ゆびきり














じわりと傷口が熱い。


血管や鼓動が耳にうるさいくらい脈打っているのがわかる。


はぁ。はぁ。


肩が上下運動を繰り返している。


修業は、続けてたんだけどなあ。


こんな無様の姿見せたら師匠に怒られちゃうな。


なんて脳裏のすみでは余裕ぶっこいてるけど、笑ってらんないかもな。


背中からひんやりと伝わってくるコンクリートの突き放すような温度。


それが、今は心地よいなんて。


身体にまとわりつく鉄の匂い、辺りからはさらに下水の匂いも混ざっている。


静かに、出来る限りの気配を消しながら長く細く息を吐き切るとほんの少し笑みがこぼれた。


もう、終わりかな。


ここまで、なのかな。


なんて、冗談ばっかり。


そんなこと微塵も思ってないくせに。


まだまだどうやって逃げ切ろうか。どうやって敵を一蹴しようか。


そればかり考えているくせに。なのに。なのに。


身体は正直だ。もう痛みでしびれが止まらない。




『ねぇ、ホントにこのオレから逃げられるとでも思ってんのー?』


「!」


『そろそろ追いかけっこも飽きてきちゃったんだけど』




声が反響する。


びくりと肩を震わせながらもぐっと両足に力を入れて再び壁に沿って歩き出す。


一歩。また一歩。だけどきっとすぐに追いつかれてしまう。


ぽたぽたと滴る赤が彼に居場所を教えているようなもんだ。


でも。逃げないと。逃げないと。本能が言っている。


”あれに捕まったら――絶対にヤバイ”




!」




声が聞こえて。咄嗟に錬成させたナイフで応対する。


ぶわりと全身が粟立ったのが自分でもわかった。霞む視野に


金の色を認識してはふっと緊張の糸をといた。


金の色……エドワードはの顔を見るなりぎゅっとその身を抱きしめた。


錬成したばかりの氷のナイフが指から滑り落ちる。安心でじゃない。


もう、手先のしびれが治まらない。身体は限界を告げていた。


はそのまま身を委ねるようにエドワードに体を預けた。


包み込むようにエドワードはそれに合わせて受け止めてくれる。


そしてそっと。自分にもたれかけるような形で座らせた。




「よく、頑張ったな……」




優しく微笑みかけるエドワード。


一番大好きな彼の表情。細められた金色の瞳に安堵する。


思わず、自分もつられるようにして笑みがこぼれるんだ。




「エドワード、さん」


「ん?どうした……?」


「もう、逃げるの疲れちゃいました……」


「あぁ、もう大丈夫だ。俺が――お、おい!」


「……」




動揺しているのが心音でわかる。彼が、微笑んだのも。


腰に腕をまわして、私はエドワードに抱きついた。


そして。




―― パン ――




手のひら同士を叩きつける音。


時期に彼の背に触れる。それからは一瞬だった。


は彼の体内に流れる水分を使って一気に氷結させた。


無数の氷柱が身体の内側から体外へとむき出しになる。


皮や身は剥がれ、なのに、噴き出すはずの血液は氷の冷たさに一気に氷結した。




うめき声が聞こえる。彼の。エドワードの。否。エンヴィーの。


体の内側から蝕まれる痛みに、悶絶している。


変身が思わず取れてしまうほどの痛みだったのだろう。


足を止められた。最後の切り札として取っておいた戦法だ。


エンヴィーはきっと、私の大好きな彼の姿で私の前に現れるだろう、と。




「ドォシテエエエエ!!!どうしてわかったああ…!」


「……」



理由?


ほんの少し口を開いていいとどまった。分からない。


エドワードとエンヴィーを見分けた理由なんて。なんとなく。なんだ。


あぁ。折角足を止めたのに。再生の早いエンヴィーはすでに原形を取り戻そうとしていた。


逃げたい。なのに。だめだ。もう。血を抜きすぎて。視界が霞む。


くらりと眩暈さえ覚える。足に、手に、力が入らない。


あぁ今の私は。なんて、ちっぽけなんだろう。


思考を止めるな。彼ならこんな時にこう思うんだろうな。


考えろ。考え続けろ。きっと何かあるはずだ。思考を止めるな。


エンヴィーの手が私の首に触れる。何か言っている。そこで気がつく。


もう音も聞こえないんだ。笑えない。笑えない。




” 一人で、抱え込むなよ。少しは頼って欲しい ”




頬に一滴。


思い返すのは彼の言葉。不器用に頭を撫でながら言った一言。


闇が深い日だった。深夜。細い月が出ていた。淡い光が安心した。


眠れずにいる私を眠るまでずっとそばにいてくれた。


あぁ。


助けて。助けて。助けて。エド……!!


首にかかる負荷が強くなる。ぎゅっと目を閉じて、世界が暗転した。









 +









助けて。助けて。助けて。




そんな声が聞こえた気がした。一瞬の胸騒ぎ。すぐに体は動いていた。


あの時――間にあってよかったと思う。




「命に別状はないそうだ」




イズミは言った。俺は振り返らずにはい、と一言こぼした。


傷跡は残るそうだ、と彼女は付け加えた。


ベッドで眠る。銀の髪がさらりとシーツに波を打っている。


その顔色は決して良くはないものの、頬に赤みが戻っており


今すぐにでも起きてまたいつもの笑みを浮かべてくれそうな表情をしている。


ただ、それには反して左肩には包帯が巻かれている。


医師に聞くと鋭利な刃物のようなもので貫通したような傷、と言った。


エンヴィーだ。


殺すためじゃない。おそらく錬金術の手を封じるためにしたのだろう。


あの時。あの時こうしていれば。思考だけがぐるぐると回る。




「バカモンが」


「……はい」




イズミはそれだけ言うと静かに部屋を出て行った。


誘われるように壁についていた背を離し、ベッドに最も近い椅子に座った。


シーツの中からすっと伸びる白くて華奢な腕に目をたどらせ指先に軽く触れた。


すごく、温かかった。それがすごく、愛おしく感じた。




「約束する。もう二度と、だけに怖い思いはさせないって」




彼女の指先から小指を絡め取り自分のと絡ませる。


ほんの少しだけども。


彼女が握り返してくれたのが嬉しくて、同時に愛おしかった。














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