(2020.4.17)(30,000Hit感謝企画)
手当
ひゅう、と冷たい空気が隙間から入って来て、自分が眠ってしまっていたことに気が付いた。
薄く開いた視界は変わらずの闇。
いくらか目が慣れたとはいえそれがより濃く感じるという事は、外の世界は夜を迎えたのだろう。
もうこの場所に身を置いて体感時間では半日程度だろう、か。
いい加減同じ体勢でいる事にも飽きてはしまったが、自身はこれでも攫われてしまっているという身の上…“あれ以上”あまり目立つ行為をしないに越したことはない。
(あーあ。やっぱり口の中切れてる…半兵衛様に怒られちゃう)
ぶたれた時、完全によけきれずに指先が掠ってしまったからその時だろう。
掠ったといっても相手は武将、男の力。
生前の彼の言葉を借りるのなら「反抗的な女への躾」のつもりだったのだろうが、死人に口は無し…もう確認することすらできない。
「――弱くなったものね」
数年前の自分がこの有様を見たらなんと言って嘲笑うだろうか。
ぽつりと吐いた言葉は誰にも届かないことを知っての自嘲のそれ。
数年前、“”だったら、こんなのもっと上手くやってのけただろう。
誰にも気づかれずに、当然怪我なんてヘマをすることもなく、微笑を浮かべてとうの昔に一人で城を抜け出していた頃だ。
「…」
乱れた衣服の隙間から冷たい空気が入って、体をさらに冷やしていく。
感じるのは寂しさ、心細さ。
あれだけ一人でも平気だったくせに、少々ぬるま湯に浸かりすぎたようだ。
はだけた着物を整えることもなく、は静かに息をひそめて半兵衛の迎えを待ち続けた。
『 決して嘘をつかないと約束して 』
『 そしたら俺が、のしがらみを全部取り去ってあげる 』
とうとう幻聴まで聞こえるようになってしまったのかと、思わず笑ってしまった。
脳裏を過ったのは何時しかの風景。
本当の意味でいつまでも目を合わせようとしなかった私を彼は射貫くようにじっと見つめて言った。
その言葉は妙に胸に刺さって、視線は離せなくなる。
本当の意味で他人の言葉がすとんと胸に落ちた感覚になったのは後にも先にもこれが初めてだっただろう。
救済にも似た感覚。
にこり、と笑うのは振りだけで″その場しのぎ″の辻褄合わせばかりして生きてきてしまった自分に、彼の存在は光のようにさえ思えた。
(時々自分がその光に目が眩んで消えてしまいそうにもなる)
長い時を陰ばかり歩いてきた自分には不釣り合いのように感じて億劫になる夜もある。
にこにこと笑顔を張り付けながらも、心は侘しいままだった。
今の生活が不服なんじゃない。
むしろあふれる程の愛を頂いている。
両手いっぱいになったそれは段々と受け止められなくなるのに、城のみんなは絶やすことなく自分を愛してくれた。
時々、それを他人ごとのように見てしまう自分がいるだけ。
『 ――何故生きている? 』
夜な夜な光の宿さない瞳がゆらりゆらりとすり寄ってくるだけ。
「半兵衛様」と唇は無意識に動いていた。
それに声が乗ったかどうかは定かではなかった。
右手にはずっと自分に乱暴を働こうとした男を仕留めた短刀が握られている。
赤いモノはとうの昔に乾いてしまい、その匂いも気にならなくなってしまった。
右手のそれだけが緊迫した状況の中、事態を一変する出来事が起こった。
慣れない光が十二分に飛び込んできて、思わずは目を細めた。
右手のモノに無意識に力が入る。
「見つけた」
視界、音、匂い、空気の変化…その全てを肌で感じて、力が抜けてしまった。
「半兵衛様」
「遅くなってごめん」
「…あらあら、そんな顔しないでくださいませ。お陰様では無事でございます」
にこり、と笑顔を張り付けるとより一層半兵衛は顔を顰めた。
自分の無事を確認するかのように頬を撫でる温かい男の手。
頭を使う方が本業の癖にしっかり指先は武将のそれで、は甘えるようにその手にすり寄った。
「怖い思いをさせた」
「何のこれしき。にかかれば見事に返り討ち~」
「…、俺の目を見て」
「?」
じっと射貫く目。
相変わらず人の目は苦手だな、と思った。
たとえそれが想い人の彼のものであっても、目は口程に物を言うから。
いつその光に自分の陰が移ってしまうのかと思うと、怖い。
それを知ってか知らずか半兵衛は目を離さない。
出来るだけ悟られないように口元だけは笑みを浮かべて小首をかしげて見つめ返していく。
「…半兵衛様?」
「まだ駄目」
「んん」
半兵衛の瞳に自分がしっかりと映っていることに気付き、は怖くなった。
助けを求めるように右手のモノを離せずにいた。
この場に不釣り合いな短剣の存在に気づいていない半兵衛ではない。
(人の目が怖いのは他人の心中を察するからってだけが理由じゃない。自分の内心を人に晒すのが怖いってのもあるんだろ)
の瞳の奥が揺れたのを確認したところで、半兵衛は頬を撫でながら吸い付くように唇を交わした。
微かに彼女の肩が震えるのを見て、それでも触れ合うような口づけを繰り返した。
「ほーら、目を逸らさない」
「…はん、べ…」
優しく頬に触れていた手を髪を撫でるようにして頭の後ろにやって、さらに距離を近づける。
名前も呼ばせないように段々と深くしていきながら、左手は彼女の右手へとなぞる様に優しく触れた。
「あ、それは…」
「もう黙って」
塞ぐ。
生理的な涙が浮かぶ濡れた瞳でとろりと半兵衛を見つめ返すを見て「もう少しだ」と確信する。
彼女が縋りつくしがらみをひとつ、ひとつと指を剥がして取り除いていく。
まるで求めていたかのように抵抗はなかった。
全ての指を短剣から外すことに成功するとそこら辺にいとも簡単に放り投げて、代わりに自分の手を握らせた。
ようやくの事で唇を離すと流石の彼女も肩を上下させて浅い呼吸を繰り返していて、他より色素の薄い瞳は言われることもなく半兵衛を見つめていた。
とろんと溶けたような目は先ほどまでの「怯え」はなく、ただ一生懸命半兵衛を見つめ返そうとしている姿に自然と頬が緩む。
「ん、俺の好きな目」
「半兵衛様…」
「はいはい怖かったね。俺が来たから全部大丈夫だからね」
空いた手で背中を抱いてやるとしがみ付いた彼女は胸の中で静かに頷いた。
もう大丈夫だ。
彼女の反応でそれが確信に変わると「続きは帰ってからね」と言って額にも一つ愛を重ねた。
「ほら、家に帰るよ」
「…」
は驚いたように少し目を見開いて、それからやっぱり小さく頷いた。
結ばれた手を引いてやると、離さないように必死に握り返す彼女が愛おしくてたまらなかった。
【トラブルに夢主ちゃんが巻き込まれ、半兵衛が助けに来るお話】
(遅くなって申し訳ありません!)(まるおろん様、リクエストありがとうございました)