(前編・一時的な記憶喪失)
その日異変が起こった。
何の前触れもなくそれは起こったのだ。
きっかけはそう…モンスター襲撃に立ち会ったあの時だろう。
いつもどおり。
いつもどおりの日常に起こったイレギュラーな時間。
どうやらの記憶は帝国にいた時まで戻ってしまったらしい。
あれはほんの数時間前のこと…
天秤
旅の途中、ゾゾ山を訪れていたロックと。
襲いかかってくるモンスターを掃いつつ道中を進んでいた。
しかし昨夜の雨の影響か地面は大量に水分を含んでいて必要以上に足を奪われる。
最初に視界の端に異変をとらえたのはロックだった。
応戦のため地に足が付いていなかったのだが急遽モンスターをそっちのけで
一気に大地をけったのだ。
「!!」
モンスターの魔法を浴びた時、泥か何かに滑ったのだろう。
は崖から放り出される形になっていたのだ。
幸い気付くのが速かったおかげか10m真下に叩きつけられることは避けられたが、
当の本人ショックのせいか魔法の影響なのか気を失ってしまっていて、
ロックの片手は岩場へ、そしてもう片方での腕をつかんでいるという具合だった。
ほっと息をつくところなのだろうがあいにくロックの表情は険しい。
…泥だ。
咄嗟に出来るだけ滑りの少ない場所を捉えたつもりでいたが、
指を滑らしてしまうのは時間の問題だった。
くっ、と息をのむ。
「!起きれるか…もう長いこと持ちそうにない…っ」
風にあおられて宙ぶらりになっているが揺れる。
俯いたままのの眼が開けられることはない。
ロックはあきらめずに名前を呼び続ける。
とにかく両手をふさがれてしまっている今、魔法も発動できない。
しかしなら片手で、むしろ詠唱だけでレビテトを繰り出せるだろう。
「起きてくれ…!!」
ぱち。
うっすらと二重の瞼から褐色の瞳が映し出される。
しばらくの思考の後、現状を理解したのか呪文を詠唱しはじめた。
その声を聞いてロックは安堵の息をこぼすと同時に微かに違和感を感じていた。
… レビテト …
背から生えた翼に助けられるようにしては地をけり
そのままロックも共に地上の安全な場所まで運んだ。
地に着くや否やは再び気を失ってしまいロックの腕へと倒れこむ。
ロックは大きく目を見開き彼女の名前をもう一度呼んだのだ。
+
「大体話はわかった。…このまま何事もなく目覚めてくれるといいのだが」
エドガーはベッドに横たわるの表情がすこぶる悪いことを気にしている。
寝るっている割には浅い呼吸を繰り返し、何か…つらそうな表情だ。
何かと戦っている表情とも思える。
だな…と曖昧な返事を返すロックがこの場から離れたがらないようで、
エドガーは内心全く、と彼への溺愛ぶりを笑った。
フェニックスの一件でさらに距離を縮めた二人。
意外にもの方がロックの後にばっかりくっついて
ロックはそんな彼女を尻目にくすくすと噛みしめているようだった。
そして下調べにゾゾ山に向かった矢先、こんな事になっているのだから心配しているのだろう。
…本当に何事もないといいが。
「では俺たちは少し出てようか、ロック…」
「ん…」
「君も少し怪我をしているだろ?起きた時それを見たはきっと心配する」
「…OK。じゃあティナにでも見てもらうかな」
親友をちらりと見てふっと笑うロック。
ロックが立ち上がりベッドのスプリングがなくなるのと同時刻。
は目覚めた。
しばらく体は硬直したまま視線だけをきょろきょろと動かす。
人が動いた気配にロックが振り返った瞬間。
思いもよらない事が起こった。
想像もしていなかった事、という方が正しい。
「誰だアンタ」
は光も何も移さない瞳でロックの首に刃を当て
そして海底よりも深く静かな声を突き刺した。
「命令だ…今の状況を簡潔に説明しろ。少しでも変な動きをすれば――殺す」
喉にある冷たい感触と自分に向けられる冷たい眼差しに
ロックは場違いにも出会ったころの彼女を思い出していた。
(続きます)