(ジュード・chamomileシリーズ)
薬と毒
目が覚めた時、自然と頬に涙が流れたのを覚えている。
寂しさとか、悔しさとか、一切わからず、自分が今どうして泣いているのかもわからず、ただ天を見上げて途方に暮れていた。
すっぽり空いてしまった心になみなみと注がれるマナは酷く不釣り合いで、満たされているはずなのに、吐き出してしまい衝動に駆られ、繰り返し嗚咽した。
いっそすべてを吐き出してしまえたらいくらか楽だったのかもしれない。
目の前の現実と、これからの事から目を背けないように、当時の私は口を両手で抑え込み幾度となく来る波を意地でも呑み込み続けた。
波が落ち着き、もうずいぶんの時が立った時、ぽつりと思いの欠片がこぼれる。
「…私、一人になったんだ」
言葉にしてしまえば、案外他人事のようだった。
それを胸の内で何度も繰り返して、自分に、心に、馴染ませる。
受け入れろ。
前を向け。
振り返るな。
歳で言えば大人でも子どもでもない。
肩を抱いて、カタカタと小刻みに震える体をぐっと押し堪えて、歯を食いしばった。
「ふふ。ここは居心地がいいや」
目が覚めて、一番の変化は私が「感じる」ことが出来るようになったという事だ。
目覚める前にはなかった感覚。
器官。
埋め込まれたもの。
異物。
拒絶反応は出なかったと聞く。
けれどもこれからこの先、ずっと反応が出ないかどうかなんてわからない。
副作用の報告がある事。
それは大人たちの会話から盗み聞いたものだった。
また、その後、闇に消えた研究なのだと、生き延びた先で風のうわさで聞いた。
「私を慰めてくれてるの?」
右の手のひらをふっと広げると空気中のマナが還元されているのを感じた。
微精霊が多い霊域なのだろう。
それだけにマナが十分に循環しているのを肌で感じる。
言葉では説明できない、巡る、という感覚。
始めの頃はそれこそすぐに気持ちが悪くなって、体内に流れるようになったマナに酔っては寝込んでしまうことも多々あった。
これも感覚論で申し訳ないが、マナを体内に留めずに循環させたり術技として放出することで以前に比べ大分苦しむ回数は少なくなった。ような気がする。
大丈夫。
大丈夫。
大丈夫。
目を開けていても、閉じていても研ぎ澄まされる感覚。
「心配してくれてるのね。大丈夫よ。ちゃんと、生きるから」
決意にも似たひとりごとは闇夜に消えて溶けてしまった。
+
まるで甘い蜜に蝶が集うように、の指先に淡い光が集まる。
彼女はそれを甘んじて受け入れ、虚空に指先を這わせていた。
つつつ、と夜をなぞる指。
まるで踊っているようにそれは幻想的な光景だった。
夜域のこの雰囲気に彼女はとても馴染んでいて、光…微精霊を追う瞳は普段はなかなか見せない穏やかな雰囲気でクラりと眩暈がしてしまう。
憂いを帯びた横顔からは本当にこの光に溶けてなくなってしまうのではという錯覚さえあった。
ジュードはイル・ファンの外れで微精霊にマナを分け与える彼女に完全に見惚れて動けないでいる。
「ジュードくん見とれすぎー」
「え!?い、いつから気付いてたの?」
「んー?声掛けようとしてやめたときから」
「それって最初から…」
完全に声を掛けるタイミングを見失っていたジュードとぱちりと目を合わせると、射貫かれた事と見惚れていたことが同時に起きてジュードはどきりと胸を高鳴らせた。
クールな彼女のにぃっとした笑みを尻目にジュードは「もう」と悪態をついた。
「からかわないでよ」
「別に。嫌な気分ではなかったし」
「またすぐにそんなことを言う」
「…何か用があったんじゃないの?」
「用ってほどじゃないけど、講義終わって帰ったら姿はないし、診療所にも顔出してないみたいだったから」
「そう、心配かけちゃったね」
静かに、言う。
今日の彼女はいつもの物静かとは少し違い憂いを感じられた。
そのことを直接聞きだす勇気を持てず、ジュードは話を逸らすように言葉を紡いだ。
「よく、ここに来てるんだ」
「お気に入りの場所なの。微精霊たちもとっても素直で穏やか」
「へえ。確かに、の周りで嬉しそうにしてたね」
「マナの流し方、精霊術の使い方、リリアルオーブに直接語り掛けてくれる」
「そうなんだ」
精霊術を使ったことのない自分にはちんぷんかんぷんだったが、彼女が喜々して言うものだから自然と自分まで表情がほころぶ。
普段、人にあまり心を開かない彼女を見ているからこそ、自分にこうやって話してくれることは正直嬉しい。
ちょっとした優越感を感じていると、ふとした疑問にたどり着く。
「は、どうして知りたいの?」
マナも、精霊術も、リリアルオーブも、彼女の言うそれは生活を超え、戦うためのスキルだ。
イル・ファンの診療所で助手として薬の調合や診療するには必要のない、知識。
「どうして?」
「だって、戦う理由がないでしょ?そりゃあ、は他の教授の依頼で魔物のいる地域に出ることはあるけど。この地域はそんな乱暴なのはいないって聞くし」
「このイル・ファンにいる以上必要のない知識なんじゃないかってことか」
「うん」
聞いてみたはいいが答えてくれるかは気分次第だと思った。
は答えたくない時「知らない」と言いそれ以上を拒む傾向にある。
「自分の力を正しく使えるように、かな」
「正しく使えるように?」
「私、元々精霊術使えなかったから。薬も使い方を誤れば毒になるでしょ。精霊術も、使い方を誤れば人を傷つけるものになる。私は知らなかったからって言い訳にしたくないの」
「戦う事、怖くないの?」
答えてくれることに安堵して一歩踏み込んだ質問をしてみる。
考え込むようにの表情が固まった時、ジュードは質問したことを後悔した。
「怖いよ」
「……」
「でも、誰かが傷ついてるのに見てることしか出来ない方が辛い」
最後、彼女の言葉は震えていた。
彼女が今まで話すことのなかった核の部分に触れてしまったことに気づきジュードは心底後悔した。
慰めることも、奮起づける言葉も思いつかずただただ立ち尽くしてしまう。
それでも彼女の心に寄り添えたらなと精一杯の勇気を振り絞って彼女の両手を手に取った。
「ジュード、くん?」
「がなんのために戦うのか、まだ正直分からないけど。僕、力になるから」
「ジュードくん。……ふふ、本当にお人よしだなあ」
「よく知ってるでしょ?」
「知ってる。でも、ありがとう」
目をぎゅっと細めては笑った。
人気の少ないイル・ファンの外れで、二人は目を見合わせて笑った。
(ところでジュード君、いつまで繋いでる気?)
(あっ!ご、ごめん!僕、手、汗が――)
(ぷはっ、ジュード君かわいー)
(からかわないでってば!)