(2019.10.24)
43.今を刻む
父の手記は本当に走り書きのメモのようなものばかりで時系列もばらばらだったり、次のページが数年後の記録だったりとまるで本人の性格を表すようだった。
それもそのはず、父も同様、瞬間記憶能力の持ち主。
大抵のことは見ただけで覚えてしまうので、記録の必要がないのだ。
(それでも残したって事は、自分じゃなくって別の誰かに宛てたものって事か)
その結果、今があるのならば残すことに価値があるのかもしれない。
ぺらぺらと見て見るとほとんどが家族の日常の一コマのようなもので、娘が初めて「パパ」と呼んでくれただとか、母を次は怒らせないようにこうしよう、だとか読めば読むほどささやかな事だ。
どういったつもりでこれを残したのかわからないものも多々あるが、父にとってこの記録はかけがえのないものだったのは間違いなかった。
手記を父の書斎の埃の積もる棚に差し込む。
読むのはまた今度。
ちゃんと、読める状態になってから。
そして、しまった父の手記の代わりに今度は視線を父の机へとやった。
(エリーにも手紙書くって約束したし、ちょうどいいかもしれない)
そして、引き出しの中から適当な(中でも一番コンパクトで綺麗な)ものを選ぶと、まず手始めに「ジュード君は豆腐の味噌汁が好き」と書き込んだ。
これから私もかけがえのないものを残していく事にする。
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時が経つのは早くミラが医療ジンテクスのリハビリを初めて3週間が経とうとしていた。
ル・ロンドでの生活にもだいぶ慣れ、いつしかエリンに言わなくとも率先して家事を行う姿も増えていった。
ミラは苦しいリハビリにも耐え、段々と歩ける距離を伸ばし、今では部屋中をうろつきまわるほどになったし、ついでに診てもらっていたも段々とお咎めが無くなるほどに経過がよくなっていった。
退院、という言葉もいつしか飛び交うようになる。
それを迎えるという事は、先に進む、つまりはイル・ファン目指して旅に出るという事を意味した。
「レイア、前髪切ったでしょ」
「わかる?すごーい、お父さんにも気付かれなかったのに!」
「そんな大げさな。流石に毎日見てたらわかるってば」
ちなみに僕はわからなかったけど、なんて決して言ってはいけない言葉を迂闊にもこぼしてしまわないように口を閉ざすジュード。
そうしながら仲良く肩を並べて、今食べたばかりの食器を洗う2人を見た。
がスポンジで食器を洗い、水ですすいだ食器とレイアが付近で水気を取っていく。
最初はぎこちない空気が漂っていた二人だが、いつの間にやら誰が見ても友達のそれで。
仲が合わないと思っていたジュードは「女の子ってわからない」と一人ぼやいていた。
「午後から大先生の診察があるんでしょ?残りやっとくから置いといてよ」
「ちょっとくらい平気よ。私のはほとんど経過観察みたいなものなんだし」
「…まだ悪いんだ」
「レイアが落ち込むことじゃない。医療ジンテクスのおかげでこうして一緒にお皿が洗える。別に悪い事ばかりじゃないわ」
「がデレた!」
人が素直になったかと思えば「冗談だって」なんて言いながらも茶化してくるレイアを睨む。
泡を流した手の水滴をぱっと払ってレイアの顔に飛沫をかけると、は喧しく抗議するレイアを尻目にふん、と笑う。
仲が良かったかと思えば一気に喧嘩モードの女子たちにジュードはやっぱり「女子ってわからない」と眉根のしわを増やしたのだ。
「ディラック先生、すごい皺」
ジュードがあれだけ萎縮する相手ではあるが、父親としての本意を察するは彼相手に、にやりと得意げに笑う。
その表情に誰を重ねたのか「お前は間違いなくアイツの子どもだ」と吐き捨て、続けて「何か知ってる物言いだな」といった。
「自分の体の事だもの」
「言いなさい」
「言ったら先生吃驚するから…言わない」
「ほう、それは猶の事聞かせてもらわなければならないな」
彼女のペースに巻き込まれないように淡々と返すとは唇を尖らせて診察台を下りた。
ここは霊勢も穏やかだし、無茶苦茶な精霊術を使うこともないからマナが乱れることもなかった。
それに日々のお節介ジュードによるマナのコントロール実習の成果もあってか経過がいいのは一目瞭然だった。
は口を閉ざしひらりとディラックの視線をかわすとお辞儀一つしてぱたぱたと診察室を飛び出した。
マティス治療院を出ると秋特有の心地よい風が吹いて空中を踊りだす髪をぐっと抑える。
「あ、。診察はもう終わったの」
「今日も問題なしよ。ジュード君とミラはこれからお散歩?」
「あぁ。もどうだ。いい風が吹いている」
「折角だし、一緒に行かない?」
「ええ是非」
「待ちなさい!」
散歩の約束を取り決めていたところに先程とは打って変わって血相を変えたディラックがやってきた。
思わず身を縮めるが彼の手の中にある書類には見覚えがあった。
何時しかの海停で張り出されていたものと同じ使命手配書だった。
ご丁寧に3人分きちんとそろっている事に気づき、ミラもも顔を顰めた。
「何をした?文面を読む限り、何かを強奪したとも読めるが…」
「…」
「別に、迷惑はかけてないでしょ?」
「やはりお前は子どもだ」
ジュードがかっとなり、何か言おうとした時、が手配書に手を伸ばしパチンと指を弾いた。
じゅ、という音と何かが焦げた匂いがしたかと思うと紙はの精霊術の力をもってして灰と化した。
勿論ディラックにケガや火傷はない。
しかし、目を見開きその表情は驚きにあふれ言葉を失うには十分の事象だった。
そうだ。
純血のエレンピオス人であり、霊力野の発達していないが精霊術を使える可能性なんて、皆無なのだ。
しかし、彼女はたった今目の前でそれを為した。
まさに、ありえないことでも他に可能性がないなら真実になり得る、というやつだった。
「でも、子どもには無限の可能性があるのよ?」
やっぱり驚いた、とは悪戯っぽく笑った。
それから、行こう、とミラとジュードの手を引くとミラが転ばない程度のスピードで坂を下って海停へ向かう。
秋の心地よい風が彼らの背中を後押しした。
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ぽちり