(ユーリ・水着イベ後)
先約
旅の道中、ひょんなことから所謂「水着」と呼ばれる装備品を入手した一同は、折角の頂き物を着ない手はないと海に訪れていた。
最も適した季節からはややずれてしまっていたが、それでも暑さの残る今日くらいの気温なら足先を水辺につけるくらいは平気そうだった。
なにより、他の一般人があまりいないのは羽を伸ばす意味ではちょうどいい。
「お、遅かったじゃんユーリ」
「お前…そこはお約束だろ」
「何の話?」
エステルであれば疑問があれば小首をきょとんと傾げて目をぱちぱちとさせるところだが、目の前の彼女は(何ならリタも同じ反応をするが)怪訝そうに眉を顰めてくる。
そんな視線におどけながらも、目に焼き付けるように髪先から爪先までゆっくりと見下ろした。
ハイネックのエメラルドブルーの水着は彼女の瞳の色と似ていてよく似合っている。
他の女性陣が足をむき出しにするスタイルなのに対し、彼女はやや透け感の強いパレオを着用。
その隙間から覗く両足はジュディスとはまた違った年齢相応の艶めかしさがあった。
「何、目の保養中?」
「そんなとこ」
「…何が楽しいんだか」
男ってわかんない、と肩をすくめる彼女。
聖女という割に恥じらいが皆無な彼女は、男のそういった視線にも動じることがないのでこれ見よがしに目に焼き付けることが出来た。
これが自分やレイヴンだけに限らずそこらの一般男性にも態度変わらずな感じで(寧ろ彼女の場合はジュディスと同じで減るもんじゃないしと気にしていないきらいがある)、今回時期が時期だけに通行人が少なくよかったようなそうでなかったような。
「にしても、よくみるとすごいのな、それ」
「あぁ、これね。さっきリタにも言われた」
ユーリが顎と視線で指し示すのはちょうど胸の中心部と両手の甲に印された入れ墨のことだ。
ギルド「オルレアンの乙女(ジャンヌ・ダルク)」でもある程度上位の階級を意味する紋章ということをギルドオタクのカロルが嬉しそうに語っていた気がする。
普段は服とグローブによって覆い隠されたそれは彼女も言う通りリタの興味をそそるのも頷けるほど複雑なものであった。
「胸のこれは心臓を、両手のこれは祈りを。始祖の隷長様に捧げますよって言う証」
「…へえ」
ユーリは不機嫌そうに顔を顰めた。
(心臓を、ねぇ…)
下町で帝国兵とトラブルになった際も、この胸の証を見せることで兵は顔色を変えた事から、この紋章がちょっとした“証”になっていることは容易に想像できる。
しかし。
その意味するところが「捧げます」となると話は別だ。
人外に対して思うのはお門違いかもしれないが、まるで始祖の隷長の所有物かの様。
…そうなってくると面白くない。
「何、その不服そうな顔は」
「…別に。痛々しいなと思って」
「ま、実際超痛かったよ?私が銘を受けたのは12だったしもう、超泣いた」
ふーん、と考え事をしながら返すユーリ。
彼女の言うことが本当ならばもうその年ごろからは魔導器無しで治癒術や魔術を使いこなせていたころになる。
魔導器の代わりにマナを一時的に保存し、変換できる紋様。
入れ墨、と言ったがそれは始祖の隷長の血で染めているとか言う噂もあり、実際に目の前の彼女に問うと「そうなんじゃない?」とあっさり返されてしまった。
下町出会った頃は自分のことを棚に上げてなんつーちゃらんぽらんな、と思っていたが、4つほどしか変わらない彼女が実は相当な人物なのだと知りあんぐりしてしまう。
「欲しいもんがあるんだけど」
口走ってしまって珍しくはっとなる。
言葉は空気を震わせ彼女の耳に届いたらしく、彼女が口の中で「欲しいもの?」と呟いたのが遅れて聞こえた。
こうなったらどうにでもなれだ、と意を決した時、浜辺の方から感じたものにやれやれとため息をつく。
「…!」
「お兄さんも気付いた?他にも客がいたらしい」
「…お相手しますか」
「そうしましょう」
退屈していたユーリはちゃっかし用意していた武器の柄を握りこみ、砂浜の中から現れた巨大な蟹の魔物に備えた。
手をグーパーさせるに「動きにくいなら見ててもいいぜ」というユーリを「冗談」と笑い飛ばす。
「今夜はカニ鍋かな」
「はっ…!腹ァ、壊すぞ」
― 絶風刃 ―
流石戦闘狂の彼は誰に頼まれるわけでもなく進んで敵の懐に飛び込み切りかかった。
それを援護するように後方から強めの魔術を展開させる。
水着の姿だとよく分かるが、魔術を詠唱する際、胸、と両手の三か所がじわりと光りを帯びた。
「光の化身なる神の剣は蒙昧なる汝を貫く」
… サンダーブレード …
天に突き上げた手のひらから放たれた閃光が魔物の頭上から一直線に落ちる。
後の轟音。
その稲光と音で離れた場所で海水浴を楽しんでいた仲間たちも駆けつけた。
「どうかしたんです!?」
「な、なんかすっごい音がしたけど…」
「ちょいと夜ご飯が自分からやってきてくれてね。今2人で下処理したとこ」
「…お前本当に食う気かよ」
あきれ顔のユーリににやりと笑うの表情からは冗談なのか真面目なのか読み取れなかった。
しかし、先ほどの雷にぷしゅうと煙を上げる蟹を見てパティは「腕がなるのぉ」と大はしゃぎしており、それにつられるようにとおっさんが「蟹みそ~」とつまみの話を始める。
実際に食べれるか食べてみて試すことになった一同はパティの指導の元その場でバーベキューの準備を始めることになった。
+
日も傾き水平線に沈むころ。
が一人、仲間たちから離れて海辺を歩いているのを見計らってユーリが後ろから声を掛けた。
「抜け出し病」
「お、ばれた。相変わらず私の事よく見てんねぇ、お兄さん」
「…ほら、これ着てろ」
「っと」
ぶん、と雑に放り投げたそれは普段彼が着用している一張羅だ。
未だに水着姿だった彼女はそのぬくもり宿すコートを受け取って、初めて自分の体が冷えてきていることに気が付いた。
自分のことには無頓着なのは性分なのか職業柄なのか。
自嘲の笑みを浮かべながら袖を通すと肩をすくめ「さんきゅ」といった。
「どこで覚えたの」
「さあな、どっかの誰かさん見てたらほっとけない病がうつっちまった」
「…何もでねぇぞー」
「そう言うなって」
波風が2人の髪をさらう。
波が砂浜に引き寄せられ、帰っていくその繰り返しをどちらともなく見つめた。
リタに言わせれば「べたべたするから嫌」というが、潮の香りといい、穏やかな波の音といい海は言いようのない心地よさがあった。
が自身の髪をまとめている愛用の赤いガラス細工のついた簪を髪から抜き取ると、シュルシュルと結び目がほどけるように亜麻色の長い髪が背中に流れる。
ユーリはじっと風に遊ばせたままの彼女の髪を見つめると、何を思ったのかひとすくい手に取った。
「ユーリ?」
少し手を伸ばせば彼女の頬だって、唇だって触れることが出来る程の距離。
近くで見るとより一層、線の細さや肌の滑らかさが際立ち、なぞるように指を這わせたくなる気持ちをぐっと堪える。
息がかかるほどのところまで近づくと、彼女は抵抗することもなくその視線、仕草一つ一つを逃さないように静かに見返していた。
エメラルドグリーンの瞳が自分を見上げる。
さっきまで減らず口をこぼしていたものとは打って変わって“女”の表情のそれに、ユーリの心臓は早鐘のように高鳴った。
「心臓は、先越されちまったが」
「…何の話?」
「俺の欲しいものの話」
「あぁ。…何?私が欲しいって話?」
「ご名答」
「やめときな」
息がかかるほどの間合いを許しておいて、間髪入れずに否定の言葉を投げる。
目線はぶれないまま。
相も変わらず瞳からは彼女が今何を考えているのか読み取れなかった。
「お互いに縛りあう関係なんてごめんだわ」
その言葉が嘘偽りであるかも、本心であるかも、わからない。
目の前の彼女が今ほど遠くにいるように感じたことはないだろう。
「今回はいつもみたいに逃げないんだな」
「…」
「じゃあこっちは?」
毛先の方に指を滑らせると、今までつながっていたものは風にさらわれて流れて行ってしまった。
代わりに今度はぶらりと垂れ下がった彼女の左手の指先をすくう。
手を優しく握りしめるとその中から薬指一本を捕まえ、指の根元を親指の腹で優しく撫でた。
「縛るんじゃない。繋いでおきたいんだよ、俺が」
察しのいい彼女は見つめていた眼を大きく見開く。
左手の薬指。
その反応で自分の真意が伝わったことを知ると、ユーリはようやくいつものように余裕気に口角をあげた。
「…。それ、さっきと同じ意味なんだけど」
「はは。何なら俺の血でも流しとくか?」
「馬鹿な男」
「そ。変わりもんの女に惚れてしまった男の末路」
張り詰めていた糸をふっと緩めるように肩の力を抜く。
「…」
一歩、ユーリの方へと距離を縮めると簡単に彼の腕の中に納まる。
返事はなかったが、彼女なりの答えなのだろうと思った。
そして、憎まれ口を一つ。
「後悔しないといいけど」
「しねぇよ。しないし、させない」
「…全く、どこでそんな言葉覚えてくるんだか」
口ではそういうが腕の中に納まる彼女は大人しいもので、ユーリが髪を撫でると人の温かさを求めるように頬をすり寄せていた。
(2019.09.29)