snowdrop 21









断る理由なんてどこにもなかった。


瞼がゆっくりと降りて真っ暗になった事で他の感覚が研ぎ澄まされる。

耳はざくざくと吹雪が雪を踏みしめる音を聞き分け、それだけで距離が縮んでいるんだと察することが出来た。

ふわり、と自分と同じ柔軟剤の匂いが鼻をかすめる。

彼の手のぬくもりが耳に、髪に触れて、後ろ手に組んだ手をきゅっと力が入る。

またいつものようにどこかで雪でもつけていたのだろうか。

髪をそっと撫でたかと思うと、冷えた指先とは異なる冷たい感触に目を開けそうになるのを、士郎君の


「まだ駄目だよ」


の一言で再び塞がれる。

僅かの隙間から見えた士郎君は息がかかるほど近くで、色々な意味で胸が跳ねた。


(どうしよう、これ、もしかして)


髪を通す感触は身に覚えがあった。

そして、この場所も。

早く目を開けて、手で触れて確認をしたいのに、手持無沙汰な手はジャージのすそをぎゅっと握ることしか出来ずにいる。


、もう目を開けていいよ」


許可が出て、素直に瞑っていた瞼を持ち上げる。

暗闇に慣れた視界は彼を映すまでに時間を要したけど、怒られるつもりで来ていたはずなのに、はその時やっぱりどこか安堵する感覚に満たされていた。

ぽっと頬が火照る。

今まで不安だったからこそ、全身のすべての力が抜けて、久しぶりにめいいっぱい呼吸ができる心地がした。

自分らしく、いられる感じ。

受け入れられている感じ。

目の前に彼がいて、私がいて。

穏やかに微笑んでくれているのが嬉しくて、愛おしくって。


(あぁ、どうして私、一人で大丈夫なんて思ったのだろう)


なんて後悔をしたりなんかして。


「これ、どうして…」

「秋さんに聞いたんだ。聞けたのは、これの事だけじゃなかったけど」

「あ…」


あの晩。

服も、体も、泥まみれひっかき傷まみれで帰ったあの日。

湯船に一緒に浸かって、私が泣いてしまった日。

当時の事を思い返して、は申し訳なさそうにきゅっと口を結んでしまう。


謝らなくっちゃ。

ごめんって、心配かけてごめんで言うなら今なのに。

唇は言葉を紡ごうと震えるのに声がうまく音にならない。


  『僕はいつまで待てばいいの?』


そうだ、あの時もこの場所だったっけ。


「ごめん、こんなことを言うつもりじゃなくって」

「…」

「…、嫌だったら僕を拒絶してね?」


え、と思ってようやく顔を上げて彼を見て見ると、視界いっぱいに広がるマフラーの白い色。

彼の温度。

匂い。

耳に触れるもふもふの感触と彼の吐息。

ぎゅっと背中に回る腕に力を込められて、抱きしめられていることにようやく気付いた。


「あっ、の…しろ…君?」


動揺と疑問で頭がいっぱいになって、全身に力が入って固まってしまう。

彼は別の何かを待っているのか、じっとしたままだった。

意図したことは何か、それはわからないけれどに今できることは「受け入れる」という事。

自分にすがるようにしがみついたままの彼の背におずおずと手を回す。

ぽんぽん、どうしたの?

手はそう尋ねるかのように優しく優しく彼の背を撫でた。

そうしているうちに彼も体から余計な力が抜けていくかのように、色々な思いや感情を溶かしていくようにゆっくりと息を吐きだした。


「今ね、すっごく安心してるんだ。が無事で本当によかった」

「…」

「不安にさせてごめんね」


違う、違うよ。

どうして士郎君が謝るの。

気持ちだけが早まって言葉が空回りする。

それでもどうにかこうにか伝えようとしていたのを士郎君は最後まで聞き溢さずに受け止めてくれた。


「僕ずっと思い違いをしていたんだと思う。待ってさえいれば、の言葉で、タイミングで僕に届けてくるんだって。でも、敦也は違ったんだね」


彼は、敦也はいつも彼女を一番に見つけた。

どんなに人ごみにあふれたところでも、どんなに小さくか細い声でも。

自分が見つけるよりもうんと早く気付いては、迎えに行っていたんだ。


『全くどんくせぇな…ほら』


なんて言って、転んだ彼女に手を差し出して笑顔にさせた。

僕はそんな彼があまりにいつも彼女を見つけて笑顔にしてくれるものだから一歩引いたところで見ては待っていた。

敦也がいなくなっても、それが変わらなかったのが間違いだった。

彼女は一生懸命前を向いて進もうと、届けようとしていたのに。

それなのに、僕はなんて酷いことを言ったのだろう。


「だから、今までごめん。今度から迎えに行くよ。がどこにいても絶対に見つけ出すし、どんな言葉だって近くで聞きたいから」

「…士郎、君」

「だから、一緒にまたサッカーしようよ」

「私、一緒にしていいの?」

「勿論。それにばっかり頑張らせちゃったら、敦也に怒られちゃう」


そんな事ないよ、とでもいうように首を横に振る

気持ちが伝わる。

それだけで十分だった。


「…敦也君は、怒ってなんかないよ」


しがみついていた腕をゆっくりと解くと、触れていたところから温かさが消えぴゅうと風が通った。

士郎は「え?」と思わず声をあげた。


「わかるの」

「うん」

「ふふ、そっか。が言うなら間違いないね」


疑いもせずに士郎君はにっこり笑った。

にっこり笑って「やっぱり似合ってるよ」なんて言って左右に揃った赤と青の花飾りを優しく撫でた。


「ありがとう」


もつられるように微笑んだ。









北ヶ峰の木の麓では敦也がほっとしたような表情で全てを見守っていた。

ぴゅう、と雪を解かす穏やかな春を知らせる風が吹いては士郎にバレないように静かに振り返った。

少年の姿の彼とぱっちりと目が合う。

彼はニィっと子どもらしく笑って小指を突き立て自分に見せつけた。

…わかってるよ。

約束でしょ?

勿論、士郎君には言わない。

だって二人だけの約束だもん。


――私たちは何があっても士郎君の味方でいる。


敦也君が見えることも、彼が言えなかった本当の思いを伝えることも私にしかできないんだ。

は心配性な彼に向かってしっかりと頷き返すと、士郎の元へ駆け寄った。













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