(ジュード)
隠し味
ぴら、ぴら、と一定のリズムで紙が捲れていく。
ぎっしりと活字やら図式やらを詰め込まれたそれは割かし新しいもののようで、めくる度に新書特有の何とも言い難い甘い香りが鼻をくすぐる。
ソファのそばには読書の合間に飲もうと思っていたコーヒーがとおの昔に冷め切ったまま放置されており、可愛いイラストのマグカップになみなみと注がれたまま鎮座していた。
いつものパターンである。
ほんの少しの空き時間に、と軽い気持ちで表紙を開き、気づけば身じろぐことさえ忘れてしまう。
そんな事をしているうちに余裕で時計の針はくるりと一周してしまった。
本の虫、と言えば聞こえはいい。
好奇心、探求心の特に強い彼女は自分の得意分野において並々ならぬ集中力を発揮していた。
「はい、休憩」
「あ」
手元から簡単に本が抜かれる。
今まで手もとしか見えてなかった視界が急に広がり、は不意に声をこぼした。
本を抜いた当の本人は今まで読んでいた買ってきたばかりの『薬物調合原理Ⅵ』と書かれた本を栞を挟んで閉じ、机の上に置いた。
はあ、とため息をついて腰に手を当てたかと思えば小言でも言いたそうな顔で私を見る。
不服そうに睨み返してみるが、目の前の相手には通用しないようだ。
「ジュード君、おかえり」
「ただいま。もう、またこんな暗いところで…目が悪くなるよ?」
「別に、平気」
が時計を確認するのと、ジュードが部屋の明かりをつけたのはほぼ同時刻。
明かりが灯ることで見えやすくなった室内は相変わらず人の生活している気配はなく、所狭しと彼女が目を通したのであろう本たちが積まれていた。
一度目を通せばあらかたの事は頭に入ってしまう記憶力を持った彼女。
そう言えば昔、自分が記憶を探る様にあれなんだったかな、と呟いた言葉に彼女はいとも簡単に答えて見せたのを思い出す。
しっかり本のタイトルと、著者と、頁数も添えて。
本当によく言えば不思議な、悪く言えば変わった人だと思う。
「ハウス教授は?」
彼女は二言目にはすぐそういう。
正直、自分よりも教授との付き合いが長い彼女は、弱っていた時の恩人らしいことを以前話していた。
いまでこそこうやって言葉を返してくれるが、出会った当初は本当に文字通り『手負いの獣』といった雰囲気で、同じ空間にいるだけで全身の毛を逆立てて、警戒度MAXだったのを思い出す。
「出張中。明後日には戻るって話してたよ」
「そう」
「行きたかったって顔してる」
「…次は一緒って約束したのに」
「(あぁ、またそんな子どもを宥める様な事を)」
目の前の少女は窓の外を見つめ、わかりやすく拗ねている。
前のように目すら合わせてくれなかったときのことを思えば、本当に表情や感情が出るようになったなぁ。
なんて。
そりゃあ数年もたてば手負いの獣も人に馴染むらしい。
当時は、ハウス教授以外に言葉を掛ける姿なんて皆無だったけど、今では患者の挨拶くらいには返すようになったと人づてに聞いた。
相も変わらず興味のない相手にはまるで空気のように扱う塩対応なので、不愛想ポジションは健在だけれども。
「まぁまぁ。外には魔物もたくさんいるし」
「私戦えるのに」
「ハウス教授も過保護だからに危ない目にあって欲しくないんだよ」
「…」
過保護、というワードを出すと彼女の悶々としたものも少しは落ち着いたようだ。
きっと食べていないであろう彼女に確認の為に「ご飯は?」と聞いてみると、案の定「食べてない」という返事が返ってきて肩をすくめる。
「あ、今日ご飯あるよ」
「え、買ってきたの?」
「作った」
「誰が?」
「私」
「嘘」
「…ジュード君はもう食べなくていい」
「えっ!ごめんってば!」
気を損ねた彼女を追って共通フのキッチンまで行くと、確かに玄関からは気づかなかったマーボーカレーのいい香りが漂う。
具材のサイズがバラバラなのはご愛嬌だが、今まで全くと言っていいほど料理の「り」の字もなかった彼女だったから驚きも大きかった。
なんなら食事に対しての欲も人より少ないようで、出来合いのもので済ませることが多く、栄養を危惧してジュードがつくることもしばしば。
調理場に立つイメージが一切皆無の彼女であったが…鍋に火をかけ再度加熱する様子を見る限り、本当なのだろう。
「び…っくりした。って料理、作れたんだ」
「別に、なんてことなかったけど」
「もしかして初めて?」
「…ジュード君の見てたし、薬品の調合みたいで簡単よこんなの」
「(大丈夫かなあ…)」
ジュードの心配はよそに、は温めなおしたそれとご飯をつぐ。
何度も言うようだが香りはいい。見た目も、入っている具もそんな変なものは入ってなさそうだ。
「いただきます!」
「…召し上がれ」
歳で言えば同い年な彼女は警戒を解いてからは気を許してくれているらしい。
挨拶をして、ジュードの一口目をまるで観察するように射貫く視線。
そんなに見られると、気恥ずかしいなあ。
なんて思うが、本人なんてことなさそうに振舞ってはいるが、それくらいに初めての料理は思い入れの強いものだったらしい事は見て取れた。
「ん、美味しい!」
「…そう」
「人が作ってくれたご飯なんて久しぶり」
「ジュード君、よく自分で作ってるもんね」
「僕は大したものは作れないけど」
初めて作ったにしては上出来な仕上がりのそれに舌鼓を打つジュード。
その反応にご満悦な彼女は黙々と食べてはいるが、心なしか口角が上がっているように見えた。
「またに作ってもらおう」
「…き、気が向いたら作ってあげる」
「うん。僕、お替りしよっかな」
空いた皿を片手に立ち上がろうとすると、気を利かせた彼女がそれを受け取り先ほどの半分くらいよそってくれた。
うん、適量だ。
他人に興味なさそうに見えて、案外よく見ているなぁとこういう時感心してしまう。
シェアルームに通されて1年。
はじめは持ち前の人見知りもあり、逃げるようにハウス教授の研究室に入り浸っていたらしい彼女。
自分に慣れてからは共通スペースでさっきみたいに本を読んだり、くつろいだり、自由人だ。
ある意味、いろいろと警戒されなくなった今、複雑なところでもあるが。
「にしても、なんで料理?」
「…ハウス教授が、広い教養ある人は実践において頼りになる人だっていうから」
「(また、ハウス教授…)へえ、教授がそんな事」
「だから手始めに主婦の友ってのを読んで」
「(そこで何故主婦の友を選択したんだろう…)」
冒頭でも話した通り、の知識は極度に偏っている。
得意分野でもある薬物や調合についての医療知識ならピカイチなのに生活能力が極端に低い。
「でもジュード君が作ったのと何か違うのよね」
「そう、かな…。僕はが作った方が美味しいと思うけど」
「やっぱりレシピ通りだったから?今度試しにパナ――」
「何入れる気!?」
彼女なら本当に入れかねない。
目を丸くして驚くジュードを尻目に「冗談」と彼女言う。
重ねて言うが、入れかねない。
「わかった、ジュードくんの作った料理には隠し味が入ってるんだ」
「隠し味?」
「本にも書いてあった。最後の仕上げにこれを入れるととっても美味しくなるんだって」
「あいじょう?」と本で覚えた通りには言った。
全く悪びれた様子のない彼女の突然の発言にジュードは思い切り、のどに詰まらせた。
(これで本人無自覚なんだから、生殺しだよ…はは)