(レイヴン・シリアス)
恰好つけ
ぱたん、と扉を閉めた途端、二人の表情からいろいろなものが消えた。
今まで取り繕っていた笑顔の仮面がいとも簡単に剥がれ落ちて、1人は静かに息を吐き、そしてもう一人は壁を伝うように床へと崩れ落ちた。
さっきまでの振る舞いが嘘のように心臓の部分を鷲掴みにして歯を食いしばる兄を見下ろし、後ろ手にかちゃりと鍵を閉めた後“調整”に入る為距離を詰める。
実の妹であるからこそ、そんな情けない姿を見せてはくれるが、彼女が保有するエアルや彼女自身の力を自分に使わせること自体はあまりよく思っていない彼。
こんな状態であっても拒絶するように腕を押しやり、抵抗を試みた。
自分を押し返そうとする腕を優しく包み返すと、抵抗を諦めた彼は大人しく脱力した。
灯りもないただ月光だけが差し込む室内。
は苦しそうに肩を上下させるレイヴンの前に座り込んだ。
「合流してからの血の匂い、可笑しな駆動音…私の目と鼻は誤魔化せないからね」
「はは、参ったねこりゃ」
「診るよ」
血の匂いはラピード、駆動音はかなりの至近距離に行けばリタに気づかれる恐れがあったからか、なんだかんだ理由を付けて離れた場所で動いていた彼。
立ち回りは相も変わらず上手いので、その点「いつもみたいにふらふらしてるだけ」だと、今回特に気を止めたものはいなかったようだが、長年妹をするの目は誤魔化せない。
あれが終わって10年もたつが、案外その時に習得した生存術というものは抜けないらしく、微かな違和感も見逃すことはなかった。
服を脱がし終えた後の状態を見て、流石のも顔が険しくなる。
そんな彼女の反応を知ってか知らずか、兄はへらりと口元だけは笑い決して顔は見せなかった。
「無茶な血止め。これで凌げるとでも思ったの?」
「宿までなら。…いっつ」
「全く。先に傷からと思ったけど、“これ”に無理させすぎ。負荷がかかって両方の回復を遅らせてる」
「…」
「時間はかかるけど、同時に進めるよ」
右の手は心臓魔導器の調整を、そして左手は肉体の方の治療を開始するためにそれぞれ魔法陣を展開させる。
調節と治療という異なる分野の同時進行だが、人魔戦争時代はその両方の能力を求められた。
その時のことを思えば目の前の一人に施すというのは、今の彼女にとっては造作もない事だった。
「いつもすまんね」
兄が言う。
弱っているからなのか、ここが完全なる密室で他の仲間たちの気配も違う階にあることに安心しているか、穏やかな物言い。
用意周到な妹に感謝しつつ、兄妹としての時間を満喫している風にも伺えた。
こんな状態でなければどんなによいか、とは苦笑する。
とりあえず、明日の朝までならなんとかこの時間は確保できそうだが、出てきたのはいつもの可愛くない言葉。
「兄さんはそれしか言えないの?」
「ごめん」
「もう、謝ってばっか」
左右の手で力の配分を彼の様子を見ながらコントロールしている彼女はしゃべりながらも目は忙しそうにあちこちに動いている。
口角だけはぐいと持ち上げていたレイヴンもある程度状況が回復していくと呼吸が整ってきたのか、表情も顔色も幾分穏やかのものに変わってきた。
(また、人を殺してきたのね)
合流してからのこの有様。
ならば要因は合流する前にあったのだと考えるのが妥当だ。
これだけの深手と魔導器の消耗…彼に暗殺を依頼するものなど一人しかいない。
そして。
彼にはそれを実行しなければならない理由もある。
(一体いつまでこんなこと)
ここまではが察することが出来る部分であったが、実際の事は彼は口が裂けようとその身が引き裂かれようとに告げることはないだろう。
妹の前であっても道化のように仮面をかぶり、本性を知らせない。
それを兄にさせたくないは不要な問いは愚問だとこのままの関係でいられるならばと口を閉ざした。
「兄っていうのはいつまでたっても妹に頭が上がらない生き物なんだよ」
「ふふ、なにそれ」
「それだけお前さんが大切って事」
「…」
いつもは確信めいたことは言わないくせに、本当に今日はどうしたというのだろうか。
両手さえ塞がっていなければ、恥を捨て彼の胸に飛び込みしがみついていたかもしれない。
ストレートな言葉がすんと胸に落ちて来て、は目頭が熱くなるのを感じていた。
「何で男はそう恰好つけたがるかね」
「そういうもんなの」
「意味わかんない」
分かんなくていいの、と彼は言う。
いつもの調子が戻ってきた。
あと少しだ、とは左手の治療を終わらせ、最終調整にかかる。
(本当、意味わかんない)
そうしながらも頭の片隅では、いつしかの夜のことを思い出していた。
ユーリがラゴウを誰にも相談なく、独断で手にかけた日。
血の匂いを帯びた彼を、はただ何も言わずに迎え入れた。
彼は至極バツの悪そうな顔をしていたがにその状況を見られたことに対してで、自分がしたことに対しては覚悟の決まっていたようだった。
『咎めるか、俺を』
『…』
『裁くか』
『どちらも違う。戒律上、私に人を裁いたり咎めたりする権限は持たない。その掟に背いたものは厳しい刑罰が処される』
『…なら』
『私はただ――全てを受け入れ、見守るのみ』
そういった時の彼のぐちゃりと歪んだ年相応の表情は今でもよく目に焼き付いている。
まるで救いを乞うかのような。
しかし次の瞬間には“いつも通り”の彼。
彼は、自身の覚悟をもって弱さを断ち切ったのだ。
その時は見栄と意地だったかもしれないが、時間が彼の決意を固いものに変えていった。
「ね、兄さん」
結界魔導器用にストックしていたエアルはだいぶ消費してしまったが、次の街で補填すれば問題はないだろう。
彼の体にはもう傷は残っていない。
心臓魔導器も正常な域へと調整され、駆動音もエアルの循環も問題なし。
窓の奥に見える月の位置はだいぶ傾いてしまったが、今から一休みすれば明日にはすべて今まで通りに事が運ぶ。
算段は完璧だった。
「ん?」
「私もね、あなたのことが何よりも大切よ」
「…」
「だから、勝手に先に死のうなんてしたら絶対に許さないから」
直感が告げる。
間もなく、彼はこの仲間たちの元から離れていくだろう。
ならば、と先手を打つ。
レイヴンはそれには答えずに黙っての頭を撫でた。
直感が確信に変わる。
『 私はただ――全てを受け入れ、見守るのみ 』
もし本当にそんなことが起きることがあるとすれば。
私はギルドも仲間もすべて捨て、彼が生きることを選ぶ。
(2019.09.30)