(2020.2.17)(修行時代→原作初期)
音に酔う
嵐の夜だった。
戸を喧しく叩きつける大粒の雨粒に隙間風。
それは体を萎縮させるには十分のもので、その日善逸は布団を頭から被って震えながら耐えていた。
離れた場所には兄弟子たちの姿。
自分以外の者は日々の訓練で体力を相当消耗してしまっているのか、こんな大嵐の音くらいでは到底起きる事はなさそうなご様子。
摩耗した意識の中で善逸はただ一人「起こしてはいけない」という思いだけでただ時が経つのを懸命に待っていた。
もういっそ気を失ってしまえたらどれだけ良いか。
他人より色んな音を吸収してしまう自分の鼓膜を恨めしく思いながら、落雷の音にまた体をびくりとさせる。
そんな時だった。
「あ…ごめんなさい。すぐに寝る、から」
人影がすぐそばまで来ていたことにすら気づかない程混乱していたのかとはっとなる。
知らずのうちに何かを口走っていたのかもしれない、歯をカチカチ鳴らしていたかもしれない。
また兄弟子に叱られてしまうと咄嗟に言い訳をしてその影を見た。
(え…姉ちゃん?)
夜もだいぶ深い。
であってもこの時間は訓練の疲れでしんどいはずなのに、目の前の彼女は他の兄弟子に配慮してか口元に「しぃ」と人差し指を押し当てたかと思うと両方の手を善逸の顔へと伸ばした。
両耳に押し付けていた自分の手の上から、覆うようにの両手が触れる。
寝起き特有の温かさに自分の手がそれ以上に冷えていることに気づいた。
「大丈夫。今は私の音だけ聞いてなさい」
刺激を遮断する温かい手。
ボロボロと押し堪えていたものが溢れてしまったけど、その夜だけはお咎めはなかった。
自分の手をすっとおろすと、彼女の温かい手が直に耳に伝わりひどく安堵した。
まるで彼女の温かさが溶け出して自分の中に入っていくよう。
染み渡った温かさがそこから全身に伝わって、気づけば今まで自分の耳を喧しく叩きつけていた外の音が一切遮断されていた。
今まであれほど自分で耳を塞ごうが、布団を被ろうがお構いなしだったのに。
「姉ちゃんの手はあったかいねぇ」
「…」
目の前の影が少し笑った気がする。
暗がりで全く見えなかったが、彼女の音は言葉や行動に反して心細さや心配の音をしていた。
あぁ、自分だって怖いはずのに。
「大丈夫、大丈夫」
その晩、は自分が寝付くまで傍にいて音を聞かせ続けてくれたのだった。
+
「え、すごく顔色悪いけど大丈夫?」
鬼討伐で絶賛負傷中のは下宿先でもある藤の花の家紋の家の門をくぐった。
部屋の襖を開いた瞬間、炭治郎の第一声だった。
下宿している4人(+1人)の中で最も傷の治りが早かったは、近くの街で市が開かれると聞き、喜々として家を出ていったというのに、帰ってきた姿は正反対のそれ。
顔はげっそりとして青白く、笑ってはいるがひどく疲れているようなそんな顔色だった。
心配そうに善逸が眉を顰め、伊之助はその隙に彼の食膳からおかずを奪い取ることに成功していた。
「んー市が開かれるって言ってたから簪がないかって探しに出てたんだけど、なかなか見つからなくって」
「あの鈴が付いたやつ、姉ちゃんのお気に入りだったもんね」
「前の戦いで鬼に握り潰されてしまったんだっけ?」
「そうそう。四六時中つけてたから、付けてないとなーんか落ち着かなくって」
音の反響を頼りに日常生活を送っていたといっても過言でもない。
鈴ではなくとも反響できるものであれば何でもよかったはずなのに、体に慣れ親しんだものがやはり負担がないらしく、好ましいとの事。
「見つからなかったんだ?」
「いや、あることはあったんだけど…」
はそう言って、その店頭でのことを思い返して苦笑する。
あることにはあった。
それも選びたい放題なほど無数の数が。
専門店ともいえるその店に、形もさることながら色、音、大きさに至るまでそれはもう多種多様ものが揃っていた。
どうせ常に身に付け、戦いの時にも要になるものだからと今までに近いものを選びたいとしていた結果、音に酔ってしまった。
無数に飾られた鈴たちが奏でる音の反射は病み上がりのには酷い刺激だったようで、結局一番近いものを見つける前に根負けして帰路についたようだった。
「うぅ、まだ眩暈が…。ちょっと横になってるけど気にしないで放っておいていいから」
「おい、お前飯は食わねぇのかよ」
「私の分は伊之助にあげるからお食べなさいな」
「…お、おう」
「うん。何か俺たちに出来る事があったら言ってくれ」
「ありがとう炭治郎。みんなおやすみ…」
お休み、姉ちゃんと言うや否や彼女はぐったりとしたまま隣の部屋(いつの間にか家主の計らいで敷いてあった)の布団に沈んだ音が聞こえた。
鼻をクンクンとさせていた炭治郎も音酔いに参っている彼女を心配するようにしゅんとしていて、伊之助でさえも黙ってじっと襖の向こう側を見ていた。
「…」
いくらか減ってしまった白飯を口に詰め込んでごくりと呑み込むと箸を置き善逸は立ち上がった。
ずきりと足が痛んだが、構わず羽織に袖を通して襖に手を掛けた。
「ん、善逸、どこかにいくのか?」
「…散歩だよ。姉ちゃんの様子見といてくれ」
「あぁ、わかった」
陽はまだ高い。
万全じゃないときの人ごみは得意じゃないが、早くいかないと目当てのものが売り切れてしまうかもしれないと思うと、善逸は痛む両足を前へ前へと進めるのだった。
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ぽちり