(2020.8.20)(恋仲)(30,000Hit感謝企画)
媚薬
悪い。
誰に対してか、何に対してなのか、宛先のない言葉だった。
それが静かな夜に振動しての耳に届く。
彼の表情は見えない。
それは今が夜だからという事もあるし、彼の持つ長い黒髪がカーテンのように表情を遮断してしまっているのもあるし、自分を遠ざけるように距離を取ろうとしているのもあるだろう。
例えるのであれば何かに耐えているような、そんな声色。
苦しそうに、切なそうにしながらも牙を隠し続ける目の前の獣には薄く笑みを浮かべた。
「何の謝罪?」
まぁ、全部わかってるんですけどね。
本当に自分は意地が悪い人間だと思う。
兄も大概だが、自分も自分だ。
流石同じ血を引くもの同士、遺伝というものは都合よく出来ているようで、目の前で必死の抵抗を続けるユーリの頬に手を伸ばした。
びくり、と彼の肩が震える。
いつもなら包み返してくれる彼の手は、堪えるように握りしめられたままだった。
「…っ」
「辛そう」
「お前、俺に」
「俺に?」
「俺に何をした?」
いつもならからのスキンシップは大歓迎なはずの彼。
誰に言われるわけでもなく思ったことを、思った時に、思いのままにといった本質の彼の愛情は底なしだった。
何度あしらわれようと、何度にかわされても尽きることのないほどの愛。
両想いになった今でこそ返ってくるものが大なり小なりあるが、それまでの求愛はほとんどが一方通行のそれだった。
それだけにぞっこんな事は今となっては周知の事実。
包み隠さない性格の彼の心の内にはいつだっての姿があった。
「酒に何か混ぜたな」
「…」
答えないことが答えだった。
彼女は答える代わりに自我を押さえつけ一切近づこうとしないユーリに両腕を伸ばして抱きしめた。
距離を詰めることで余計耳に入るようになったのはユーリの切なげな吐息と温度。
「辛いんでしょ」
「…」
「いいのに、我慢しなくたって」
ユーリの問いにどうしてそう思う?なんてそんな野暮なことは聞かなかった。
体の内側がかっと熱くなるのは間違いなく目の前のの仕業に違いない。
そんな風に仕向けただけでは物足りず、妖艶な上目遣いで自分を煽り、その指は首、肩、腹をゆっくりとなぞるから質が悪い。
「おい、待て」
「待たない」
元より胸の内をさらけ出すのは得意でない彼女だ。
今までユーリの想いに気づいていながら幾度となくあしらい続けていたのがいい証拠だ。
あれだけ社交的で人の中に溶け込むのが得意そうに見えて、実は真正面から人と向き合うことに対して誰よりも臆病な彼女。
それは人魔戦争時代を若くして経験した彼女なりの自己防衛の名残であり負の遺産だった。
『失うのが怖いんだ。呆気ないもんだからさ、人が死ぬって…ホント一瞬』
いつの日かぽつりとつぶやいた彼女の言葉がやけに耳に残っていた。
近づきすぎるといつか来る別れが怖くなるから。
まだ来ないはずの未来を思うと不安になってしまうから。
4つも年上なの口からこぼれたそんな弱音を聞いて、それまで以上に大事にしなくてはと彼は思った。
思ったし、今まで以上に心を込めて愛してきた。
「意味わかってるのか」
「わかってる」
「いいや、わかってない」
「わかってるよ。私の事、大事に思ってくれてるってちゃんとわかってる。気遣ってくれてるっていうのも」
ぴったりとくっつくと二人の間に隙間が無くなる。
この距離であればどんな些細な言葉や吐息であっても聞き落とすことがないだろう。
は相も変わらず一向に手を出そうとして来ない彼の首筋にかぷりと歯を立てた。
刺激に耐えるように息を呑むユーリ。
「ユーリ、私のために我慢しないで」
「…っ」
「いっぱい愛して」
内側の熱情が彼女を欲のまま呑み込もうとする衝動を必死に抑え込む。
少しでも気を許してしまうと自分が止まらなくなってしまいそうで、その爆発した愛情が彼女を押しつぶして、壊してしまうんじゃないかと思うと怖い。
思わず自嘲の笑みを浮かべてしまう。
こんなにもたった一人の女の事が好きで好きでたまらないなんて。
どろりとした欲求が薬の効果もあって想像以上に膨れ上がる。
今にでも彼女を押し倒して、その細い首筋に噛みついて、吸い上げて、啼かせたい。
目も、鼻も、頬も、唇も、髪も、爪先から指の一本一本に至るまでしゃぶり上げて、その全部が愛おしいんだとわからせてやりたい。
その瞳に俺だけが映るように、その声が俺の名前だけを呼ぶように、もう俺無しでは生きていけなくなるくらい、深いところまで繋がりたい。
「言った事、後悔すんなよ」
「うん。――愛してる、ユーリ」
「はっ、俺も」
優しい声色だった。
そこには怯えも不安も感じられない。
ただいるのは目の前の想い人を必死につなぎとめようとする愛する人の姿。
ちゅ、と唇が触れあうだけの甘いキス。
合図だった。
「――愛してる」
塞き止めていた思いが一気に溢れ出す。
散々焦らされ続けた熱情は収まることを知らず、の口の端からこぼれる甘ったるい声がさらにユーリの欲をかきたてた。
煽られた甲斐もあって少々手荒くなっているにもかかわらず、涙を浮かべながらもその全てを受け止めようとするに底なしの泉から愛しさが湧く。
こうなったら。
(俺がどれだけ愛してるのか、思い知らせてやるから)
ぺろりと舌なめずりをすると目の前の獲物は物欲しそうに目を細めた。
(覚悟しろよ)
その体に刻むように、ユーリは白くて柔らかい肌に歯を立てた。
【裏夢/いつも主導権を握られているヒロインが逆に手玉に取ろうとする話】
(狼狽えるローウェル氏が思いついたのでつい)
(ミネ様、リクエストありがとうございました)