(2020.02.25)(修行時代)









 家族









「留守を任せたぞ、


短くおっしゃられた桑島師範に丁寧にお辞儀をしては火照った頬のまま簡単に挨拶をする。


「体が冷える。見送りはいいからすぐに部屋に戻りなさい」

「私は平気です」

「師範が言ってるんだ、心配をかけるんじゃない」

「でも!……わかりました。では少しだけに致します」


獪岳兄さんもお気を付けて、と兄弟子に向かって付け加えると、彼はぶっきら棒に(それでもはじめの頃よりかは目線を合わせてくれるようになった)頷き返し師範と共に山を下りて行った。

2人の後姿が小さくなる。

今晩、獪岳兄さんとの桑島師範は実践訓練の為少し離れた林の方へと足を延ばすとのこと。

本来であればもそれに同行する予定だっただけに、本人の落ち込みと不貞腐れぶりは目に見てわかるほどだったが他の弟子たちがそれに触れることはなかった。


(こんな時に熱を出すなんて。子どもみたい)


こればかりはどうしようもないが、体調管理が出来ないなんてそれでも剣士の端くれかと唇を尖らせたくもなる。

言葉はきついが獪岳兄さんの言う通り、夕方の冷える時期に長居はよくないなと思うと、ぶるっと身震いを一つしては自室へと戻った。




 +




夜も深まり他の弟子たちも規則的な呼吸を繰り返して眠りについている頃。

は熱っぽい頭の片隅で自室の襖が開いたことに気が付いた。

そろりそろりと入ってくる人の気配。

続いてちゃぷんという水の音。

弟子たちの誰かが様子を見に来てくれたのだろうと思うのに、ぼんやりとした意識は中々覚醒せずに、耳だけでその様子を探る。

誰かの気配は起こさないようにと気を遣っているのかゆっくりと動き、額に手が触れる。


(よかった、姉ちゃん熱下がってる)


呟くほどの声。

善逸だ、と頭の片隅で認識する。

今日は誰よりも遅れて暗い表情で帰ってきていたので何かあったのではと気にしていたというのに、彼の声色は穏やかだった。

水の入った桶でも用意してくれたのか、ちゃぷと音が聞こえたかと思うとひんやりとした手拭いが額におかれて思わず気が緩んでしまう。

善逸の気配はしばらく自分を見下ろした後に、ぽつりぽつりと独り言のようなものがこぼれだした。


姉ちゃん、今までありがとう。…怒ったらめっちゃ怖いし、容赦ないし、厳しかったけど、でも、上手く出来たらめっちゃ褒めてくれたし、誰よりも喜んでくれたし。こんな泣いてばっかで愚図な俺を最後まで見捨てないでくれてありがとう。――本当に姉ちゃんがいたらこんな感じなのかなぁって嬉しかったんだ」


意気地なしでごめん、と言葉は続けられ、気配は襖の方へと動いていく。

熱のけだるい意識の中でもわかる――善逸はここを去るつもりだ。

今までも元柱の元で稽古が出来ると聞いてやってきた志望者が、次々と山を下りていくのを何度も見送ってきた。

寂しい、と最初に思った。

思ってしまった。

でも彼だって必死に悩んで考えだした結果だ。

弟の決断を後押ししない姉がどこにいる。

起きなきゃ、何か言わなきゃと自分を奮い立たせる。


「善逸。私もね、あなたと家族になれたみたいで嬉しかった」


襖が閉まる直前の言葉は、彼にちゃんと届いたかどうかわからない。

足音が遠くなっていくにつれて寂しさが増す。

完全に音が聞こえなくなってから、彼が置いてくれたばかりの手拭いで目頭を押さえた。




――どれほどの時間そうしていただろう。

手拭いはあっという間に熱を吸ってぬるくなってしまった。

善逸が用意してくれていたままの桶で手拭いを濡らして絞ろうとした時、明らかに熱のものとは違う胸騒ぎに心臓が弾む。


(鬼の、気配――)


熱のせいだろうかと疑い、枕元に用意していた鈴の簪を咥えて呼吸を整え全集中を行うとやはり感じる鬼の気配。


(桑島師範が離れていると知ってか)


脳内にこだまするのは師範が出先に言われた「留守を任せたぞ」という言葉。

床に臥せている場合ではないと自身を鼓舞すると、白い羽織に袖を通して師範から預かっている日輪刀を腰にさした。


姉!」

「貴方たちも桑島師範の弟子でしょう、しゃんとなさい!私は外を見てくるから自分の身くらい自分で何とかする事」


獣のものとは違う夥しい声に身を震わせる弟弟子たちを一喝すると、簪を咥えなおし屋敷の外に出る。


(善逸――)


気がかりなのは数刻前に屋敷を出たばかりの弟の事。

時計で確認はしていないが、感覚でいうとそう遠くまでは行ってないはずだ。

熱でいつもよりの鈍い動きしかしてくれない頭と体を呼吸でフル稼働させて、彼の音が反響するのを探す。

林の中は日頃訓練の為走り回っているので、夜とはいえどその地形はよく把握している。

りん、りんと音を鳴らして兎に角彼の無事を祈り走り続けることを辞めなかった。


(――あった!善逸の反応!…それに、鬼も近い)


ぐ、と柄を握る手に力を入れる。

鬼と対峙したことは今までも数度あったが、どれも桑島師範や獪岳兄さんと一緒だった。

一人で対面して果たしてきちんと頚を落とせるかわからない。


「ひいいいィ!なんでなんでなんでいつもこうなんの!もう嫌ァ!俺なんて食ってもなぁああんも美味しくねぇよ!?腹壊すよ!?腹!!」


どうやって上ったのか善逸は太い木の枝にしがみついており、今まさにだらしなく舌を出した鬼が食事をする寸前だった。

考えるよりも先に強く地を蹴り、鬼の腕を切り落として善逸への攻撃を阻止する。


「ね、姉ちゃんッ!なんで――」

「何だこの小娘ェ!」

「――汚い手で弟に触らないでッ!!」

「!」


手の震えが止まらない。

虚勢を張ってみたものの、頭の中は「怖い、死んじゃう、鬼だ、どうしよう、切れないかもしれない、私なんかじゃ」という言葉が木霊する。


(善逸だけは絶対に守る)


それでも鬼と向き合い、決して目を逸らさずに対峙することが出来るのは“守るべき存在”のおかげだろう。

善逸が言葉を失い目を見開た事にすら気づかずに、はぐっと姿勢を低くすると全集中をして呼吸を整え、訓練の時同様、刀を抜く手に力を込めた。


―― 雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃


教えられた通りの事を何百回、何千回と繰り返してきた。

そうして今のにとってようやく鬼と戦うことが出来るレベルになった唯一の技だった。

閃光が迸る。

目を見張るほどの一瞬の後、その重たい音はごとりと地面に落ちた。

抑え込んでいた熱がぶわりと上昇するのを感じると、足の力が抜けての体は崩れた。


姉ちゃん!どうして、なんで俺なんかの為に…!」

「私が嫌だったの。もう家族が傷つくのなんて見たくなかった」


善逸の補助があり、なんとか木を背もたれにして体を休める。

急に動いた反動で体は驚きぐったりとしてしまっているが怪我もないし、呼吸さえ整ってくれれば歩いて帰れるから何の問題もないだろう。

そうこうしている間に朝日が昇ろうとしていた。


「善逸、師範と兄さんは時期に戻ってくるわ。行くなら今」

「でも、姉ちゃんが」

「私は自分で帰れる。それに何かあっても師範がきっと探しに来てくれるし。大丈夫…この道を真っすぐ降りたらすぐに村に出るから」

「…」


にっこりと笑って見送る。

やっぱりお別れは寂しいし哀しいけど、最後に残すものはいつだって笑顔がいいはずだ。

でも、なんとなく離れていく後姿を見たくなくって、心がぎゅっとなってしまって、は呼吸に集中するべく目を閉じた。

視界を塞いだお陰で他の感覚器官が敏感になる。

目の前にいるであろう彼は何かを考えているのかしばらくじっとしていた。

早くしないと師範たちが戻ってくる。

そしたら彼は大目玉だ。

そんな彼女の心配をよそに、彼が選んだ選択はの予想外のもの。

腕を持ち上げられたかと思うと彼の肩へと回され、華奢なの体は簡単に彼に背負われていた。

そして彼の向かう先は村の方面ではなく、桑島師範の屋敷の方だった。


「え、善逸…?」

「また熱が上がって来てる…。俺が連れて帰るから姉ちゃんは休んでて」

「やってることわかってるの?こんな事してたら師範たちが戻ってきちゃう」

「…俺だって自分で何やってんだろうって思うよ?思う…けど、姉ちゃんをあのままあそこにおいておくなんてこと絶対にしちゃいけないってことはわかる」


山道を人一人担いで登る。

それは中々の苦行であっただろうに、善逸は一切弱音を吐かなかった。

ぎゅ、と彼の首に回す腕に力を込めて抱きしめる。


(善逸が戻ってきてくれる)


嬉しい、よかったと胸が高鳴る。

彼女のの思いは“音”を通して全て善逸に届いていたなんて知る由もなく、は安心しきったように彼に身を委ね続けた。














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