸と自身の左手を彼に差し出した。








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