(裏切り・不安定)









 アザミ










「お前、こんな時間に何してるんだ?」


太陽はとっくの昔に沈んでしまった。

空も憂いを帯びた紅色から群青色へと変わってしまっている。

一般家庭では入浴を済ませ、家族が囲んで夕食をとっている頃かもしれない。


奈良シカマルもその中の一人だった。

母親であるヨシノにお使いを言い渡されるまでは。


住宅地の並ぶ路地裏をゆく。

街灯がちかちかと付き始め、その周りには光を求めて虫が集まった。

長い坂を下っていくと遠くのほうに里の境界と海が見えた。

人影は少ない。

あるとして、食事処や飲み屋や帰る大人たちがちらほらいるくらいだった。


そんな時間、石垣の塀の上に佇み、何をするでもなくただ、そこにいた。


「んー?」


生ぬるい声で言う彼女の横顔は月光で輪郭を照らされてて綺麗だった。

遠くのほうを見つめているその視線が寂し気で、目を惹いた。


「シカマルこそ、なにやってんのー?」

「俺は…買い出しだよ」

「へぇ、こんな暗い時間に大変だねぇ」

「酒、切らしちまったんだと」

「なるほどねぇ。道中気を付けてね」

「いや、それ男の俺に言うセリフじゃねーから。俺が言う言葉だから」


思わず突っ込むも、には対して響いた様子はなく、

それどころか薄く微笑んだだけでそこから一歩たりとも動く様子などなかった。


「僕は、大丈夫だよぉ」


僕を襲う物好きはいない。

謙遜でも遠慮でも何でもなく本心から言ってると、わかる声色だ。

めんどくせぇな。

声に出して盛大にため息をついてやりたがったが、心の内だけで止めておいた。

俺は石垣に座る彼女の隣に腰を下ろすと、ぼーっと月を見上げてみた。


「まだここにいんのかよ」

「…まぁねぇ」

「誰か待ってんのか?」

「うん。カエ」

「あー遠方任務つってたっけか」

「そうそう」


考え事をしているのか口数が少ない。

こちらが質問をしない限り返事も返ってくる様子ではなかった。


「お店、平気?」

「…?……あぁ!」


気づけば閉店も近い時間だった。

シカマルは後ろ髪引かれながらも小走りで店へと向かった。


「…。」


振り返るとはまだそこにいた。

もしかすると買い出しから終わっても、あの場所で

いつ帰るかもわからない兄を待っているかもしれない。




 +




兄、カエが任務のため里を去ったのはちょうど1週間前だ。

任務の内容次第ではなんてことない時間だが、今回の任務が

暁に関する調査だという内容が内容だけに不安がよぎる。


「…」


雨が降った後だからかじんわりと皮膚をまとわりつく湿気。

もう少し。

もう少し待ったら帰ろう。

あと少しだけ…。

いつもそうやって気づけばあたりに人気がいなくなる。


(今日も、帰らないかもしれない…)


不安がよぎる。

落ち着かない。

何だか遠くで不穏なことが起こってそうで。

こういった胸騒ぎは自慢ではないが割と当たるんだ。


(待ってるだけって、結構辛いんだなぁ…)


世間は中忍試験で祭り騒ぎだ。

他国の忍びたちも集まり、物騒といえば物騒。

分かってはいるが、自宅でおちおち修行や休養なんてできないし

じっとしてられないのが本音だった。


「おい」


声の主を見ると鋭い目つきで睨むシカマルの姿。

その手にはソーダ味のアイスが自分に向かって差し出されており、

はぼーっとそれを見つめ返した。


「食えよ」

「え、くれるの?」

「ん。当たったんだよ。二本も喰えねーし」

「へへ」


は柔らかく微笑んでそれを頬張った。

隣にシカマルも座り、同じようにアイスを食べ始めた。


「…シカマルまで付き合うことないのに」

「…。食い歩きすっと母ちゃんに怒られっからな」

「ふうん」


蒸し暑さの中、しゃりしゃりと口の中で氷が溶ける。

一緒にこうやってアイスを食べるのは、久しぶりだ。


「美味しい」

「そりゃよかった」


しゃくしゃく。

棒に「は」という文字が見えて気落ちする。


「喰ったら帰るぞ」

「…」

「明日も中忍試験だ。めんどくせーけどよ」

「…うん、わかってる」


はずれと書かれた棒を握り締める。

シカマルはぶっきら棒に「送る」とだけ言って共に帰路を歩いた。


「ねぇ、シカ」

「…なんだよ」


呼ぶだけ呼んで、それから返ってくる言葉はなかった。

不思議に思い振り返るとはほんの少し俯きながら着いてきていた。

寂しそうに。

今にも消えてしまいそうに。

繋ぎ止めておかないと…。


「…シカ?」


繋がった影。

彼の手のひらはじんわりと汗ばんでいた。

目を見開く


「もし、明日も帰って来なかったら…」

「…?」

「カエさんだよ。もし帰って来なかったら、明日は俺も付き合ってやっから」


それだけ、言った。

それだけ言うのが12歳の彼の精一杯の言葉だった。


「…うん。」


その言葉だけで、にとっては十分だった。

気持ちを返すように強く、彼の手を握り締めた。




 +




カエが里に帰ってきたのはそれから三日後のことだ。

心臓だけが抜き取られた、無残な姿で。


丁度中忍試験、第三の試験本線の真っ最中だった。

は、早く兄に会いたい一心で自ら棄権することを選んだ。

中忍になることを、諦めた。


…まぁ、結果的にその決断に腹を立てた他国の忍がそれを認めず

あの「戦場で一番に死にそうな忍」と言われた

本気を引き出し、その場にいた全員を騒然とさせたのは言うまでもない。

思い返してみると、その時の戦いがあったからこそ

火影様のお眼鏡にかなったというのもあるかもしれない。


大蛇丸の奇襲があり中忍試験は中断されたが、は無事中忍に昇格した。


「恐ろしいな、の生命力は…」


心臓を抜かれて生きているなんて前代未聞だろう。

同じ血筋の自分でも驚きは大きい。

それでも生にしがみつき、這いながらでも帰ってきてくれた兄。

病院先で無数のチューブを付けて横たわるそんな兄を見て

は胸の奥に一つの決断を下す。


(カエの心臓を、取り返す)


まずはその方法を探らなければ。

それがこの木の葉の里にないとわかると、もうこの場所にいる理由はない。




「僕、旅に出ようと思うんだ」




三日月の夜だった。














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