(ジュード・chamomileシリーズ)
2.温室からの脱却
「精霊が、いない?」
どうも今日くる患者のほとんどが精霊術失敗による負傷が原因だった。
そのどれもに霊力野の異常は見られない。
マナは通常通り出ている。
なのに、呼応する精霊がおらず術が失敗してしまうという。
「なんにしても、ありがとう先生。これで仕事が出来るよ」
エデは腕をさすりながらジュードに向かって微笑みかけた。
それにはジュードも考え事を中断し見送ると、姿が見えなくなったところで思考を再開する。
(帰ったら、にも話を聞いてみよう。…そういえば、まだ戻らないのかな)
時刻を気にしているとプランさんがやってきて、さっきの患者が最後であると告げる。
「研修医だけの診察は禁止されてるのに、大丈夫かな」
「教授もいい加減ですわね~。急な患者が来ないとも限らないし、今日は珍しく先生も同伴で不在でしたし」
「…、教授についていく事、喜んでたでしょう」
「それはもう!最近は研究か何かで置いてかれることの方が多かったようですから」
「あはは…(その度に僕に不機嫌に当たってたもんな…)」
医療器具の消毒をっせっせとこなすプランさんに乾いた笑みを浮かべる。
「今日はいつも居残りしている相棒がいなくて寂しかったんじゃないです?」
「寂しいって…。確かには専門以外にも知識が長けてるし、どんな場面でも堂々としてるから心強いけど。同い年で話しやすいし」
「先生、ハウス教授の診察もあって1年前よりすっかり顔色もよくなりましたものね。これは次年度からが楽しみですわ」
「…もう、プランさんが期待するようなことは何もないですから!」
くすくすとあしらわれるのに、ほおを紅潮させていると、診察室にもう一人医師が飛び込んできた。
「あ、あの!ハウス教授見ませんでしたか」
「そういえば、もう帰っていてもいいはずですけど。何かあったんですか?」
「先生の研究がハオ賞に選ばれたと連絡が」
「え!研究者最高の賞じゃないですか!」
先方から連絡が欲しいと言われ探し回っていたらしい彼にジュードは行先を知っているからと自ら名乗り出て、研修医姿から普段着に着替える。
「すみません。いつも雑用な事ばかり」
「先生のお迎えよろしくね」
「…もう、プランさん。では行ってきます」
愛想よく診察室を飛び出すと、中央広場を抜けて学術研究地区へ。
普段学生が立ち入ることはほぼ皆無といっていい場所だからこそ緊張する。
尊敬する教授が最高賞を受賞した喜びと、早く知らせたい気持ちから進む足取りが軽くなった。
10分と少し歩いたところで研究所の入口と思われる場所へ。
門の警備員が「もうこの時間は立ち入り禁止だよ」と制するので、ジュードは条件反射で謝罪したくなる気持ちを抑えて絞り出すようにハウス教授の迎えであることを伝えた。
「タリム医学校のハウス教授です。あと、一緒にっていう女の子もいたと思います」
「ハウス……」
「あぁ、その二人ならもう帰ったはずだ」
「それ、出所記録ですか?」
警備の門兵からボードを受け取り、昼間に受け取った単位の署名と直筆のサインを見比べる。
の字に至ってはカルテで何度か目にしているが、何かおかしい。
・。
初めて知る彼女のフルネームをもう一度脳裏に焼き付けると、今回の目的である迎えについて改めて「どうしてもダメですか?」尋ねる。
帰ってきた言葉は無慈悲にも「規則だから」の一言でジュードはしぶしぶ引き下がった。
「どうしよう、あの人たちも仕事だからな」
盛大についたため息は夕闇空に消えた。
5の鐘には戻るといい、それから2周はしただろうか。
普段ならお腹がすくと不機嫌になるシェア寮の同居人の為におかずの一つでも作っているところだ。
何も、無いといいけど。
そんな心配は街灯樹の灯が消えることでかき消された。
イル・ファンの暗闇を照らすものが何もなくなると一気に不安が立ち込める。
「やっぱり、精霊がおかしい?」
突風が吹き、手にあった単位の証明書が吹き飛んでしまう。
それを目で追った時、視界に、揺れる金の髪が目に入った。
(あれは…)
水上を歩く、人。
なにかの精霊術だろうか。
円形の術式を詠唱無しで展開させては一歩一歩と歩みを進めている。
人とはかけ離れた雰囲気をまとうその姿に思わず声を失った。
女性は振り返りジュードの姿を視野に入れると指先で静かに、とジェスチャーを送る。
「危害は加えない。静かにしていれば」
それだけ言うと、女性は右手を虚空に差しだし次の瞬間研究所の鉄格子をいとも簡単に焼いてしまう。
捻じ曲がる鉄格子。
火が消えて、煙が上がる。
歪んだ排水溝は人が、通れるようになった。
進むか、戻るか。
二つの選択に迫られた時、彼女が展開していた水上の術式が一つ一つ崩れていく。
ジュードは足場を求めるように彼女を追い、研究所の不法侵入の道を選んだ。
(もしかして、中で何かあったんじゃ)
一抹の不安を胸に、ジュードは地下水の入り込む通用口を進んだ。
+
時を同じくして。
『――』
壁一枚隔てて話声が聞こえ、意識が徐々にクリアになっていく。
覚醒しきれない鈍い痛みを抱えながら、徐々に開けていく視界から、耳から、情報を辿る。
(私、確か、研究所きて、ハウス教授に、捕まって、それで)
詰まる所、騙されたというわけだ。
元より完全に信頼して身を寄せていたわけではなかったが、それでも親以外で最も長く傍にいた大人だっただけに抉られるようにな気持ちが胸を埋める。
自分の落ち度であり、甘さであり、弱さ。
自分に都合のいい温室から出られずにいつまでも事を仕損じていたから熱い轍を踏むことになる。
もっと早く行動に移すべきだった。
何度も後悔したはずなのに、居心地の良さに身を置いてしまおうとする当たり、私も学習していない。
…今は兎に角この状況を、って話かもしれないが。
「目ェ、覚めた?」
歳で言えば同じくらいの女の子の声。
身動きをしようとすると手の枷の存在を思い返し、表情を歪ませる。
「その余裕なくなって焦ってるその顔マジで最高」
「だれ、貴方」
「誰だっていいだろ。アンタ、どうせここでマナをぜーんぶ吸い取られて死んじゃうんだから」
ニヤリと弧を描く唇。
見下されていると感じる圧倒的な威圧感。
殺気。
「それとも、アタシに殺されとく?」
背中から取り出したのは鋏の様な巨大な武器。
ぐったりとした身体に鞭を打って封じられた両手を床につきバランスを整える。
そして、臨戦態勢に入った。
「遠慮しとくッ!」
お気軽に
ぽちり