(2021.1.25)









 58.泥沼に沈む









「そうだろう、人型増霊極の被験者であり唯一の生存者、


サァと指先から血の気が引く。

震えてしまいそうな唇を持ち前の意地できゅっと引き結んだ。

誤魔化すように「なんのことかしら」と言い返そうとした矢先、「瞬間記憶を持つ貴女がまさか忘れた、なんてことはないだろう」とウィンガルに先手を打たれて黙らざるおえなかった。

周囲の視線を背中に感じる。

仲間たちの困惑が肌に刺さるようで息苦しくなった。


(どこまで、私の事を)


増霊極、そして瞬間記憶。

そこまで深い事情について知るものは数えるほどしかいないはず。


(もう何もかもお見通しってわけね)


考えるまでもない、内通者がいる。

先程から何食わぬ顔でこちらを一切見ようとしない人物。

今まで何度も何度も私の手を払い続けていた人物。

疑うまでもない、彼だ。

なんてことをしてくれたんだ。

今までの裏切りとはわけが違う。

私が、ここにいられなくなる一番恐れていた事実。

こみ上げる不安、焦燥、嫌悪…すべてを押し堪えた声を彼の背中へと投げる。


「…これがどういう意味を持つのか、わからなかったわけじゃないでしょう」

「悪いな。これも仕事なんだわ」

「貴方って人は…!」


きっときつく睨むとアルヴィンは調子のいい笑みを口に浮かべて軽く手を振った。


「それより、いいのかよ」

「!」


頭がかっとなり思わず声を荒げただったが、その反応こそが事実と相違ないのだと言っているようなものだった。

背中からは仲間たちの視線。

真正面からは異物を見る視線。

ひゅう、と心の内側に冷たい風が吹き抜ける。

ここに居場所はないのだと、寂しさがこみ上げて仕方なかった。


「本当なの、

「…」



「…」


アルクノアとして増霊極の設計図を盗み出すことに関与したと話したのは自身だった。

今の話が事実であれば、そこで知り得た増霊極の情報はラ・シュガルに伝わり、尚且つ人体実験を成功させていることになる。

の生存、それこそが真実なのだと物語っている。

霊力野から分泌されるマナを増大させる装置、増霊極。

それは強力な精霊術を生み、力の使い方次第では十分な兵器となるだろう。

ラ・シュガルは増霊極の力を使って戦争を起こそうとしている。


『  まぁよい。何れ戻ってくることになる  』


脳裏に再生されたのはガンダラ要塞でナハティガルが言い放ったあの言葉。

だとしたら。


(――私の生きる意味って)


機械仕掛けの心臓が軋む。

黒匣、そして増霊極の装置が加わって何とか繋いでいるモノだった。

父と母が遺してくれたもの。

命。

戦争を起こすために。

戦いに勝つために私は生かされているのだとしたら。

こめかみに冷や汗が伝う。

固く結ばれた口は微かに震えていた。

ジュードの声掛けにも答えることもなく、ただそこにいるだけで精いっぱいだった。


「――お前は民の幸せは何なのか、考えた事はあるか」


思考が止まる。

顔を上げると、王は真っすぐにを見ていた。


「人の生涯の幸せだ。何をもって幸せか、答えられるか」

「…」


幸せ。

人の幸せ。

いつもなら回転する頭も、今はただ目の前の王を見つめ返すだけだった。


「己の考えを持ち、選び、生きること」


ミラが答えた。

それにジュードも「そうだね、僕もそう思う」と続けた。

しかしガイアスは違うようだった。


「人が生きる道に迷う事は底なしの泥沼にはまっていく感覚に似ている。生き方がわからなくなったものは、その苦しみから抜け出せずにもがき、より苦しむ」


まるで目の前のただ一人に言っているようだった。

は何も答えることなくその言葉に耳を傾けている。

まさに今ののその状況こそが、底なしの泥沼だった。


「故に。民の幸福とはその生に迷わぬ道筋を見出すことだと俺は考える。王とは民に生きる道を指し示す存在。それこそが俺の進むべき道、俺の義務だ」


太い槍のような言葉が重く刺さる。

その場にいた全員が立ち尽くし、言葉を失っていた。

そして、ガイアスは「お前たちをここに呼んだ理由を単刀直入に話そう」と切り出した。


「ラ・シュガルの研究所から『カギ』を奪ったな。こちらに渡せ」

「鍵って」

「断る。あれは人が扱いきれるものではない。…人は世界を破滅に向かわせる力を前に、己を保つことが出来ないからな」

「…、…」

「俺の言葉はお前には届かなかったと見えるな」

「どれだけ高尚な道を説いたところで人は変わらぬ。――2000年以上見てきた」


真っ向から否定された気分だった。

そして追い打ちをかけるように、ウィンガルがただ一言、言い放つ


「では、貴方に鍵の所在を聞くことにしよう」

「え……?」

「アルヴィン、ウソ…だよね」

「…アルヴィン」

「すまんね、これも仕事ってやつなのよ」


一歩、また一歩と歩みを進めたのはアルヴィンだった。

仲間たちからの視線や言葉をひらりとかわして余裕気に笑った。


「巫子のイバルだ。今頃はニ・アケリアで大人しくしてるんじゃないか?」


裏切りとも取れる彼の言葉に、はただ俯くしか出来なかった。














お気軽に拍手どうぞぽちり inserted by FC2 system