(エド)シリアス、過去














 温かい夢














温かい夢を見た。




ふかふかで柔らかい、お母さんのにおいがするタオルに


包まれながら眠りに落ちたあの幸せのにおいのする夢。


朝日が差し込む。


まだ眠っていたいと、朝が弱い私は瞼を強く閉じ、目覚めを拒む。


お母さんの声がする。


それからぱたぱたと2人の足音が聞こえてきて


これはもう起きずにはいられなくなる。




!」


「まーたお寝坊さんしてる!」




肩を容赦なくぶんぶんゆすって二人の兄弟は屈託なく笑った。


んー、と寝起き特有の乾いた声で起きる意志だけを見せると


弟のほうは母親に報告に行ったようだった。


キッチンから香るのはベーコンエッグ。


きっとカリカリに焼けたおいしい仕上がりだ。




「おはよ、。顔洗って来いよ」


「おはようエド。洗面所までおぶってよ」


「ばーか」




いつも通りの冗談を小突いて返すのは兄のほう。


弟のほうも腰に手を当てて困ったように笑うのは目に見える。


ちぇ、といじけると朝の支度をそそくさとはじめた。




「どうせ夜遅くまで文献読んでたんだろー」


「…さーどうかしら」


「その感じは絶対読んでるな。今確信した」


「そんなに遅くまでじゃないもん!」


「じゃあその目の下のクマはなんだよ!」


「これは…ビ、ビタミン不足で……」


「明らかにその色は睡眠不足からくる血行不良だっつの」




ああ言えばこう言う。


私は彼に口げんかで勝ったことはない。


そんな私を見かねてウィンリーちゃんが負かすことは


何度かあるけど。


いつもこんな風に言いくるめられる。


それが悔しくって文献を読み漁って少しでも話ができる


ように勉強だってしてるのに。それこそ錬金術とかさ。


なのに全然かないっこない。


私はもう、と吐きだして顔を洗ってふかふかのタオルで拭いた。




「で、昨日はどんなの読んだんだ?」


「元素図と相対性理論とかなんか掻い摘む感じで」


「あぁ、あのへんな。理論ばっかで難しいよなー」


「去年のうちに読み終えてるエドに言われてもちっとも嬉しくないわ」


「あぁそう。でもだって最近になって結構読み込んでんじゃん」


「それは――」




言いかけて、やめる。


少しでも、いろんな話をしたいから。


なんて、言えない。


言わない。


なんだよ、と首をかしげる兄に私は「なんでもない!」と


言い放ってせっかく起こしに来てくれた彼を無視して席についた。




「…何でもないもん」




それだけ言うとそうかよと言い放ち、朝食をはじめる。


お母さんと弟は何事かと一瞬顔を見合わせたが


すぐにいつものそれだと気づき笑顔に戻る。


温かい家庭。


おいしいごはん。


時間。


食事が終わると兄弟とともに書斎にこもるか、外で日が暮れるまで遊ぶ。


お母さんが懐中電灯を使って帰りのサインを出すまで。









夕焼け。




「考えことか?」


「まぁね」




鈴虫の鳴き声。




「この感覚ってさいつかは忘れちゃうのかなってさ」




帰り道。


二人で歩く。




「…なにそれ」


「こう…幼き日の記憶ー的な」




橙。




「老けてんなー。本当に同い年かよ」


「もーそういうこと言うから話したくなかったの!」




薄闇の夜。




「あるじゃんこの空の高さとか、風の柔らかさとか、


 悪戯して怒られたこととか、熱のときに看病してもらったこととか


 嬉しかったこととか、哀しかったこととか、忘れちゃうのかなって」




一番星が光る。




「忘れちゃうって、哀しいなぁっていうね」




きらり。


きらり。




もうすぐ今日も終わる。




「そんないっこいっこ覚えてられっかよ」


「…」




ぱちりと目を合わせる。


金色の瞳。


間近で見ると少し緊張した。




「時間なんてこれから何十年ってあるのにさ」


「…。」




聞いた時期が後10年ぐらい遅ければ。


それはプロポーズにでも聞こえたのだろうか。


これから何十年ってあるその時間を共にする約束をされたような。


そんな色恋めいた言葉にでも聞こえたのだろうか。




「ねぇ、エド」




ん、と返事をするのは優しい声。


私はいつだって意地っ張りで。


素直に甘えることなんて到底できやしないけど。


でも。




「エドが忘れちゃっても、私がみんなの事忘れないから」




夜。


フクロウの鳴き声。


帰り道。


手をつないだ。


温かかった。


人の肌のぬくもり。


柔らかさ。


満たされる気持ち。


忘れたくないって思ったこの一瞬。


一瞬。




「ばーか」




いつも通り。


彼はそう一言つぶやいた。














 +














温かい夢を見た。


涙の痕が頬を濡らしていた。


上半身を起き上がらせると私は懐かしいあの時を思い出して


ほんの少し目を閉じてかみしめた。


胸がきゅっと閉まる。




朝日。


あれから何年もの時がたった。


二人とも最年少国家錬金術師として名の知れた学者になった。


お互い決して楽ではない道を通ってきた。


道は違えど、だ。




ガシャ、と音がして薄く目を開く。


音の主のアルフォンスといえばそんなつもりではなかったのだと


少し慌てるように手を振って「わわわわ」と言った。




「あら、おはようございますアル」


「ご、ごめんね。。起こすつもりじゃなかったんだけど」


「たまたま起きただけですわ。私ったらまた…」




ベッドの周りに散らばる文献の山を見て、ふぅと息を吐く。


読みふけて、そのまま寝落ちてしまうのは相変わらずのようだ。




「アルが運んでくれたんですの?」


「んーん、気づいたのは僕だけど運んだのは兄さんだよ」


「あら、エドが?」




そばにはソファで眠るエドワードの姿も。


少し悪いことをしたなという気分で、ソファに歩み寄った。


さりげなく残った涙をぬぐい平然を装う彼女にアルフォンスが




、あの…」




と切り出す。




「?」




小首を傾げて返すとアルフォンスは少し渋って、ただ一言尋ねた。




「…はどうしてそんな哀しく笑うの?」




微笑み返す。


他の言葉が見当たらなかった。


言葉が喉のあたりでつまって、また胸がきゅっとなった。




『 忘れちゃうって、哀しいなぁっていうね 』




言えない。言わない。


もうこの人たちが私と過ごしたあの日以前の記憶を思い出すことはない。




「きっと気のせいですわ、アル。さ、顔を洗わないと」




そういって洗面所に足を運ぶフィール。


拭いたタオルは硬く、冷たく、あの温かい夢などすっかり忘れさせた。














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