(レイヴン・妹)









秘密の夜









自分が休んでいた間に一体どれだけの人を救えただろう。

自分が迷っていた間に一体どれだけの人を守れただろう。

いつも後悔ばかりが先だって。

あの時の事が、嫌程脳みそに染み付いてしまっているものだから。

今日も眠れないし、今日も頭のどこかで不安がって怯えてしまう。


根っからの臆病者なんだろう。


だから。

自分が休まない事で人が救えるのなら。

自分が悩まない事で人を守れるのなら。

天秤にかけて、後者を選ぶ。


(失うのは怖い。もう二度と、間違えたくない)


記憶は美化され、嫌なものほど忘れていくというが、この恐怖心だけは胸にしっかりと刻み込み、忘れないようにする。


そうすることで、過去の後悔から逃れたいばっかりなのだ。


私たち、二人は。

似た者同士。

なんだから。




 +




パチ。

火に舐められた薪が音を立てて弾ける。

その音に意識はふと現実に呼び戻された。

夜も深い。

あたりは数刻も前に闇色が射し、あっという間に呑み込まれてしまった。

魔物対策と暖を取ることを目的に灯されたたき火を光源に、は意識をふと手元の本に戻す。

先程立ち寄った町で手に入れたそれはまだ新しい新書の甘い匂いがする。

どことなく手に馴染むことのないページをまた一枚捲ると、隣に座る男は静かに長い息を吐いた。


「お嬢ちゃん心配させてどうすんの」


目線だけは活字を追ったまま、感情のこもっていない「何が」と短く返す。

今夜はやけに静かだ。

昼間のギガント戦が効いているのか、野宿続きが続いているせいもあるだろう。

ぴらりとページをめくる音。

ぱちぱちと薪が燃える音。

後は遠くの方で夜に生きる鳥たちの静かな鳴き声が響き渡り、よく耳をすませば仲間たちの寝息も聞こえてくる。

今日ばかしはエステルやリタだけでなく、ジュディスやあのユーリまでもが今では静かに寝息を立てて休んでいた。


「お前さんだってきつい癖に。ここはおっさんに任せて休んでなさいな」

「あーそゆこと。でもま、夜更かしなのは今に始まったことじゃないし」


この場に残ったのは年長組のレイヴンと、その片隅で何か話すわけでもなくじっと読書を楽しむのみ。

レイヴンの言う“エステルの心配”というのは最前線で戦闘、回復をこなし、更にはともに旅をするようになってからほとんど彼女が見張りを引き受けていることにあたる。

休まなくて平気か、という心配。


「だって眠くならないんだよなあ」

「…それ、俺が知ってる頃より酷くなってない?」

「確実に酷くなってますね」

「ですよね」


ジト目で同じ色の瞳が見つめてくるのを、は肩をすくめて返事をする。

確かに。

疲れているのに眠たくならない、所謂不眠症って言うヤツになって間もなく10年になる。

始めは寝不足が相まって食欲やら仕事にも影響を出していたが、今ではうまく付き合えるようになり、眠くなれば眠り、眠たくなければ無理して寝ない。


(結局のところ、身体が一番自分の事わかってると思う)


ただそれだけの事を繰り返しているだけで体の方が順応してくれていったようで、欲望に忠実に暮らすことは案外快適に感じるようになった。

一人の夜は長いというが、元より女の一人旅。いつ寝たって、起きていたって、体感時間は変わらない。


「いいんだよ、実際。起きてる時間が長い分、いろんなことを見て知れるし」

「…ふーん、そんなもんかねえ」

「そういうレイヴンだって、見張り当番引き受けすぎ」

「そう?」

「そう」

「ま、最年長ってのもあるしねえ。俺は慣れてるからいーの」


ちらりと彼を見やると、案の定、私の目を全く見ようとせず、事前に集めておいた枯れ木を膨らむように燃える火の玉に投げ入れる。


(兄さん、それ、は)


慣れてる、って。

その言葉の奥に隠されたいろいろな意味を知りながら、ここで言葉に出来ないもどかしさ。


(例え仲間が寝静まっていても、この空間では兄妹としていられない)


付き合いの長い仲間として、になる。

手を伸ばせば届く唯一の肉親に泣いて縋る事が出来ない。

共に。

旅が出来るだけでありがたいと思わなければいけないのに、それなのに。

ついつい欲が出るのを理性でぐっと惜し堪えた。


「それに」

「…何」

「そこはお互い様でしょーが」


ぱち、とはじけて、声を詰まらせる。

いつものお茶らけたものでない落ち着いた声色で言われて、抗議しようとした言葉は喉の奥に呑み込まれてしまう。

兄の声だ。

心配する、兄の。

は読みかけの本をぐっと抱き込むと、言葉を選ぶように考え込んだ。


「似た者同士なんだから、仕方ないでしょ?」


確信めいたことを言えない、歯がゆさ。

妹として、いたいのに。

立場がそれを許さない。

レイヴンもそうだ。

お互いにいくらか口も頭も回る方である癖に、それぞれが不器用で、本当のことを言えないままでいる。

微妙な距離。

関係。

ピンと張り詰めた糸を最初に緩めたのはレイヴンの方だった。


「ぷぷっ。そういうとこ、本当に誰に似たんだか」

「中も外も母親似って言われてるけどな。あんま覚えてはないけど」

「小さかったもんな。…でも、確かに似てるよ」

「そうなの?」

「…」


薄く微笑んだかと思うとレイヴンは口元を手で覆い首の後ろをガシガシと掻く。

まるで、やっちまった、とでも言うような仕草。

珍しくうっかり口を滑らせた彼に、はからかうようににやりと笑って見せると、レイヴンは頭を小突くように大きな手で自分と同じ亜麻色の髪を撫でた。


「…」


その大きな手の上から自分の手のひらを重ねると、剣や弓で節々が固くなった感触を指で感じることが出来た。

温かい。

生きている。

ぬくもりが頭から、指から伝わっては噛みしめるように目を細めた。


「見張りもね、他の仲間たちの事、信用してないわけじゃないんだ。ただ」

「大丈夫、わかってるから」

「でも」

「大丈夫」


唇をぎゅっと噛みしめる。


「…うん」


味わうように頬ずりをすると、兄は思った通り困ったように肩をすくめていた。

ごめん、少しだけ。

少しだけ。

充電させて。

仲間たちが寝息を立てていることをいい事に、秘密の関係を楽しんでいる。


小さく頷いたのを合図に手が離れる。

そうして、二人の秘密の兄妹時間は夜更けと共に終わりを告げた。














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