(2019.08.04)









 27.離別の時









治癒功を施すジュードの表情が段々と険しいものになっていく。

経験の浅い、研修医の自分にもわかる、目を覆いたくなるような致命傷。

たった一本の矢だが、それは確実に心臓に達してしまっていた。

治療を施しても、血は溢れ出し、唇の血の気は無くなっていき、息は細く静かになっていく。


「…くっ」


余りの状況の厳しさに奥歯を噛みしめるジュードに「お願いします、どうか旦那様を」と隣でローエンが吠えた。

ジュードの腕を手で押さえ静かに頷くことで治療を止めさせたのは他でもないクレインだった。


「ローエン、無理を言ってはいけない。自分の体の事は自分が一番よく分かる。残念だが僕はここまでのようだ」


その言葉にその場にいた全員が彼の“最期”を悟り、ぎゅっと唇を固く結んだ。




女性陣が町に繰り出す様子を見送った後、思いがけないことが起こった。

ラシュガルの狙撃兵が遠方から矢を放ち、それは一直線にクレインの胸を射止めたのだ。

矢を見る限りそれは、ナハティガルによる命令であることは容易に想像できた。


『 元々我シャール家はナハティガルに従順ではありません 』


邪魔者を消した、という事だ。

この事件はナハティガルによる独裁政権をさらに拍車をかけてしまう。

狙撃兵はアルヴィンによって仕留められたが、何より刺さった場所が悪い。

こればかりは流石にこの場にがいようとも、エリーゼの治癒術があろうとも、専属の医者が間に合おうとも状況はかなり厳しかっただろう。

ぬくもりが消えていくクレインの手をローエンは力強く握りしめた。


「ローエン…この国を頼む。いや…頼みます」

「何をおっしゃるのです。私にそんな力は…」

「無理じゃないはずだ。“貴方”なら…」


そしてうっすら開かれた瞼がゆっくりと閉じて、二度と開かなくなった。

大きく息をのむ。

灯が消えてしまったばかりの手を握りローエンは「旦那様…」と絞り出すように声をあげた。

沈黙が、屋敷にの中を覆いつくす。

しかし感傷に浸る時間は長くはなかった。


「ご報告いたします!…ク、クレイン様!?これは、一体」

「報告を続けてください。街で何かあったんです?」

「はっ!ラ・シュガル軍が突如領内に侵攻を開始。街中で警備兵との戦闘が発生している模様です」

「ラ・シュガル軍が…!」


直立不動で報告する兵の言葉に全員に今までとは違った緊張感が漂った。

街にはミラやだけでなく、エリーゼやドロッセルもいるというのに…。


「おいおい、なんかやばいことになってないか?」

「…ローエン」

「ええ。急ぎましょう、こうしてはいられません。そこのあなた、クレイン様をお任せしましたよ」

「はっ!」


心からお仕えしていたクレインの亡骸を見つめながらローエンは悲痛な声でそう言い放った。




 +




「これはこれは博士ではありませんか。ご無事で何よりです」


同じ茶褐色の瞳を細めるようにして笑うジランド。

口元は弧を描いているが、目は一切笑っていない。

トラウマと言う名の恐怖心が全身を支配する。

隙を見せないように、弱みに付け込まれないように、凛と構える。


君、あの怖いおじさんと知り合いなの?』

…?」


後ろにいるエリーゼが不安そうに見上げる。

奴の意図が組めない発言に動転しながらも表情だけはポーカーフェイスを決め込む

そんな反応を知ってか知らずかジランドは続けた。


「マクスウェルの監視、ご苦労でした。さぁ共に帰還し研究の最終段階へと進めましょう」

「…何のつもり?」

「おやおや、もう芝居を演じなくても結構。王も貴女の帰還をお待ちです」

「……」


ジランド、と絞り出すように小さく呟く。

こんな街中で、多くの民だけでなくミラやエリーゼ、ドロッセルまでが人質になり得るこの状況で、私にガンダラ要塞に戻れと言っている。

これは誘導ではなく、脅迫だ。

私の言葉一つで、怪我人が出るかもしれない。

ごくり、と生唾を飲み込む。

背中からはエリーゼの「どういうことですか」というか細いエリーゼの声と、押し黙るミラの圧を感じる。

弱みにされるかもしれないこの状況、下手な発言は出来ない。

震える手のひらを強く握りしめることで誤魔化した。


(汚い手口)


しゅるり、と赤いリボンを解く。

ほどけた髪が風に踊るように背中へと降りていった。


(いいわ、あなたのその茶番…付き合ってあげる)


大切な友達からの贈り物だが、これが恐怖に支配されながら精一杯考えだした策がこんなものだった事を心の中で昔の友と、仲間たちに詫びる。

腿のホルスターから投げナイフを一本取りだす。

音もなく取っ手に赤いリボンを括り付けると、ミラに目掛けてしゅっと投げつける。

ミラ、否、正確にはその背後にそびえ立つ樹木にだ。


(誰か、きっと気付いてくれるはず)


ナイフは一直線に、静かに腕を組みながらも全く動じることのないミラの真横を通り、背後の巨大な樹木に突き刺さった。

小さい悲鳴が飛ぶ。

もう、かつての友人に顔向けできないなと心で苦笑する。

置き土産だ。

ジランドからしてみれば、それが彼女が下した決断であり、彼女がガンダラ要塞へ戻るという意思表示だと受け取れただろう。

長い亜麻色の髪を背に払うと、一歩ずつ確かに軍の方へと歩みを進める。


「――交わした約束を覚えているか」


ずっと口を塞いでいたミラがようやく言葉を投げかけた。

ぴたり。

歩みを止める。

イル・ファンからずっと共にいるからこそわかる、返答次第では切り捨てる、と言わんばかりの声色。

その手は剣を構えたままだ。

足を止めたは振り返らずに静かに答える。


「さぁ?忘れちゃった」

「…」

「――斬りたければ斬ればいい」


反応はなかった。


『 嘘偽りはないな 』

『 ない。――その時は、斬ってくれて構わない 』


ミラに真意は伝わっただろうか。

その言葉を放った途端、の真横を精霊術にも似た衝撃波がエリーゼ、続いてドロッセルに命中する。

続いてミラにも。

バサリ、と言う音で背中の方でかつての仲間たちが倒れたのだと容易に想像が出来た。


(私を、ね)


目を閉じて、息を静かに吐き出す。

そうしてゆっくりとジランドの元に“戻る”。


「…。これで十分でしょ。それに私の“モノ”を遣えばマナの供給は十分なはずよ。街の人を開放して」

「あぁ、いいだろう」


手が届く距離まで言ったところで口調も声色も変わった。

今までの猿芝居に反吐が出る。

ジランドはラシュガル兵に片手をあげて合図を送ると、やや乱暴ではあるがカラハ・シャールの街の人たちを開放していった。

視界の端でそれを見てほっと息を吐く。

罪悪感から腕を組み、決して目線を合わせないの顎をジランドが強引に鷲掴みにする。


「…っ」

「手を煩わせやがって」


強制的にに見上げる形となった視界の端に振り上げられる手が見えた。

ぐっと目を瞑った直後のこめかみに鈍い衝撃。

重い痛みと共に視界が回るような感覚ののち、意図も簡単にその意識は途絶えた。

意識がブラックアウトする寸前「連れていけ」という声だけがやけに耳に残った。














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