(泉・試合の話)









 背中









小学生の時は、同じチームで野球をしていた。

アイツも始めは投手じゃなかったし、俺も外野手なんかじゃなく、

監督に言われるままにポジションを転々として、夢中になって球を追いかけていた。

高学年になると一緒にスタメンに選ばれることだってあって、

それはそれで嬉しかったし、エラーして凹んだり、ダブルプレー成功したときは

二人して夜遅くまではしゃぎ倒すほど喜んだ。


中学に上がると俺は野球部に。

ソフトという道には行かないといったアイツはシニアチームに入った。

休みはお互い野球。

当然試合を見に行く、なんて出来るはずもなく後から聞く結果で

お互い頑張ってるんだ、って気付かされたりして。

違うベクトルで、でも、同じ野球を続けてることが嬉しくてたまらなかった。


「(でも)」


もし、同じくチームだったら、もっと近いところでアイツをみてりゃあ、


「(もっと早く)」


異変に気付けたんだろうか。

なんて思ったりもする。




 +




球場から野球男児の声が聞こえる。

それに混ざって1つ、明らかに女子の声が混ざっているものだから

相手校の部員や監督、また応援に来ていた父兄たちは目でその人物を追った。


「ツーアウトー!」

「ピッチャー楽になー!」

「打たせろー」


7回の表。

阿部め、三橋休ませたいからぎりぎりまで使う発言したくせして

なんだよ、初回から超際どいとこばっか要求すんじゃん。

そしてなんだかんだここまで使うだろ。

ほら、見ろよ、三橋が投げたかったって恨めしそうな顔で見てんじゃん。

…まぁそれは阿部が制してくれるだろうけどさ。


「(この配球オタクめ)」


肩が息をする。

際どいとこばっか投げてて楽なわけがない。

でもま、120そこらの球なら確かに速さはないもんなぁ。

速球派じゃない、ましてや女子の私が男子相手に戦えるのって

やっぱコントロールと駆け引きしかないってこともわかってる。

…わかってる、が。


「(悔しいけどここは従うか)」


ふっと息を吐いてボールを深く握る。

ストライクゾーン、際どいとこ、シュート。

グローブの中でぐっとボールを握りなおす。


「センター来ーい!」


背中からは一番耳なじみのある彼の声。

見られている。それが背中押されているようで球に力が乗る。


放たれるボール。

振りかぶるバット。

吸い込まれる球。

音。


「っし」


どっと息が漏れる。

安堵と、脱力と。

とん、と沖ににグラブで背中を押されて笑顔が戻る。


さんナイピッチ」

「さんきゅー、沖。もうマジ阿部…」

「あはは。でもこの回なっても急速落ちないさんすごいよ」

おつ。水分とっとけよ」

「もう、マジ阿部!」

「ああ?」

「…まぁまぁ」


宥める沖と、シラッとした顔で水分補給をする阿部。

悪態の一つでもつこうとした時、コップを押し当てられて気がそれる。


「ちょっ、泉こぼれるから!」

「っと、わり。ほら、お茶」

「おー、さんきゅ」

「次の打席まで数あんだからしっかり休んどけなー」

「ん。ちょっとアンダーだけ変えて来るわ。泉が打つまでには戻る」


打席には巣山。

水谷が時期にその場所に向かう頃には泉もそれに続くだろう。

「ゆっくりしてりゃあいいのに」と明らかに疲労が見え隠れしつつある

彼女に向かって言い放ってみたが、彼女はひらひらと手を振るだけでそれを返した。

言葉には出さないが、自分のバッティングを応援してくれるのだと思うと

胸の奥からがぜんやる気がこみ上げてきた。


「あれ、は?」

「アンダー変えるって。監督、ぎりぎりまで三橋温存すんのな」

「あー、中日だかんな。最後ナックルと全力試しに使うかもとは聞いてっけど」

「(つまりは試合感覚だけ鈍らないように、っつーことか)」


それまではが投げる。

今日の練習試合は投手練習よりも守備の連携強化が目的なのだろう。

そして、でそこそこ押さえておいて、万が一取りこぼしがあっても

正投手の三橋がそこは何とか抑えると。


「え、何、きつそ?」


阿部がぎょっとした顔でこちらを見る。

…何やべ―って言う顔してんだよ。

7回であんな汗だくなるまで際どいとこ求めてんのお前だろーが。

阿部の心配をよそに「いや」とまず返してみる。


「きつそうってか、普通に調子悪ぃじゃん。今日」

「…………そおかー?」

「球捕ってて、そんな感じしねー?」

「全然わっかんね。今のとこ来るとこちゃんときてっしな」

「ふーん」


確信はないが、調子が悪い、気がする。

投球にそれを出してないならまだ余力はあるのだろうが、こればっかしは

幼馴染の勘というか、何というか。


「…ま、気を付けてみとくわ」

「おう。後ろから見ててやばそーなら俺からも監督に言うわ」

「おー」


神妙な顔をしていた俺をねぎらってか、阿部は素直に引き下がった。

アンダーを変えて戻ってきたを一瞥するが、じっと見つめる俺に

彼女は小首をかしげて見せる。一見いつもの

でも、俺の目は誤魔化せない。


「(癖、出てんだろうな…)」


すぐに逸らされる目線は後ろめたさの証拠だろう。

違和感が確信に変わる。

調子が悪い時、不安定な時、余裕がない時。

彼女は腕を噛んで、痛みで自分を保とうとする。

中学時代から、そうだったらしい。

左腕には噛み痕が今でも消えずに残っているのを、以前告白された。


「なあ」


悩むよりも先に声をかけていた。

また噛んでんだろ。

大丈夫か。

無理すんなよ。

きちーなら代わってもらえよ。

色んな言葉が一気に脳裏を駆け巡る。


「何、泉…」


あ、ほら。身構えた。悪さがばれた子どものような目線。

こりゃ噛んでるな。って確信する。

全員が巣山を見守る中、俺は一切視線を外すことなくを見やる。

視線を合わす。交わる視線。逸らしたがるがそれを許さない。

監督くらいは俺ら二人に気づいたかもしれない。

それを気付かぬふり決め込んで、の深みあるブラウンの瞳を直視する。


「お前の後ろは守りやすいよ、正直」

「…」

「そんなんなっても食らいついてるとこ見てると後ろも安心するっつか」

「そんなもん?」

「そんなもん。ま、楽にっつっても点差ねーとだけどな」


そう言って相手校との点差を見やる。

この調子なら次の回もを使うだろう。

なら、せめてこの回に一点でも多くもぎ取っておきたい。


「ま、俺が打てって話か」


キン、という金属音。

目で追っかけると、塁に出ることが出来た巣山。

次は水谷。水谷が塁に出ても出なくても俺の打順は回ってくる。

ネクストと呼ばれ、返事ひとつでバット片手に向かう。


「孝介」

「ん、――っ」


不意に繋がれた手。

突然の名前呼びに単純な俺はかっと顔が熱くなる。

はそれを話すことなくむしろぎゅっと強く握りしめて一言


「打てる」


と、言い放った。

観客の声とか、部員たちの声援とか一切聞こえなくなって、

音が消えた世界の中で彼女の言葉がやけに耳に響いた。


「おう!」


返事と共に離れる手。

もう冷たくない彼女はきっと大丈夫だ。

それどころか自分のことまで奮い立たせてくれるんだから、

どっちが励まされてるのかわからなくなる。


「(こりゃ背丈だけじゃないぜ…。今度は俺が安心させる――)」


バットを握る手に力が込められた。









inserted by FC2 system