(ジュード・chamomileシリーズ)
不器用
バサバサバサ。
何かが落ちる音が自分の目的地でもある研究室から聞こえて来て、ジュードは慌てて駆けつける。
「どうしたんですか!?」
上下する肩を落ち着かせながらそう言い、診察室の中の違和感を目を滑らせて探す。
ここはハウス教授の診察室。
いつもいるはずの部屋主は現在は席を外しているようで、愛用の腰掛には姿は見えない。
けれども床に散らばる書物にすぐに目を奪われた。
先ほどの音の正体。
そして。
「君は――」
「――ッ!」
続きの言葉をぐっと飲み込ませたのは、だ。
でも明らかに様子が違う。
いつもの警戒心丸出しで目線すらも合わせようとしない時とは違い、まるで全身の毛を逆立てて威嚇するかのように自分を睨みつけてくる。
威嚇、いや、虚勢を張ってるという表現の方が近いかもしれない。
その顔色は土のように血の気を失い、表情は痛みで歪んでいる。
亜麻色の前髪が汗で額に張り付き、一つに結ばれたそれは床について渦を巻いている。
時折、痛みの波が来るのか押し殺したような声が口の端からこぼれ落ちる。
医者の卵でなくとも誰が見てもわかる。
「、どうしたの?話せる?」
「…、き」
「え?」
「平気、だから…」
「こんな状態で、大丈夫なわけないでしょ!?」
彼女と話したことはほぼない。
ハウス教授を交えて会話をしたことはあるが、それでも彼女から自分に対して何か発信があるわけではなかった。
それでも、たまたま出した文献の名前にひどく食いついて、興味と意地に挟まれ自分と同じ褐色の瞳がきょろきょろ動いていたのなんか記憶に新しい。
まるで自分を観察しているような、あの瞳は――。
「…、…」
「ちょっと、ごめんね」
あれだけ虚勢を張っていた彼女もそうはいっていられないくらいには調子が悪いようで、黙って身を預けてくれた。
警戒されていようが、女性であろうが、今は患者だ。
ジュードは彼女の腕を自身の肩に回すと膝の裏を支えながら抱き上げ、診察台におろした。
触れていた個所は、自分の体温よりいくらか熱い。
呼吸も、乱れている。
― 快気孔 ―
すっと、土色だった顔に赤みが戻る。
しんどいはずなのに、褐色の瞳だけは射貫くように自分を見続けていた。
「どう?少しは楽になっているといいんだけど」
「……」
「他に何か僕にできることある?」
そう言いながら適当な毛布を拝借し、足からお腹までにかけてあげる。
肩を上下しながら呼吸を繰り返す彼女の目は朦朧としているのかトロリとしていた。
そして彼女は観念したように言う。
「…教授」
「ハウス教授だね。わかった、呼んでくる」
この部屋にいないとなれば、と思考を巡らせながら彼女を残し、広い廊下を見渡した。
心配は残る。
けれども彼女は通りすがりの自分に診察させることを許さないだろう。
ならば気の許した相手の方がいい。
頭の大部分を心配で埋めたまま、ジュードは当初とは違う理由で目的の人物を探し走った。
+
「驚かせたね」
教授を連れて診察室に戻ると、彼女の容態はいくらか安定していた様子で横たわっていた。
ハウス教授には彼女の様子に覚えがあったようで一目見ただけで状況を理解し、診察にあたっていた。
治療のかいあってか、彼女は今すやすやと寝息を立てている。
あのキッと射貫くように見つめる褐色の瞳も、瞼を下ろして見ればあどけない、に近いもので安心した様子であった。
後ろで、その一部始終をほとんど見ていることくらいしかできなかった彼にハウスは声を掛けた。
「いえ、僕は何も」
「第一発見者が君でよかった。応急手当をしてくれたんだね」
「でも、それだけしか」
「顔見知りの君じゃなかったら、指一本触れさせなかったと思うよ」
そう言って、ハウス教授は困ったように肩をすくめた。
「はどこか悪いんですか?」
確信を迫る様に言うと、ハウス教授は少しだけ考えるそぶりをして、場所を変えようと立ち上がった。
黙ってそれに続き、通されたのは奥の書庫。
普段は医学書や論文の資料となるものを整理した空間だが、本好きののお気に入りの場所らしく、彼女がよく出入りしているのが感じ取れた。
床に巻き散らかっていた書物はどうやらここから抜き取られたものらしく、本棚はところどころ穴が開いている。
植物学。薬品管理論。薬物療法。
へぇ、助手をしてるって話は聞いていたけど、彼女が自分の論文に興味を示していた理由がなんとなくわかる気がした。
薬や植物にどうやら関心が他界らしいことがほんのチョイスから分かる。
「脳にはマナを生み出す器官があるという事はもう講義で習ったよね?」
「?はい。霊力野と呼ばれる器官の事ですよね。それが?」
「彼女はそれが退化している」
「え」
「心臓にあるなにかが霊力野の代わりを担っているようだ」
初めて彼女を診察したハウスは彼女の検査中にその違和感に気が付いた。
解析や研究をしようにも心臓に連結しているとなれば取り外す事も出来ず、また本人もそれをひどく嫌がる為、定期的に診察して経過を観察しているのだという。
「マナ酔いだと私は診断してる。おそらく埋め込まれたそれによる影響だろう」
「埋め込まれてるって……生まれつき、なわけないか」
「そう。明らかに人工的に埋め込まれている。けど、私が聞いても答えようとしないし、触れさせようともしない。よほど言いたくない事情でもあるんだろう」
「……」
ハウス教授とが出会ったのは1年ほど前だと聞く。
自分がこの研究室を出入りするようになった頃には当たり前のように住み着いていて、本の虫のように周辺の書物を読み漁っていた。
出会った時にはすでにその症状があったという事なのだから、それ以前に、か。
「あの、ハウス教授。どうしてそんな話を、僕に?」
つまるところの疑問はそれだ。
もともと彼女は普段から口数も少なくよく言えばクール、悪く言えば不愛想といった具合だった。
「お、おはよう」と尻込みするようにあいさつした日には一瞥すらしてもらえずスルーされた事すらある。
お世辞にも仲がいいといえるような間柄ではないのだ。
そんな彼女の混み入った話、僕が聞いてもいいんだろうか。
「おや、気づいてなかったのか?」
「え?」
「彼女、君が研究室に来たときは手が止まるんだ。よっぽど君の話が気になっているんだろうね」
「…………」
思い返す。が、思い出せないのはきっと、自分が拒絶されているというショックから彼女を見ていなかっただけなのかもしれない。
…もしかして、ただ人見知りされているだけなのでは?
ぱちぱち、と瞬きをするジュードに教授は肩をポンと叩き「他の人には言ってはいけないよ」と釘を刺した。
そんな言葉が頭に入らないほどに「気になっている」という言葉が脳裏をリフレインしていた。
+
「調子、すっかりよさそうだね」
背後から気配を消して近づき声を掛けると、は全く気配を察していなかったのか肩をビクンと揺らし、瞳がこぼれる程大きく目を見開いた。
くるりと振り返る際に高い位置で結んだポニーテールがふわりと揺れる。
そして、気を損ねた猫のようにぷい、と椅子を回転させ自分に背を向け読みかけの本を開く。
そんな拒絶行為にジュードはくすりとほほ笑み、そのまま壁を伝うように腰を下ろし話を続ける。
「あの後3日くらい見なかったから心配してたんだ。ほら、全然平気じゃなくても平気とか言っちゃうし、まーた意地張って無理して寝込んだりしてないかなーなんて」
まるで世間話を話すように、つらつらと言葉を重ねて語り掛けてみる。
反応はない。
それでも、ジュードにとっては十分だった。
「まぁ、僕もレポートの提出が重なっちゃってこっちに顔出せなかったから仕方ないんだけど。あ、そういえばって医学校の図書室って入ったことある?……あ、でもそうか。学生は学生証がいるけど、助手ってどういう扱いになるんだろうね」
確かに――。
「ねぇ、はどう思う?」
確かに、彼女の手は止まっていた。
ページをめくろうと指は次のページの間に差し込まれているのに、それが動くことはない。
「う、煩い奴…」
「!」
そして初めて、自分に対して返事をした。
ジュードはそんな彼女についにこらえきれなくなって笑いだしてしまう。
「ぷっ、くくく…あはは!」
「なに、突然」
「ふふ、だって。僕が来てから全然本のページ進んでないんだもん!」
「!……そんなこと、ないし」
「あるって。って結構意地っ張りなんだ」
「そんなこと!……っ」
二度目のセリフも同じように返されることを察したのか、急には押し黙った。
顔を真っ赤にして本を自分に押し付けて去ろうとする。
それがあんまりにもおかしく思えて、ジュードは「冗談だって」と言いながら目に溜まった涙をすくう。
「僕もこれからたくさん知らなくちゃいけないな」
「な、なに…」
「別に、こっちの話」
「………」
見ていて飽きない。
が、これ以上は本当に気を損ねてしまいそうだ。
お尻をはたいて立ち上がると目も合わせてくれなくなったの前へ回り込んでその褐色の瞳を覗き込む。
「でもこれは本当。しんどい時は頼って。力になれることはあると思うから」
まだまだ頼りないかもしれないけど、と頬を掻く。
たっぷりの間を開けて、彼女は「知らない」とだけ呟いた。
そっか、と笑い返して見た彼女の表情はいつもの不愛想よりもほんの少し満足げであった。
(……あの、この前は…)
(え?)
(別に、)