Angel's smile
















手遅れになって、漸く気がついた――…















 埋らない溝渠 68.5














こんこん、と控えめなノックが聞こえる。


はそれに「あいてるよ」と返事をする。


それでも視線が窓から離れないのは相手が予想できたからだろうか。




「エドガーか…」


「おっと、ロックじゃなくてがっかりしたかい?」


「………なんでロックだと嬉しくならないといけないだ…?」




問いを疑問で返す。


エドガーは少し思慮してから苦笑した。


はセリスにも同じようなことを以前聞かれたな、


とふと思い出して溜息をついた。


どうしてロックが出てくるんだろう…


少し考えて、何となく今考えるのはやめることにした。




「まだ痛むのか…?」


「いや?さっきよりは全然平気。…ま、痛いって言えば痛いけど」


「じゃあゾゾにつくまでは寝ていないとね」




エドガーの言葉に一気に顔を渋くさせる


じっと寝ているのはどうやら嫌いのようだ。


こうやって自分のことを近頃はよく表現してくれる。


嫌な時は今みたいに眉を潜めたりあからさまに嫌がるし


嬉しい時はきょとんとしながらも頬を染めて喜ぶ。


喜怒哀楽がわかるようになったのは明らかに仲間達の影響だろう。


も、きっとそのことを喜んでいたのだと思う。




「…な、何しに来たんだよ」


「ん?ちょっと様子をね。思いつめてるんじゃないかって」


「あっそ。でももう吹っ切れてますからご心配なく」


「おやおや…気を悪くしたかな?」




ふい、と視線を合わせない。


日頃からどこか棘を刺すような言葉遣いをするところはあったが


今日はそれの3割増しといったところだった。


エドガーはそのことに怒らず、それどころかどこか微笑ましく笑んでいる。




「別に…。ただエドガーが嫌いなだけ」


「おっと」


「ホント、きら……」




最後まで呟かずに終わる。


の唇が閉ざされずに止まる。


薄く開いたそれは声にならない声で何か言っているようだが聞こえない。


少し目を開いて黙り込んだ


エドガーが名前を読んでやる。


それを目印には息を吐いた。


目を伏せた横顔がどことなく哀愁満ちていた。




「昔さ、小鳥がいたんだよね。昔って言っても


 帝国くる前だから5つくらいなんだけど…」


「……小鳥?」


「そう。僕の住んでたとこにはいないはずの鳥でさ……


 町外れでとみつけたんだ」




カーテンをいじりながらは無表情で言う。


ゆっくりと。


ゆっくりと鮮明に思い出しながら言う。


エドガーは唐突な昔話に驚くことなく相槌を打っていた。




「見つけたときソイツ怪我してたんだ」


「怪我…?それでどうしたんだい…?」


「僕は……ただ泣いてただけ。


 どうしていいのか分かんなくってバカみたいに泣いてた。


 だけど兄さんは……」




助けようって言ったんだ。




「それから二人で隠れて看病したよ。


 大人の人たちに見つかったらどうなっちゃうかわからなかったから…


 小鳥はすぐに元気になったよ。


 全然魔法の力とか使ってなかったのに…」


「うん」


「僕たちが毎日付きっ切りで看病してたからだと思うんだ。


 それでさ、数週間経ったころなんかもう飛べるようになって――」




言葉が途切れる。


こつんと窓ガラスには頭を預けた。


少しだけ沈黙があった。


それでも、は続けた。




「僕ね、ヤキモチ……焼いてたんだと思う」


に…?…否、小鳥に、か……」


「うん、小鳥に。兄さんが小鳥ばっかりで全然相手してもらえないって思ったんだ」




それがすごく嫌だった。


本当はそんなことなかったのに。


いつもどおりに兄さんは優しかったのに。


ヤキモチは小鳥に向いて。


小鳥は都合のいい存在になってしまった。




「それで、どうしたんだい?」




エドガーはゆっくりと歩いての傍に軽く腰掛けた。


手を伸ばせば簡単に届く距離。




「何となく、ほんと、何となくの軽い気持ちで……




 籠を開けたの」


「………」




がいないときにこっそり持ち出した鳥かご。


天気のいい日だった。


お空飛びたいって言っているようだった。


チュンチュンと嬉しそうに囀ってたから…




鳥かごを開けた。


最初は躊躇っていた小鳥。


ゆっくりと外へ顔を覗かせて。


翼を広げた。


そこで、我に返った。




けれどそれは、遅すぎた。




「その後小鳥の後追ったけど、全然ダメだった。


 急に怖くなって、怖くてっ、……探したんだ。


 太陽が沈んでも……帰らないとお母さんに怒られる時間になっても、探した」


「うん」


「だけどやっぱり、ダメだった。もう遅かった…!」




カーテンをぎゅうと握る。


必死にしがみ付く。


今にも泣き出してしまいそうな彼女の頬をそっと撫でる。




「頑張ったんだね」




は首を振った。


それでもエドガーは微笑んだ。




「でもね。兄さんは怒らなかったよ?…僕を。


 すっごく悪いことしたのに。全然怒らないで……


 それどころか――!」




“ しょうがないよ、…… ”




ごめんね?




潤んだ睫毛。


兄さんは涙を流しながら笑っていた。


それがなんだか哀しくて、見ていて苦しくて仕方がなかった。




「兄さんはバカみたいに優しいんだ。誰でもすぐに信用するし、疑わなくて!


 優しすぎて!いっつもバカみたいに笑ってて!


 どんなに辛くても“疲れた”なんて言わなかった!!


 だから…ッ!!」




気づかなかった。




の動きが止まる。


エドガーは涙をぬぐってやった。


が小さく嫌々をする。




「兄さんと似てるから…だから嫌いなんだ……


 いっつもにこにこにこにこしてて、何でも平気そうな顔してるから。


 だからいつかほんとに…っ、壊れちゃうんじゃないかって思って…」


「…」




そっか。


エドガーは呟いた。


俯いたから一度視線を離して「ありがとう」と告げた。




「俺のこと、心配してくれていたんだね。ありがとう…」


「……、…」


「でも大丈夫。君が言うほど、これは、苦なんかじゃないんだよ?


 王という立場から、無意識のうちに身に着けてしまった癖みたいなものだし、


 別に嫌々やっているわけでも、無理強いされてやってるわけでもないからね。


 それにキミのお兄さんも……きっと苦じゃなかったと思う」




が顔を上げる。


朗らかに微笑むエドガーが紅く染まった瞳に映る。


そしてそれに、の笑顔が被さって見えた。


ふわり、と頭を撫でられる。




エドガーが立ち上がって部屋を出て行く。


最後に「今日はゆっくり休むといい」と言い残して。


バタン。


扉が閉まってはそっと頭に手を伸ばす。


そして、光を遮断して天井を見上げた。









「やっぱり…嫌いだよ。……アンタなんか……」














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