(2020.2.18)









 56.染み付いた恐怖









あの晩、何度も悪夢に魘された。

悪夢、否、それが夢が現かも判断できない意識の中で「マナが感じられなくなった」という事実に怯えて震えた。

体の中でどろどろと流れていたものが急に感じられなくなり、体は軽く呼吸もいくらか楽だったというのに、気分は重くて仕方がなかった。

ずっしりと圧し掛かる負の重圧。

不安に苛まれる夜。

どうしよう、どうしよう、どうしたら。


「――」


精霊術が使えない。

そのことを悟られてはいけない。

だって私はリーゼ・マクシア人ではないから。

両親ともにエレンピオスの人間で、エレンピオスを全く知らない私であっても純血のエレンピオス人なのだから。

精霊を殺してしまう黒匣を内蔵してようやくリーゼ・マクシアで生きていける異質だから。




翌朝、“いつも通り”重たい体を起こして目を覚ました。

眠れたのかどうかも怪しい頭痛の中、胸の部分を握り締めてその動きを確認する。

ジジ、という機械の駆動音とそこから溢れ出すマナ、そして全身をめぐる感覚。

久しぶりのマナ酔いの感覚に何度も吐き気を催しながらも、泣きたくなるほど安心したのを覚えている。


(よかった)


と、思った頃には一滴涙がこぼれ落ちていた。

窓の外を見つめて、途方に暮れた。


(よかった。まだ私は、ここに居られる)


一度芽生えた「私がここにいられなくなるかもしれない」という恐怖はそう簡単に忘れられるわけではない。

祈るように自身の手を強く握りしめながら少しずつマナを流すことだけに意識を集中させたのだった。




 +




ってさ、そんなに髪薄かったっけ?」


突然のジュードの発言に、は読んでいた本から目をそらしたかと思うと天井を見上げ露骨に不機嫌を醸し出したのは言うまでもない。

ある意味別の意味にもとらえられるその発言を受けてむっとして返すのは当然の事。

それをたまたま小耳に挟んだ仲間たちが「それはちょっと」と慌てだしたのを受けて、ジュードははっとなる。


「あ、ちがっ!…色だよ色!髪色の事だからね」

「…知らない。気のせいじゃない?」

「わわわ、誤解だって!」


今のは間違いなく年頃の女の子相手に言葉を選ばなかったジュードが悪い。

そのジュードの失態に対するの返答は言葉以上に冷めたもので、ジュードはイル・ファン時代を思い返す。

仲間全員が“あぁこれが塩対応ってやつか”とことの次第を離れたところで見守るに徹していたが、ふとレイアが彼の失言を思い返してはっとなる。


(でも、確かに)


初めて会った頃、彼女は今のような亜麻色をしていただろうか。

幼少期の彼女が室内にばかりいたという事、また光の具合と言われれば確信めいたほどの変化は感じられないが、彼の言いたい事もなんとなくわかる。

ちらり、とを目で追ってみると、いまだに塩鬼ごっこは続いているようで、は目を合わせることなく読みかけの本を開いて持ったままジュードから逃げるように部屋を歩き回っている。


「ちょっともう。喧嘩しないでよ~」


後半はさすがに不憫な幼馴染を助けるべく、からかう事に徹していたにレイアは声を掛けた。




しびれを切らしたミラがついに立ち上がった。

はじめのうちはユルゲンスさんの事を気遣っていたジュードだったが、流石に時間が掛かりすぎている。

とりあえず近くまで行ってみようとなったのがついさっきの事で、今はというと城門をくぐって王城内に足を踏み入れたところ。


「丁度よかったよ。今謁見が終わったんだ」


ユルゲンスはこちらに気づくと愛想の良い笑顔で手で招いた。

ワイバーンの使用については問題なし。

ダメもとで謁見についてお願いしたところ、あっさりと了承されたとのこと。

むしろ。


「君たちの名前を伝えたら、逆に陛下の方から会いたいとおっしゃられた」


というから思わずジュードとミラは目を見合わせたほどだった。

とんとん拍子に話が進み、警戒しないわけがない。

ユルゲンスは先に町へ戻り、ジュードたちが町に戻り次第すぐにワイバーンを飛ばすことが出来るよう手はずを整えてくれるとのこと。

ここに居ても仕方がないと、一同は謁見の間へと足を進めた。


「ふむ、思わぬ歓待だな」

「確かにあまりいい予感はしませんね」

「そうかなー。会わないで帰ることにならなくて済んだんだからよかったじゃない」

「アルヴィンはどう思う?」


ジュードが問うとアルヴィンは肩をすくめてどちらともとれるような反応をした。

その何とも言えない反応にジュードの目に「疑い」が宿る。


「アルヴィン、嘘は嫌だからね」

「お前たちが俺を信じてくれてるってのは知ってるよ」

「…」


隣で歩いていたがまたこいつは何かしでかすだろうと予想して押し黙る。

またアルクノアだろうか。

シャン・ドゥの街であれほどミラに警戒をされていたというのにこの人は。

口をきゅっと結んで黙り込んでいると、知らぬ顔のアルヴィンが歩みを合わせてきた。


「何か言いたげだな」

「…別に。私に話しかけないでくれる?」

「ふーん、あっそ。まぁいいけど」


間の悪い奴だと思う。

こっちはシャン・ドゥの宿で精霊術が使えなくなる事件以来、誰にも相談できずに頭を抱えているというのに。

かといって、隣にいる彼に相談できるわけでもない。

アルクノアと未だに繋がっているであろう彼に余計な情報を与える必要はない。

これは、私が何とかして解決させないといけない。

なんとかしなくちゃ、という思いが交錯する。

意識を集中させると、機械仕掛けの心臓はジジ、と音を鳴らせて生きようとしていた。

ほう、と人知れずため息をついたときだった。


(元に戻ってよかったな)


すっと横を通り過ぎる声。

耳元で鳴った音には足を止めて目を見開いた。

思考が止まる。

足音が遠く離れていく。

開いてく距離に溝が深まっていくのを感じて仕方なかった。














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