(2021/08/10)(獪岳)









 恥さらし









「舐めてんのか、お前」


私が予定よりも早く鬼殺隊の入門試験を受けることを打ち明けると、開口一番に兄弟子はそう言い放った。

それは兄弟子である自分と同じ日に受験する、ことについてなのか。

はたまた大した実力もないのにその腕で鬼殺隊になろうとしている、ことについてなのか……おそらくは「全部」だろう。

全部が気に入らなくてバッサリと一蹴した、そんな感じだろうと長く弟分としてともに修行していた期間がそう思わせた。


「舐めてなんかいません」

「じゃあただの阿呆だな。俺から一本まともに取ったこともない奴がどの口で言う」

「もとより厳しい世界だというのは承知の上です。師範も認めて下さいました」

「…!…雷一門の恥さらしになるのが関の山だ」

「ではその時はどうぞ恥さらしだと笑い飛ばしてください。話は以上ですのでおやすみなさい」

「おい待て、まだ話は――」


盛大な舌打ちを背に受けて強引に襖を閉めて遮断する。

これで、いい。

ずっと考えていたことだった。

それに遅かれ早かれ門を叩くつもりだった。

それがほんの1年ばかし早まっただけの事。

今まで以上に死ぬ気で稽古に励むしか他はないんだ。


―― 母が逝った。


間に合わなかった。

傍にいられなかった。

死に目に会うことが出来なかった。

決して怠けていたわけでも、休んでいたわけでもないが、あの時あの瞬間何か自分に出来たことがあったのではと思うと後悔が胸の内で渦を巻く。

師範が鬼狩りになるという事を条件に私を“買ってくれて”早一年。

不治の病だと医者は言った。

痛みや苦しみを和らげる薬はあれど、治療する薬はないのだと。

それでもいい。

その薬を手に入れるためには13歳という少女には予想もつかないほどの膨大なお金が必要だった。


(通夜は終わった。葬儀も無事に。あとは私が結果を出せばいい)


死ななければいい。


「なにこんな時間にこそこそやってんだ」

「…どこぞの獪岳兄さんを見返さないといけませんので」


右手には刀。

の目の前には切り落とされた幹たちがごろごろと転がっていた。

手のひらは月明りでもわかるほどに肉刺が潰れてただれており、女の手とは思えないほど血だらけで見れたものではない。

獪岳はその光景をきつく睨むと右手に持ってた手拭いをに投げつけた。

それはの顔面に命中し、びしゃりと濡らした。

勢いで弾かれた水滴が頬、顎と伝って地に落ちる。


「そんなツラで二度と刀を振るな。師範に教わった剣術はそんなんじゃねぇだろ」


恥さらしが。

たった一言だけ吐き捨てて獪岳は音もなく闇夜に消えていった。

叩きつけられたばかりの濡れた手拭いを拾い、真っ赤に腫れあがっている目元に押し付けた。

悔しい。悔しい。悔しい。


「…悔しい」


今すぐにでも力が欲しい。

鬼を切れる力を。

家族を。

大切なものを護れる力を。


押し付けた手拭いからぽたりと雫がこぼれて、袖を容赦なく濡らしていく。

それが獪岳なりの優しさであったことなど、近くでずっと見てきたがわからないはずがなかった。




 +




―― 生きてさえ いれば




またあの夢だ。

その定義は酷く曖昧で、実際に見聞きしたものなのか、空想上の中の情景なのかもう今になっては思い出せなかった。

真っ暗闇の中。

音も光も匂いも温度ももう思い出すことは出来ないけど、たった一言「生きてさえいれば」その一言だけが耳の奥に張り付いて離れない。


(生きてさえいれば)


唇が“彼”の言葉をなぞる。

鬼が蔓延るこのご時世、ただ生きているだけでも困難極まりないというのに。

自分が飛び込んだのはそんな鬼の頚を狩る鬼殺隊という世界。

その中でも柱候補に当たる“甲”にまで上り詰めたここまでの道のりは険しいものであった。

振り返れば鬼の頚と同志の死体の山。

目の前には終わりなき道が一本、いつまでも続いていた。

気が遠くなりそうな日々を忙しなく過ごすにとって「生きる」という言葉がずっしりと圧し掛かる。


―― 生きてさえ いれば


唇が記憶をたどって動いていく。

あぁそうだ。

私はこの言葉を実際に聞いている。

あの日。

あの時。




あの血も凍るような山積み死体が並ぶ地獄の中――。




私もあと少し遅ければ同じくあの場に転がっていたであろうあの瞬間に。

耳にしている。

見上げた時に映ったのは上弦の月。

赤。

身の毛がよだつほどの恐怖で全身が強張った。

呼吸を忘れた体が全身でこの場にいたくないと怯えて震えた。

シィイイ、という音。

自分のものじゃない、呼吸。

前に立ちふさがるその存在すらも霞んでしまって、正気を保っているのが不思議なくらいだった。


―― 生きてさえ いれば

―― いつか勝てる 勝ってみせる


意識を手放したのはそれからすぐだったと思う。

生死を彷徨うほどの重症だったらしい自分は目が覚めるまで一か月以上かかってしまった。


『 さん、しっかり してください。聞こえ ますか、聞こ えます  か 』

『 呼吸 を 止めないで。吐いて 吸って 吐いて 深く  繰り 返し  て    』


でも、死ななかった。

生きていた。

奇跡的に。

積み重なった仲間たちの死の上で、運よく生き延びた。


「アイツの事は忘れろ」

「何のことですか?」

「わかってんだよ。遠方任務ばかり引き受けてはその傍らで人探ししてることくらい」


目は口程に物を言うらしいから宇随さんには目を合わせずに話したのに、何もかもお見通しらしい。

口を堅く閉じていると、宇随は諦めた様に部屋を後にした。

一人になって、握りしめていた手拭いを目元に押し付ける。

相変わらず自分が弱くて力がなくて腹が立つ。

悔しい。

ぐぐっとこみ上げてきた悔しさに嗚咽がこぼれた。


「獪岳兄さんどこにいるんですか」


恥さらし、って笑ってくださいよ――。














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