淡染














女で1つで育ててくれた母がなくなり、


母が唯一残してくれた手染め屋「リドット」と肉親の弟を護るのは


誰に言われたわけでもなく、長女である私なのだと自覚した。


今時手染めなんて古臭くて継ぐ事に大反対だったものの、


時折ふと母を思い空を見上げると、何故そんな事を…


と、ついつい思ってしまう。


いつまでも高く、壮大な空は母のようなぬくもりを宿し


私たちを見守っているではないか――




そろそろ結婚でもすればいい、と街の人たちは言いはやすけど、


今はこれでいい……


決して裕福な暮らしができているわけではないけれど、不満はない。


たまにこうして街の外にでて、染める為の花や草を摘んでは


空を見上げてふと目を閉じる。


暖かい春風が吹いた。




ザッ…




「…え?」




何かが忍び寄る気配に硬直する。


近頃は街のすぐ近くまでモンスターが


エサを求めて繁殖しているから気をつけろ。


街を出る前に親しい商人から聞いていた事を思い出し、


神経を尖らせた。


怖い…


その思いだけが身体を支配していた。




17年と生きてきたが今までモンスターの類は目にした事がない。


否。


今思えばソレは幸運だったのかもしれない。


商人達がうわさするように、近頃モンスターによる被害は


徐々に増えてきていると聞く。


人里を離れてひっそりと身を潜めていればいいものを、


たちが悪いそいつ等は人間たちまでをも襲うようになった。




ジャリ…




砂利を踏みしめる鈍い音。


徐々に近づいてくるのだから恐怖も並大抵のものではない。


今にも破裂してしまいそうなほど心臓は高鳴っているし、


その鼓動の音が耳元で煩くなっているような錯覚さえ覚える。


…もうダメかもしれない。


そう諦めかけた矢先、目を閉じた一瞬にソレは起こった――




ぷつりと閉ざされてしまいそうな意識の中。


一瞬の発光の刹那に見えた花の色。


あれは――




(――)




サクラ?









 +









「気がついたか」




ちぐはぐな記憶のせいで、一瞬何が起こっているのかわからなかった。


目の前に膝を立てて座るのは見知らぬ…男性?


褐色の瞳は細められ、自分ではないどこか遠くを写し、


生暖かい春の陽気に桜色の髪は揺れる。


関心がないのか一切こちらに目を合わせようとはせずに、


彼は無愛想に言い放った。




「目が覚めたならとっとと帰れ。次は助けない」


「で、ではあなたが私を…?」


「…失せろ、女」




きつい口調に圧倒される。


口調もそうだが彼…よく見ると頬にかすったような擦り傷があった。


さっきのモンスターのもの…ではなさそうだが、まだ新しい。


私はさっと染め布を取り出して持っていた液体をしみこませると


彼の頬へと腕を伸ばした。


何をするんだ、という冷たい瞳に睨みつけられ、このとき初めて目が合った。




「いらん世話だ。放って置け」


「…小さな傷でもそこから菌が入れば大きな傷となります!


 この染色液はある樹液を混ぜてあるもので、擦り傷によく効くんです…」


「……」




言っても聞かないだろう、と思わせるほどの勢いで言われ、


彼は黙ってされるままにされていた。


頬をすべるのは肌触りのいい染め布。


微かに匂う香りに彼は静かに口を開いた。


彼にしてみればほんの気まぐれだったに違いない。


ダレよりも彼自身意外そうな表情だった。




「グリゼの樹の樹液だな。強い生命力を持つ樹木で


 樹齢1000年ぐらいならゆうに越せる長生きな植物だ。


 樹液の採取は困難だが、とてもいい効力を持つと聞いている。


 淡い色彩も人の心情を豊かにさせるしな」


「…すごい。これは母から教わったものなんです」


「いい母親を持ったものだ」


「…」




彼女が黙り込んだ事に何かを察した彼は口を閉ざし、立ち上がった。


長居は無用だ。


他人との馴れ合いも、彼にとっては必要ない。


腰に備えたソードが酷く使い込んであるのがわかった。


すぐに、帝国の者だと気付いた私は目を反らして


立ち上がり、彼を見送った。




「世話になったな、礼を言おう」


「…そんな。――私[リドット]というお店で染め布を扱っているんです。


 何時かこの街による事があれば…寄ってくださいね?」


「…。覚えていたらな」




さらりと吹いた風が頬を撫でていく。


あっという間の時間だった。


たった数分程度の話なのに瞬きをしている間に過ぎたような……




(名前だけでも…)




聞いておけばよかったと思うし、聞かなくてよかったと思う。


いつの日か会えたとき、聞く事にしよう。


そう胸に決めて、空を見上げた。














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