(2020.03.09)(修行時代)
握り飯
「師範、お漬物食べ過ぎちゃダメですよ」
いただきますと合掌した後、開口一番が言う。
血圧上がっちゃいますからね、とが続けると、桑島師範は渋るように唸りながらもチェックの厳しい弟子に対して二つ返事を返す。
そんな師範思いな彼女に対し、面白くなさそうにしたのは兄弟子の獪岳で「俺が言おうと思ってたんだ」と小言を聞かせた。
「…、お前師範にこんな骨の多い魚食わすんじゃねぇよ。喉につかえちまうだろうが」
「ご心配なく。師範のは小骨に至るまでひとつひとつ下処理済みです」
「俺のは」
「文句があるならご自分で作られたらいかがです?女にしか出来ないことは子を産むことだけです」
「あぁ?テメェまたつまんねぇ事を…表出ろ!」
ここでいつも通り桑島師範から「食事中によさんか2人とも!」と雷が落ちる。
そうして、2人ともバツが悪そうに顔を歪めてしゅんと反省したように大人しくなるのだ。
2人の言い争いなんて日常茶飯事、いつもの事。
何の変哲もないいつもの光景だ。
師範に叱られた後は、それはもう2人とも物言いたげに(実際どちらも引かないところがある)黙々と食事をとり、互いを視界に入れないようにしているようにも思わせた。
「おい」
「…はい」
「ん」
「獪岳兄さん、それ」
「…自分で取りやがれ。ほら」
「ありがとうございます」
「………」
目の前で行われた短い言葉でのやりとりに思わず息を呑む善逸。
大したリアクションもお互いしていないと言うのに、短い言葉では獪岳から差し出された茶碗に適量ご飯を盛り、そのついでにと、なんだかんだ小言を言われながらも醤油の小瓶を受け取った。
(俺がおかわりついだら多いだの少ないだのケチつけるくせに)
に対してはそれはない。
否、かつてはあったのだろうが、長く同じ屋根の下で門下生をしているうちに自然と会得した技術のようで、口を開けば口喧嘩ばかりの2人もなんだかんだ互いに認め合っていたりする。
信頼関係、と言うものを見せつけられて(はじめはただ2人の喧嘩に萎縮してしまっていたけど)遅れて弟子になった身としては早くそちら側に行きたくて仕方がなかった。
そう、そんなことは日常茶飯事。
だからあの日はちょっと特別だった。
「おい、そこら辺で伸びてる奴ら探して来い」
日も暮れて、も夜ご飯の準備を終え人数分の配膳をしていた頃、屋敷に戻った獪岳が開口一番言い放つ。
の目の前には出汁のきいた味噌汁と炊き立てのつやつやご飯。
誰がどう見たって今から頂く直前のそれだったが、は兄が食事の前についたところを見ると黙って食器を空にした。
「わかりました。師範、申し訳ありません、少し出てきます」
「うむ、もうじき暗くなるから気を付けなさい」
「はい、すぐに戻ります。先に召し上がっていてくださいね」
「…えっ、姉ちゃんご飯は?」
「善逸も気にせず先にどうぞ」
目の前に出来立ての食事があったにもかかわらずお預けを喰らい、挙句の果てに兄弟子からは顎で使われる始末。
それなのには文句も言わずに善逸ににこりと笑みを返して戸を閉めた。
その辺で伸びている…原因でもある兄弟子の獪岳は悪びれた様子もなく師範についで白飯をつついている。
閉ざされてしまった戸を見つめ、言葉を失ってしまった善逸に獪岳は「アイツも気にすんなっていったろ、早く食え」と急かしてきた。
(じゃあ姉ちゃんは誰と食べるんだよ)
腹は減ってる。
それはもうホカホカと湯気立つ美味しそうな匂いによだれも出るし、正直なお腹もぐうぐうと音を鳴らして止まない。
それをじっと見つめて、善逸はぐっと膝のすそを握り締めた。
+
「え、もしかして待ってたの?」
は思っていたよりも早く屋敷に戻ってきた。
とはいっても当然夕食はとうの昔に終わってしまい、日は完全に暮れ、善逸を残してその場にはだれもおらず静まり返っていた。
「姉ちゃんおかえり。大丈夫だった?」
「あぁ、完全に伸びてたから叩き起こして今、風呂に放り込んできた。…あいつ等、間違いなく獪岳兄さんにやられたんでしょうね」
「そうなんだ」
へぇ、と曖昧には返した善逸だったが恐らく後から屋敷に戻った二人はここ数日、女であるに対してよく思ってない節がありよく反発的な態度を取ったり陰口を言ったりしていた輩たちだ。
人より耳のいい自分は勿論その事を聞いていて知っていたし、彼女もまた勘のいい人だから気付いていたことだろう。
「善逸、お汁茶碗持ってきて」
「どうすんの?」
「待っててくれたのなら一緒に食べよう。味噌が煮立っちゃうかもしれないけど、温かい方がいいでしょ」
は慣れた様に襷で袖を結びなおすと手洗いを済ませ大鍋にとうの昔に冷めてしまった善逸の汁を混ぜてしまう。
温めている時間を使って、冷や飯を手に取りおかずの鮭を使ってあっという間に握り飯を作り上げる。
汁や具材が焦げないように様子を見てかき混ぜながら黙り込んでしまった善逸に、はおにぎりの数を増やしながらぽつりぽつりとつぶやいた。
「やり方はあれだけど、とっちめてくれたのには感謝かなぁ」
「え?」
「獪岳兄さん。やり方は別にして、ね。…ほら、そもそも女の鬼狩りって結構少数派だし、人によっては物珍しく見えるんじゃない? 同じ訓練したって同じ量食べたって筋力とか体格には結構差が出ちゃうし、圧倒的に力も弱い。それなのに手合わせでは勝てないし、口では負けるし、これはもう不貞腐れたくもなったんだってさ」
舐めんなって話よね、と姉ちゃんは笑う。
正々堂々と自分の時間を割いて稽古に向かう陰の努力家のは寝る間も惜しんで鍛錬していたりもする。
そのくせ誰が起きるよりも早く屋敷に戻り朝食を作り、日が暮れる前には必ず夕食を作りに戻った。
それをとやかく言う奴らがいるというのだから、目に余る言動についに獪岳の堪忍袋の緒が切れたとか、そんな事情らしい。
「善逸、もう火を止めていいよ。食べよっか」
「俺注いでいくから姉ちゃんはもう座っててよ」
「はいはい。あ、じゃあ私声かけてくるから4人分お願いね」
「え。あの人たちも一緒に食べるの?」
「ご飯は皆で食べたほうが美味しいのよ」
自分が同じ立場だったらどうしただろうと善逸は一瞬考えた。
けれども何十回考えたってのような考えには至らない自信があった。
は玄関先で申し訳なさそうにする2人を招き入れると、もうすっかり反省の色を浮かべる弟弟子たちを優しく迎え入れていた。
(姉ちゃんには敵わねぇや)
姉ちゃんからは変わらず愛情深い音がする。
それが耳に心地よくって、自分まで心の奥のほうがぽっと温かくなった。
善逸はそんなの事を誇らしく思うと、4人分の鮭おにぎりとお味噌汁をお盆にのせて足を進めたのだった。
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