(2020.5.7)(レイヴン)
寂しい時に
一番上の兄の顔は正直あまり覚えていない。
自室で勉学に励むか父と共に外交に出ているかのどちらかで忙しくしていたという事だけは覚えている。
“跡継ぎ”というプレッシャーからか常に気を張り続けていた兄とは挨拶程度しか交わした記憶はない。
兎に角、邪魔をしないように、迷惑を掛けないようにしなくてはという暗黙の了解のようなものを子どもながらに感じていて、兄と話すときは特に言葉遣いや身の振る舞いに気を付けていたのを思い出す。
父も同様だ。
男二人続いてからの年の離れた私の誕生を誰よりも喜んだのは父で、それ以上に私と引き換えにこの世を去った母の死を嘆いた。
成長するにつれて母に似ていく私の姿を映して嬉しそうにする反面、心の奥底で哀しんでいたのを肌で感じて素直に喜べないときもあった程だ。
親がそれを押し殺そうとすればするほどにじみ出る寂しさ。
生まれつき目の見えなかった頃の私は、目以外の感覚すべてでそれを感じ取ってはふさぎ込んでしまった。
『お嬢さん、こんな天気のいい日に部屋になんかにいてどうするの』
「兄さま!」
『庭にとてもいい香りのするバラが咲いていたから一緒に見に行こう』
「それで兄さまから甘い香りがするのね。はじめは庭師の方かと思ったもの」
ただ2番目の兄は違った。
兄は時間さえあれば何かしらの手土産や楽しい話をもって遊びに来てくれた。
天気のいい日は手を繋いで一緒に外を歩こうと誘ってくれる。
生まれつき目の悪い自分はいつからか、使用人に声かけ無しで出かけようものなら誰かを必ず心配させると思い込んでいて、部屋を出る事すら億劫になっていたというのに。
彼だけは違った。
いつも寂しいと思たっ時、ふらりと傍にやってきて、手を繋いで楽しい話をしてくれる。
10も年の離れた兄だったが、そんな彼の事が大好きで大好きで仕方なかったのは言うまでもない。
「ねえ兄さま。どうして兄さまは、いつも私に優しくしてくれるの?」
ふと聞いてみたことがある。
本当に素朴な疑問だった。
父や1番目の兄、勿論屋敷の中の人たちもみんな優しくて私を大事に思ってくれているのはわかる。
申し分ないほどに愛されていたのを全身で感じていた。
けれどもそれを上回るほどの愛情。
『バカだねぇ』
いつしか廊下を歩く足音、扉を叩く回数、音の大きさ、扉を開けた時の匂い、自分の手を包む手のの形、温度、色々な感覚を使って兄を見つけるのが上手になっていた。
『お前が可愛くて可愛くて仕方がないからだよ』
兄は間髪入れずにそういった。
ぎゅ、と握る手がやっぱり温かくて、優しくて、たまらなく好きだった。
その言葉からは微塵も“寂しさ”を感じさせなかった。
+
エフミドの丘に立つとさわやかな潮風に亜麻色の髪がくるりと宙に踊った。
目の前に広がる広大な海の青を同じ色をした瞳に映して、はふっと肩の力を緩める。
気を張っていたのは自覚のある事。
それもそのはず記憶が確かであれば、10年前の今日は――。
(ファリハイドが跡形もなく吹っ飛ばされた日)
始祖の隷長様に魅入られ、目の輝きを手に入れた私は父の猛反対を押し切って、半ば喧嘩別れするように家を飛び出した果報者だ。
何不自由のない生活が約束されていたにもかかわらず、目が見えるようになり色々なものを見て見たいという好奇心が勝ってしまった。
当時の決断に、愛情たっぷりに育ててくれた家族に対して申し訳なさはあれど後悔はない。
けれども、私に目を与えたのも始祖の隷長であり、故郷を焼いたのも始祖の隷長。
あの時言えなかった言葉が溢れる程出てくるというのに、届けることが出来ずに胸を痛めた。
寂しい。
そんな気持ちが一滴こぼれて、波紋のようにざわついた。
「レイヴン」
「っと、流石。俺様のことすぐにわかっちゃうんだから」
潮風の匂いに混ざって“兄”の匂いがした。
それは今も昔も変わらないただ一つのもので安心すると共に、今の私にしみた。
後ろから半ば心配するように距離を詰めてくる風来坊は気付けば私の隣に立っていた。
「なんでここにいるわけ?行先は誰にも伝えてなかったと思うけど」
「かく言う俺だって、お前さんの事手に取るようにわかるのよ」
「どうだか」
つん、とした態度を取ってしまうのは顔を見られたくないから。
真っ赤に泣きはらした顔を見せまいとする妹の心境を知ってか知らずか、レイヴンは隣に立ってからも視線は海に落としたままだった。
「ならさ、当ててみてよ」
強がりを言うと、彼はあの時のように「バカだねぇ」と笑った。
そうしてつながった手のひらはあの時よりも温かくて、優しくて、寂しかった心がじんわりと溶けていった。
(拍手ありがとうございました)