(2021/6/04)
12.糸の端
ゆっくりしとけよ、とマグカップ片手に離席した硝子さんを見送りやることのなくなったは再びベッドへと沈みこんだ。
薄くてかたいマットに頬を押し付けると、張り詰めていたものがゆっくりとほどけていき、疲れと眠気が一気に襲い掛かる。
体が鉛のように重い。
少しでも体を預けてしまえばそのまま意識までもあちらの世界へ引っ張られてしまいそうだ。
瞼の隙間から覗く医務室の風景は段々とその間隔を狭めていっている。
…あと数分を持たずとして眠りの中へと連れていくだろう。
こんなところで休んでいる場合ではないのに。
(あーあ、また怒られちゃう)
どうせ呪力がある程度回復するまでは悟君あたりが任務ストップさせるだろう。
の場合、術式はSSRでもランクと体力が初心者レベルだからね、というなんとも言い得て妙な例えをされたのは記憶に新しい。
(もっと役に立ちたいのに)
守れるものが、もっとたくさんあるはずなのに。
禅院家相伝、呪糸操術。
その使い手だった母は呪術師として、母としての責務を全うした。
それだけでなくかつては未来を担う多くの呪術師を育て、見守っていたと聞く。
憧れの存在だ。
その背中はいつも温かくて、優しくて、大好きだった。
『 また自分から解いちゃったんだって? 』
が縁が可視化できるように、環奈もまたそれが出来た。
解いてしまった糸の端を握ったままだったに母は責めるわけでも慰めるわけでもなく言った。
『 怖いよね。相手が大切な人なら特に。いつ解けてしまうかもわからない、力を込めすぎて相手を縛り付けてしまうかもしれない 』
何も言えないままでいた自分の思いを母は言葉にしてくれた。
糸の端を持つ手が震える。
人と結ばれることはいつだって怖い。
『 疑っちゃうんだよね。相手じゃなくてさ、自分を。解くのも縛るのも見えてしまうから余計に。――自分の最後までこの人の事を信じていられるだろうかって 』
生まれ持ってのこの体質だ。
見えてしまうんだもん、縁が。
相伝と言えば響きはいいが、これは生まれ持ってしまった呪いだ。
人との縁が見えてしまう呪い。
人との関係が可視化できてしまう呪い。
『 でもさ、せっかくなら―― 』
――疑うより、信じなさい。
ならきっと大丈夫だから。
母の言葉が意識の奥のほうで溶けていく。
まるで鎮静剤のように自身の高ぶる感情を落ち着かせてくれる。
温かさ。
優しさ。
深い愛情に安堵する。
(ごめんね、棘君)
自分の事、信じられなくて。
貴方の事、信じられなくて。
折角つないでいてくれたのに。
ごめんね。
解いてしまった糸の端を握り締めての意識の海へ沈んでいった。
「――ごめんね、棘君」
耳を澄ましていないと聞き落としていたかもしれないほどの小さな謝罪にぴくりと小さく息を呑む。
眉根に皺が寄り、唇は固く結ばれ、血色が悪い。
まだまだ体は本調子ではない様子の彼女を一つの影が静かに見下ろした。
目尻に溜まった一滴がつぅ、と伝ってシーツにシミを作っていて、無意識のうちにそれを拭っていた。
何か夢でも見ているのだろうか。
任務をはしごし、呪力は極限まで使い果たし、過労で倒れて運ばれたと聞いている。
何度か足を運んだものの彼女の意識が戻ることはなく、心配は時間とともに増していった。
同級生の真希はぶっきら棒に「あのバカ」と悪態をつき、あからさまに不機嫌を露呈していたし、パンダも「は頑張り屋だからなぁ」とそれを宥めながらも心配している声色だった。
「…」
こういう時、気のきいた言葉が伝えられたらどれだけいいか。
自分の吐いた言葉は全て呪いになって届いてしまう。
呪力の欠いた今の彼女には効果覿面だろう。
言いたい事は山ほどあった。
伝えたい事も。
想いも。
でもすべては彼女が目を覚ましてからだ。
今は少しでも。
“ いい夢が見れますように ”
願いを込めて額を撫でる。
微かに開いた形のいい唇から規則正しい寝息がこぼれていてほっと胸を撫でおろした。
遠くで人の気配が動いたことに気付いて、名残惜しそうに静かにその場を後にする。
後ろ手に医務室の扉を閉めると、そこにいた担任を見上げた。
「ここにいたんだ、棘」
「こんぶ、すじこ」
「え?白々しいって?まぁね、僕くらいになれば大方予想はついてたよ」
「高菜」
「でもの方はそうじゃないだろうなー」
担任の発言に棘は何も答えなかった。
ほんの少し目を伏せて、ポッケの中の飴玉をきゅっと握りしめる。
そんな棘に満足げに五条は笑いかけた。
「――」
って、僕が言わなくても棘はわかってそうだね。
なんて言う担任に棘は「しゃけ」と短く返した。
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ぽちり