(2020/12/07)
1.これも何かの縁
「あら、コンにちは」
右手の親指、中指、薬指をぴったりとくっつけ、狐の面をかぶった少女は凛と言い放った。
まるで指で作られた狐が喋っているかのように口の部分をパクパクとさせながら彼女。
ぴったりと顔全体を覆うお面のせいで表情は見えなかったが、耳を震わせた声色はとても朗らかで、この場に不釣り合いなほど柔らかいものに聞こえた。
「てっきり七海君か猪野君が来てくれるかと思ったんだけどなぁ。ちょっと予想が外れたや」
声色は明るい。
まるで学校で好きな歌手やテレビ番組でも話しているかのような緊張感のなく酷く浮いていた。
不安定な足場に思わずバランスを崩しそうになりながら、少女のいる中心部へと足を進める。
元々は病院だったはずのその空間は呪いを一気に集めたまま時が止まったように静かで、そのせいもあり、目の前の初対面の少女を不気味に感じさせる。
「――あ、君の援護が不満ってわけじゃないよ!はじめましてだねっ!私は、来週から呪術高専に入学する1年生!…こんな状況じゃなかったらちゃんと挨拶したかったんだけど、そうもいかなくてさ」
彼女の喉を噛み千切らんとばかりに集結した呪いはどれも2級相当のもの。
しかし、それらの呪いの群れは文字通り“縛られて”おり、彼女――の呪術によるものというのは一目瞭然だった。
の呪術…手印により具現化された無数の注連縄は一匹残らず呪いを拘束して動きを完全に封じていた。
「ツナ」
「ん…?えっと」
「た、高菜…」
狐の面で表情は見えなかったが、自分の発する言葉に疑問を感じたのは肌でわかる。
しどろもどろしながら、どうにか身振り手振りで「よろしく」「大丈夫なの?」という意味の挨拶を伝えると彼女は数秒思慮したのち「あぁ」と短く息を吐いた。
「もしかして狗巻棘君かな?悟君が話してた気がする!なぁんだ、同級生じゃん。同じ1年生同士仲良くしようね」
「しゃけ」
「うんうん、よくわかんないけど多分“いいよー”って事だよね!わーい、さっそくお友達が出来ちゃった!」
「しゃけしゃけ」
同級生、という割に子どもじみた反応に気が緩みそうになるが、ここは帳の中。
目の前には複数の呪い。
今にでもその牙が、爪が彼女の息の根を止めようと首元に伸びている。
が動きを封じているというものの、悠長に挨拶をしている場合ではないようだ。
助太刀するようにの傍に駆け寄る。
彼女の声は明るいものの、近づいてみるとふーふーと細かく息を吐いて肩が揺れていた。
一体どのくらい長い間ここにこうして呪いを縫い留め続けていたのだろう。
―― ゲテ ダダダ ズ ケテ
「うっ!」
ぶわり、と生暖かい不快なほどの呪力が2人を襲う。
「―― 爆ぜろ」
が意識を飛ばして呪術を解いてしまわないように歯を食いしばるのと、棘が呪言で呪いの一部を吹き飛ばしたのはほぼ同時だった。
砂埃が舞い、思わず二人は視界を閉じてその風圧に耐えた。
呪いたちの残響が落ち着いて目を開けると、そこにはまだ半数程度の呪いが残っており顔を顰めた。
焼けつくようなのどの痛みにむせかえる棘。
「すごい…初めて見たや。カッコイイね、それ」
「すじこっ!」
「うーん、なんか怒られてる気がする。そんなこと言ってる場合かーみないな?でも、狗巻君だって声が…」
「こんぶ!」
「……」
自分は平気だという意味を込めて手で制してみるが、目先の彼女のリアクションは薄かった。
上下する肩の勢いが先程とは段違いなものになっている。
棘は目を見開くと、くらりとよろけそうになる彼女を支えるように「高菜!」と叫ぶ。
朦朧としつつも手は呪い目掛けて印を結んだままの彼女から乾いた笑みがこぼれる。
「また悟君に怒られちゃう。…へへ、ちょっと呪力足りなくなってきちゃったや」
「ツナ!」
「…そんなに叫んだら喉痛めちゃうよ。せっかく素敵な声なのに」
「…っ」
この状況で何を言っているというのだ。
の限界が近いのか呼吸が段々と荒くなる。
彼女のいう事は本当のようで、刻一刻と呪いが2人に迫って来ていた。
時間がない。
もう一度――今度は反動なんて気にせず強い呪言を使うためにネックウォーマーを下げると、傍らの彼女がそれを制した。
「これも何かの縁、か」
「いくら?」
「…狗巻君、私と縁を結ぼう。 私にあいつらは祓えない。それに呪いを縛ったまま無傷で逃げ切れるほどの呪力も残ってない。一時的にでも縁を結びさえすれば、私の呪縛で捕えてる呪いに呪言の効果はきっと必中になる。そしたら任務は達成、ここで意識飛んじゃってもすぐに誰かが駆けつけてくれるから万事解決」
「おかか…」
「大丈夫!ちゃんと呪いを祓った後に、狗巻君と無理矢理結んだ縁もちゃんと解くから」
私に賭けてみない?
はそういって最初と同じように狐の形に指を結んだ。
そしてそれを棘に向かって差し出した。
契約の合図なのだと、棘にもわかった。
どうすればいいなんてわからなかったが、自分も同じように狐の形に指を結んで彼女のそれとくっつける。
狐同士がちゅ、と触れ合った時、自分の体の深いところでじわりと焼けつくような熱いものが流れていく感覚に襲われた。
溶けるように熱いのに、まったく嫌悪感を感じない。
むしろ心地よかった。
その確信めいた“絆”のようなものを感じて、それは間違いなく自分と彼女の中に共存しているものだった。
目の前の彼女と深いところで繋がっていることを意味しているのか芯から温かく、心を潤わせる。
危機的状況なのに、心の内は春が訪れた様に穏やかだ。
「よろしくね、狗巻君」
ぷつん、と糸が切れるようにの体は沈みこんだ。
術者の意識が遠のいていき、彼女の注連縄も段々ゆるく、ほどけていく。
棘は彼女の華奢な体躯を間一髪のところで受け止める。
迷わずネックウォーマーを下げ「消えろ」と吐き捨て、すべてを終わらせた。
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ぽちり