(吹雪)snowdrop番外編「救急箱」※【RG-15】リスカ・血の描写あります














 First aid kit














はじめの頃は中々気づかなかった些細なことだけど。


左手の長袖を中指と薬指でひっぱるのはのくせだ。


初めは何も気にならなかった。だってセーターとか、カーディガンを着て


同じように裾を引っ張っては肌の露出を減らそうとする女の子って沢山いて…


彼女もその一人だと思っていた。




ちゃんってばもう夏服でもいいだべー?」


「まだ長袖きてるべさ。ちゃんと許可もらったべ?」


「…(こく)」




授業と授業の合間の休み時間。


机に集まったクラスメイトたちに少し困ったように笑いかける


制服の合服期間も終わり、ブレザー、セーターなどは完全に押入れへとしまいこみ、


今白恋中の女子たちが着ているのは白チャツの半袖、


白ベストにピンクチェックのリボンとスカート。ちなみには長袖シャツ。


ここで紺のブレザーなんか着てしまえば教室で一人だけ浮いて見えるかもしれないが


男子だって白チャツに紺のズボン。それに体が弱いということを理由に


ちらほらと他のクラスでも長袖を着ている人を見かける。そんな中、


クラスメイトたちがこんなネタに食いついてきたということは


それだけ地球が平和ということだろう。なによりそれは、いいことだ。


膝の上でこっそり左手首をなでる。そして隠すように裾を握り締めた。




「ねぇ、烈斗君」


「え、何?」




寝起きの烈斗が寝ぼけながら答える。ぐぐっと伸びをしてはぽきぽきと


気持ちのよさそうな音がなった。吹雪はほんの少しを見つめて、


そして何か思いついたように唐突に




「ミサンガの作り方この前隣のクラスの子に教わってたよね?」


「…ああ、これの事?難しそうに見えて結構簡単なんだべ」


「へぇ」


「色とかでジングスとかも変わるらしいべさ。あ、糸余ってるけどいる?」




そういう烈斗の右手にはオレンジと黒のストライプのものがつけられている。


吹雪は少しだけ顎に手を添えて考えるそぶりを見せると


「じゃあお願いしてもいいかな?」とにっこりと微笑んだ。




「ピンクと黄緑とか…残ってる?」


「それ自分用……ははーん。さては」




ニヤリと笑う烈斗。確かに。確かにその通りだけれどもなんだか癪だ。


でもまぁ刺繍糸と作り方まで提供してくれる幼馴染に今日だけはおとなしくしておこう。


…明日は土曜日。一日中部活で会えるわけだし。


セロハンテープと刺繍糸を用意している烈斗の声を小耳に、


吹雪はこっそり明日の練習メニューを思案していた。









 +









代理ミュンヒハウゼン症候群。


それがの母親の病名だった。


ようは自分自身に関心を持ってもらうために怪我や病気を捏造するといったもの。


だが頭に「代理」がつくとそれは身近なものに捏造させる、といった意味合いになる。


多くの場合は母親に見られ、その傷付ける対象の多くは自分の子供であり、


子供に対する親心の操作であったり、懸命または健気な子育てを演じて


他人に見せることによって周囲の同情をひき、自己満足を得る、といったものだ。


「素敵なお母さん」「あんなに子供想いな母親はいない」「理想の母」


そういわれると快感を感じ、そのためだけに子供に尽くす。ふりをした。


次第にエスカレートして言ったというのは火を見るより明らかで、


そんな日々が1年以上も続いていたのだと思うと億劫になる。





――僕の幼馴染はある日を境にまったくしゃべらなくなった。





たった少しの時間だった。けれども。彼女にとっては苦痛で残酷で。


明日こそはきっと何事もなかったようにいつもどおりの毎日に


戻れるんだという期待にすがり続けていた時間だったのかもしれない。


明日は。明日こそは。きっと。


お母さんの病気も治る。


大好きなお母さん。


優しかったお母さん。


そのときの記憶が。


邪魔をする。




「…」




傷つけられては、謝られ、罵られては、抱きしめられ、避けずまれては、愛された。




大好きよ。愛してる。ねぇ。知ってるでしょう?お母さんにはしかいないの。


だからどこにも行かないで。お母さんのこと見捨てないでね。だって――




――お母さんのこと大好きよね。


まるで呪文だ。無意味な、呪文。魔法にかけられていたのはではなく自分自身。


同じフレーズを何度も何度も繰り返して。暗示して。警告した。


日に日に壊れていく母親をただ見ているだけしかできない無力さ。


歪んだ愛情でもいい。私はただ注がれるだけの器でいよう。ずっと。ずっと。




少し痛いけど、我慢できるよね。





大丈夫。すぐに終わるわ。怖いことは何もないの。




痛いよ。痛いよ。そんな言葉は母親にとって必要なかった。だからふさいだ。


いらないものは捨てていこう。母さんのために。母さんが大好きなでいよう。


嫌われたくない。捨てられたくない。愛されていたい。だから。


細い細い刃が手首に添えられる。訪れる恐怖。冷たさ。ただ当てられただけなのに


涙がぼろぼろと溢れ出した。どうしてこんなことになったんだろう。きっかけは何?


唇が震える。言葉は出ない。出さない。全部全部押し殺して、終わりを待とう。


刹那の冷たさ。


耳の奥で風が吹いた感覚。


後からじわじわと熱を帯びて。


鋭い痛みが波紋のように広がっていく。


噛み殺した嗚咽。


伝う。


赤。


気づけば傷だけが増えていった。肉体の傷も、そして精神の傷も。


それは海外修行中の父親が音信不通になった事に気がつくまで続けられた。


母親はその後精神科にもかかったが自分を責め後悔から消えるように逝った。


しばらくはの心情を落ち着かせるため施設に入れられていたが


父親が「海外で活躍するアシスタントマネージャー」という看板を捨てて、


古いけれども二階建ての家を買い、汗水働き生活できる環境を作って迎えにいった。




は今まで一人でよく頑張ったんだからもう気負わなくていいんだよ。


 お父さん今まで自分のやりたいことばかり最優先して…ほったらかしにして……


 はは、今更父親ぶんなって思うかもしれない。――けど、約束するよ。


 父親として、家庭とを守る。


 これは義務や、負い目を感じているからじゃない。…僕がそうしたいんだ」




ランドセルをしょってドアの前に立ち尽くす。扉を開けようとした指が震える。


ごくりと生唾を飲み込んで意を決したようにガチャリとひねると


チリンチリンとドアについているベルが鳴った。あ、そうだ、一回で喫茶店を始めたんだ。


まるで他人の家に入るときのような緊張感。


この違和感がいつか感じなくなる日が来ると思うと、それだけで胸が弾んだ。




「おかえり、




少しずつ。この家で傷がいえていった。少しずつ。本当に少しずつ。


時間はかかった。


けれど。


それが全て苦痛じゃなかった。


お父さんはまだまだ不器用で娘とどう接していいのかわからない風だったけど、


自分にはもったいなさ過ぎるほどの愛情を注いでくれた。待っててくれた。




時間は流れて同居人が増える。小さい頃幼馴染だった吹雪士郎君。


小さかった頃はよくサッカーをして遊んでくれた男の子。


そこに弟のアツヤ君の姿は見えなかったけど、感じて、察した。


大人同士の難しい話合いの中、の父親と吹雪君たちの父親が


親友同士という仲がきっかけして引き取ることが決まったのだ。


養子として見ず知らずのところにいるより、と計らったらしい。


はじめは雰囲気の変わったお互いに戸惑いを感じ絶妙な距離感があったものの、


サッカーを通じてその溝は埋められていった。二人とも、サッカーが大好きだった。




まるで氷を手のひらの上で溶かすように。


時間は静かに過ぎていった。









 +









「はいこれ。僕からのプレゼント」




そういって吹雪は黄緑とピンクのストライプ模様のミサンガを見せた。


とんだサプライズにの瞳が見て取れるほどに輝く。きらきら。


左手につけるよ、と一言いうあたり心配りが聞いていると思う。


いきなり手をとれば左手首に残る傷跡に一瞬でも怯えさせてしまうと彼は思ったのだろう。


少し苦戦しながらもなんとかつけられる。少し大きかったけど、は喜んだ。




「気休めにしかならないかもしれないけど…」


「…」




言葉で伝えるよりも先には吹雪の首元に抱きついていた。


そして少しだけ勇気を出して「ありがとう」とつぶやいた。














(残った傷は消えないかもしれない)(けど)(これからの未来は変えてゆける) inserted by FC2 system