(2021/2/10)









 9.帳消し









高専に戻るべく伊地知と合流した二人だったが、伊地知は急な仕事の連絡がありほんの少し待たせてしまうという事だった。

まだ肌寒いこの季節、後部座席で待っているように気を遣ってもらったが、せっかくまだかかるのであればとは伊地知に何事かを提案する。


「構いませんよ。お手間を取らせて申し訳ありません。終わりましたらさんの携帯に連絡しますので」

「はいはーい。流石伊地知君!仕事が出来るから人気者だ」

「…それ、絶対思ってませんよね」

「さ、狗巻君行こう行こーう!」

「あっ、ちょっと」


伊地知が何か言い終わる前には棘に声を掛けて目的の場所へと手を引いて逃げるように走った。

可笑しくなってしまってついつい口の端から笑い声がこぼれ落ちてしまう。

そしてくすくすという別の笑い声が聞こえて振り返ると、棘も押し堪えたように笑いながら目じりの涙を拭っているところだった。


「食堂で話した時も思ったけど、狗巻君の笑った顔っていいね」

「ツ、ツナ?」

「うん!なんだか私まで楽しくなっちゃう」


気持ちが伝染する。

心地よい、と感じるたびに“縁を結んだから”という呪いの言葉がの脳裏に過った。

呪いであれば、この感情はまがいものだ。

ならばこの空気も、手の温度も、共に過ごす時間もニセモノになってしまうのだろうか。


(そんなのイヤだな…)


居心地がいい。

こんなこと、同じく縁結びの関係でいる五条にはない感情だ。

は一旦余計な思考を振り切るように頭を振る。


「ちょっと買い物に付き合ってくれる?見たいものがあるんだー」


がそう言うと、彼は「しゃけ」という言葉で肯定した。




 +




「えっと、薬コーナーっと」


着いた場所はドラッグストアだった。

都内とは思えないほどの長閑な街だけあってこじんまりとした印象だったが、目的のものを買うには問題ない。

店内は最近流行りのJ-POPが流れており、時間帯もあってか人はまばらだった。

棘も何か買い物があるらしく店内に入ってからは繋いでいた手を外して別行動となり、は鼻歌交じりに目的の場所へと足を進める。

風邪薬が多く並ぶコーナーだった。

陳列棚に並ぶいくつかの商品の中から手に取ったのは「ノドナオール」と書かれたドリンク。

ついでに、と寮に戻った時に食べるお菓子が数点。

あっという間にレジを終わらせるとレジ袋を片手に周囲を見渡した。


「いくら」

「あ、狗巻君の方が先だったんだ!ごめんね、待たせちゃったね」


同じくレジ袋を手首にひっかけた彼はもう片方の手を振って居場所を知らせた。

気だるげだった瞳が柔らかく細められるだけで、胸がぎゅうっと締め付けられる。

無意識のうちに頬が緩んでしまう。

は、誤魔化すようにレジ袋の中から例のものを取り出すとはい、と棘に手渡した。


「はい!これ」

「高菜?」

「硝子さん、今日は出張でいないって聞いてるからさ。だからその場しのぎかもしれないけど」


ノドナオールの瓶を手渡すと、彼は受け取るや否やキャップに手を掛け一気に飲み干した。

ごくごく、と喉が鳴るのを呆然と見届ける。

棘は見事一気飲みを果たすとピースサインをしてみせた。


「びっくり。まさか一気飲みすると思わなかった…苦くない?平気?」

「しゃけ」

「あ、声だいぶ良くなったね!よかったー!」

「しゃけ!」

「はい、これでこの前の借り1は帳消しだからね!」


借り1、と聞いて棘は思い返すように宙を見上げて顔をはっと上げた。

食堂で奢ったうどんのことだ。

別によかったのに、と言わんばかりに棘は手をひらひらしたがはニコニコ笑うだけだった。

もう一度棘は視線を宙へやると自身のレジ袋の中から何かを取り出しに差し出した。


「え、私にくれるの?」


しゃけ、と短く返す。

手渡されたものを両手で受け取る。

手のひらにすっぽり収まるそれはハンドクリームだった。

買ったばかりなのか「保湿力アップ」、「ひどいあかぎれに」と書かれたシールも張ったままだ。

これCMで見たヤツだー、新しい匂いが新発売されたから気になってたんだよねぇ、なんて考えてはっと現実に呼び戻される。

違う違うそうじゃない。


「いいの!?」

「しゃけ、すじこ、いくら」

「ええっと…」


いまだに彼の言葉はよく分からない時がある。

はいかいいえで答えられるような簡単なやり取りならともかく、2語文、3語文となればもうすぐには返答できなくなる。

棘は伝わっていないことを察して、思慮した後棘はたった今飲み終えたばかりの空き瓶を指差し、それからの手を指した。

お、れ、い。

声にすることなく口を動かすとようやくにも伝わったようで棘は安堵の息を吐いた。


「そしたら帳消しじゃなくなっちゃんじゃん…」

「おかか!」

「…もう、ありがとう。大事に使うね」


はそう言って早速キャップをひねってクリームを手の甲に落とした。

手に馴染ませる様に揉みこんでいくとふわりと甘い蜂蜜の香りが鼻腔をくすぐる。


「わぁ、すごいしっとりする」


べたつかず、よく馴染み、香りもよい。

うんうん、これはいいものをもらっちゃったぞ、とご機嫌になってしまう。

棘はご満悦なの手をすくいあげると、本当だ、という意味を込めて「しゃけ」と言った。














お気軽に拍手どうぞぽちり inserted by FC2 system