(2019.06.07)
17.ケムリダケと大男
「、コートを返すよ。お陰で朝の冷えを凌げた」
ありがとう、と手渡されたものを受け取ると、まだ少し人のぬくもりが残るコートに袖を通す。
袖といってもポンチョのような作りのそれはナイフを投げる時に邪魔にならないように前が大きく空いており、内ポケットがたくさんついたそこには普段は色々なハーブが入っていることが多く甘い香りがする。
薄着のミラを気遣ってだったが、「本当に君ってやつは」と目の前の精霊の主様はのお節介に呆れていた。
「お前が風邪をひいては元も子もないだろう」
「途中からエリーとティポがくっついてきてたから寧ろ温かいくらいだったの」
「そうか、ならいいが」
敵わないな、とミラは肩をすくめる。
装備を整えると簡単な朝食を済ませてカラハ・シャールに向かって歩みを進める一同。
夜と違って魔物たちの気配も少なくはないが、ジュードの手作り即席ご飯と休息があったおかげで、ほんの少し回復した足取りでけもの道を進む。
丈夫な蔦を使って登って降りて。
途中魔物の戦闘もそうだが上下への運動も中々堪える。
昨晩は無理せず早めに休息を取って正解だったな、と思った矢先、飛び降りた時に潰してしまった何から出る煙に視界を覆われ、思わず目を閉ざした。
黙々と広がる煙。
…煙?
「ごほごほっ!みんな無事?」
「どこ…こほこほっ。どこですか?」
「勘弁してくれ、この煙はなんだ」
「くー目が染みる。催涙性の胞子だなこりゃ」
「…皆、大丈夫?」
まき散る胞子を手で仰ぎながら不安定な足場を歩く仲間たちを誘導するようには手を引く。
他の面々が目を真っ赤にさせて涙を流すのに、とぬいぐるみのティポは案外平気な様子で、に関してはコートの中から適当なボトルを取り出すと、即席で目薬を調合した。
「これ、ケムリダケだ。目や鼻に入るとしばらく涙が止まらないんだ」
「…君は平気そうだな」
「…私、職業柄アレルギー耐性あるの」
『こうなると僕と君だけがサイキョーだねー!』
「そうね。でも、この辺りは群生地みたい。踏まないように気を付けましょ」
「うん、そうだね…」
目薬で洗ってもなお目がごろごろするらしいジュードは顔を顰めながらそう言う。
道がすすむにつれて見かけることの増えるケムリダケたち。
特産と言われ、料理に使えば美味しいという事は聞くが、旅するうえでは厄介なことこの上ないな、とため息をつく。
名前の通り煙たい存在なのだ。
『すごかったねー!ナントカダケ』
「モクモクでした。あの煙はなんなんですか?」
「あれはケムリダケの胞子だよ。頭のいい魔物は獲物がケムリダケに近づくと胞子で目と鼻を聞かなくして捕まえるんだ」
「薬用植物でもあるからよく乾燥させたものを止血剤に使う事もあるけど、食べる事も出来てこのあたりの特産品なんだって」
「ほう!それは興味深いな」
「ああ見えて意外にね。シチューにすると最高らしいよ」
はさらりと説明するが、しっかりその手にはケムリダケが数本採集されており、先程涙が止まらなかった原因でもあるそれをアルヴィンは恨めしそうに見つめていた。
彼女の場合、使用目的は間違いなく食用ではなく薬用。
この辺に群生しているそれはにとっては薬にしか見えていないのではと思うが、何も言うまいとアルヴィンは口を固く閉ざした。
しかし「シチュー」に食いついたエリーゼ、ティポ、ミラは色々な反応を見せ、食べ物の話で盛り上がっていた。
そんな空気を壊すような獣の気配にジュードが身構える。
視線。息遣い。警戒心。
…シルヴァウルフだ。
明らかに自分たちの方から視線を離さない様子に、それぞれが武器を構えて臨戦態勢になる。
しかし、いきなり襲い掛かってくることはなく、牙を剥きながら威嚇するばかり。
…まるで、誰かに「待て」とでも命令されているように。
「あ!おっきいおじさん…」
始めてエリーゼに出会った時に一緒にいた大男が森の奥からこちらへ近づいてくる。
その存在感は数メートル離れていても息をひそめてしまうほどで、敵意は感じられないものの、緊張感が走った。
「さぁ娘っ子、村に帰ろう。少し目を離している間にまさか村を出ておるとはのう。心配したぞ」
『いやー!ジュード君庇って』
「…あなた、エリーゼとはどういう関係なの?」
「その子が以前いた場所を知っておる。その子が育った場所だ」
「なら彼女を故郷に連れて行ってくれるんですか?」
「お前たちには関係ないわい。さぁ、その子を渡してもらおう!」
一歩、二歩と距離を詰めるように近づいてくる巨体にエリーゼはにしがみつき、そんな彼女を庇うようにジュードは腕で制した。
ほんの少し吊り上がった琥珀色の瞳が大男…ジャオを睨みつける。
素直に渡す気はない、という事が伝わるとジャオは少し残念そうにしながら細い目をカッと見開いた。
「聞き分けのない子だ」
巨漢が振り回すのはその辺の木くらい簡単にへし折ることが出来そうなほど巨大なハンマー。
それを勢いよく地に叩きつけただけで大地はめり込み、その振動で脳が揺れる感覚に陥った。
今までの魔物とは日にならないほどのパワーの持ち主だ。
「お前の方こそ、聞き分けろ!」
「ミラ、力を貸して」
「了解した」
― レイニースティンガー ―
「ちっ、どんだけタフなんだよ」
体格でも力でも自分が前線に出ることはリスキーだと察したはジャオ戦をジュード、アルヴィンにまかせ、戦いやすいようにとウルフに精霊術を当て注意をそらしていく。
「何故だ娘っ子。その者たちといても安息はないぞ?」
「…ともだちって、言ってくれたもん」
『もう寂しいのは嫌だよ!』
「エリーゼ…」
「行くよ、エリー!」
「…はい!援護します!」
… ネガティブゲイト …
ジャオの指示で動くウルフたちを一掃する。
いくらか戦いやすい状態になると、ジュードは持ち前のスピードで大振りする相手の隙をつき内側に入り込むと、容赦なく技を決め込んでいく。
自分よりもいくらか太い腕でジュードを薙ぎ払うと、ジャオはエリーゼと共に後方から精霊術で応戦するを一瞥する。
「(この子が、可能性といったか)」
ぞくり。
身が粟立つ感覚には詠唱を止めて、ガードに徹した。
「ちったあ痛いぞ」
「――!」
― 金剛拳 ―
あれほどは十分に取っていた距離だったのに、巨体に似合わず一気に詰めて来て殴りかかる攻撃に咄嗟にバックステップを踏むことで直撃を免れる。
しかし、地がめり込むほどの威力にの体は簡単に吹き飛ばされ、幹に背を叩きつけた。
激痛が走り目が眩む。
遠くで自分の名前を呼ぶ仲間の声が聞こえたような気がした。
「!」
「くっ、なんだこのウルフ!どこから…!」
『君に乱暴するなー!』
背中の強い衝撃による痛みと、同時に打ち付けたらしい頭の鈍い痛みとで体がうまくいうことを聞かない。
一歩、一歩と歩み寄るジャオ。
意識だけは飛ばしてしまわないようにしながら、はかろうじて動くようになった右手のナイフをぎゅっと力強く握りなおしてその時を待つ。
「お主が、例の“人型”じゃな」
「!」
「まさかこんな形で会えるとは…」
しゃがみ込んで近くで見る彼の瞳は優しくて、まるで可哀想なものを見るように切なげだった。
(…この人、私の事を知ってる…?)
半分機械仕掛けの心臓が高鳴る。
体の力が抜けて大きく目を見開いたときジュードの「から離れろ」という言葉と共に魔神拳が飛んできてはっとなった。
ジュードの蜂蜜色の瞳を強く睨みつけると、視線はすぐさま自分の手元に落とす。
勘のいい彼にはきっとこれからすることが伝わったはずだ。
ナイフを握り締めると、幹の近くに群生していたケムリダケを無理やり切りつけ、胞子の爆発を起こす。
「なんだと!」
勢い良く舞い上がるケムリダケの胞子はジャオとを包むように大きく膨れ上がっていく。
察しのいいジュードはジャオの目くらましの為にしたのだとすぐに気が付き仲間たちに口を抑えるように言った。
ケムリダケの胞子で目くらましをし、動きを止めているように仲間を逃がすようにだろうとも容易に想像がつく。
ゲホゲホと咳を繰り返し狼狽えるジャオ。
耐性のあるはどうってことなかったが、なんせ体を打ち付けた衝撃で体が思うように動かない。
幹を伝うように立ち上がりなんとか一歩一歩とその場を離れようとしていると、離れたと思っていたはずのジュードが自分の腕をつかみ、自身の首に回し抱き上げ、その場を後にする。
「…ジュード君」
「…」
「…他のみんなは?」
「みんな無事だよ。アルヴィンが先導してくれてる」
「そう」
よかった、と表情を緩めるが見上げたジュードの顔は怒ったままだった。
彼に身をゆだねたままは唇を閉ざし押し黙った。
「が無事でよかった」
「…」
「約束して。もうあんな風に一人で無茶しないって」
いつもの温厚さが消え、静かに言った。
こんな彼の表情を見たのは初めてで、親に叱られる子どものように胸がぎゅっとする。
「ごめん」
そうしてしばらく考えたのち、はようやく謝ることでその返事を返した。
お気軽に拍手どうぞ
ぽちり