(ジュード・chamomileシリーズ)









 虫除け









逃げるようにその場を後にした彼女を追いかけてノックしようとする手が止まる。

飛び込んだ先は書斎。

彼女がいつも何かあれば閉じこもり薬の開発や研究などを行う、いわば彼女にとって神聖な場所でもある。

しかも、バツが悪そうに顔を歪ませて今にも泣き出しそうだったあの表情を見て、入れるわけがない。



何が何だかわからず意気消沈していると、背後に人の気配があった。

振り返ると先ほどまでと共にいた看護師がちょいちょい、と何やら手招きをしており首を傾げる。


「あの、どうしたんですか?」


なにやら善からぬ事を企てているに違いない先輩看護師に引きつった笑みを返しながら尋ねると、彼女はやはり楽しそうに答える。


「あら、適任がいるじゃない」

「はい?」

「いいえ、こっちの話。ほらジュード先生、男を見せる時よ」

「え、ちょっと、なんのことですか…!?」


訳も分からず腕をひかれる。

書斎に閉じこもる彼女の事を気にかけ後ろ髪をひかれながらも、先輩看護師の粋な計らいがすべては彼女のための事だと気づくまであと数分。




――すべての発端は30分前に遡る。




 +




「説明は以上となります。こちらがお薬です。用法容量正しく守って服用してください」


初期よりかはいくらか柔らかくなった微笑で患者に対応する。

カルテを何度も確認し、誤薬がないように注意する。

服用履歴、アレルギー、体調、症状、いろいろなことを考慮し、責任を持って処方する。

カルテの隅にはいつもの担当医ではなく、研修医である彼のまるっこい癖字に知らずと気が緩んだ。


さんの説明はいつも丁寧で安心します」

「…ありがとうございます」

「あの、ジュード先生と同じ年って聞きました。随分とお若いのに。かなり勉強されたんですね」

「…えっと」

「それに…可愛いし。言われませんか?」

「…。」


困る。

それでなくても人慣れしてないのに。

反応に、リアクションに。

薬や病気のせめて専門分野であれば答えられるのに。


「(どうしよ。…愛想よく、って約束したし)」


先ほどから彼に聞かれているのは誰がどう見ても業務内容に含まれてない事ばかり。

今日に限ってハウス教授は実習のため不在だし、ジュードくんはそんな今日教授の穴埋めのように患者を診察中だ。

現在この窓口には以外職員は不在で、お昼時という事もあって他の患者も薬を受け取り、帰って行ってしまった。

まぁ、こんな場所、長くいる理由もないはず、だが。

本来、研究や薬の調合ばかりしていたいは、今猛烈にハウス教授からこの仕事を引き受けたことを後悔していた。


「…あの、お話苦手ですか?」

「…得意ではないですね」

「あの、俺でよかったら話すの付き合いますよ。ようは慣れって言うか。練習と思って」

「え、でも」

「忙しい時はあれですけど、今みたいな時とかほら」


困ります。

たったそれだけの言葉が言えない。

もどかしさ。言葉をのどに詰まらせる。まさか自分がこんなにも意見1つ言えないなんて。


先生?」


鶴の一声。

扉の奥から顔をのぞかせた看護師の姿に縋る様に目で合図を送る。

決して勘の悪い方でない彼女は、状況を一瞥して「困ります」と彼に言ってくれた。


「あ、お昼休憩ですよね。では」

「…お大事に」

「また来ますね」

「…。」


叶うのであれば二度と来ないでほしい。

誰が好き好んで病院に通いたいと思うのか。

その心理が残念ながら理解に及ばず、不慣れなタイプの人間にはいつもの業務以上に蓄積された疲労感を感じずにはいられなかった。


「病院からはじまる恋、ね」

「…」

「睨まない睨まない。助けてあげたじゃない。適当にあしらえばいいのに」

「そんな事、言われても。愛想よくってハウス教授と約束したし」

「…あなた、変なところ生真面目よね」


先輩看護師の話を片耳で聞きながら昼休憩に向けて、広げたままだったカルテを整理していく。

ぴらり、て手元から一枚抜かれたのはたった今までを困らせていた(というか今も悩みの種ではあるが)患者のカルテ。


「ふーん…」

「…業務時間内に知り得た個人情報を利用することは――」

「カルテしまうの手伝ってるだけよ」

「…」

「ただまぁ、本当に嫌なら早めに対策打たないとああいうタイプってストーカーになりうるんだから」

「はあ、本当に迷惑」


悪態ひとつ。

完全にすべての戸棚にロックを掛けたところで廊下を通り休憩室…ではなくハウスの治療室に足を運ぶ。

治療室を開けると当たり前だが今まで午前の診療を行っていたジュードが椅子に深く腰を掛け後処理をしていた。

ジュードはの姿を確認すると「お疲れ様」と柔らかく笑みをこぼすが、いつもと違う様子の彼女にすぐに笑みは消え去る。


「もしかして、不機嫌?何かあった?」

「知らない」

「僕の、診断ミスとか?」

「何もないってば!」

「…、」


彼女が珍しく声を荒げたのでジュードの言葉も自然と呑み込まれた。

はっとなる。


(最悪)


吐き出してしまった言葉を回収できるはずもなく、は逃げ込むように奥の書斎に入り込みぱたんと扉を閉める。

そうして無理やりにでも自分の場所、時間を確保する。

彼がカギのかかっていないこの部屋に立ち入らないという優しさに甘えて、自分を押し通した。


(こんなのただの八つ当たりじゃんか)


膝を抱えて顔を埋める。

午後の診療開始まであと1時間と半分程度。

頭の中の処理が追い付かずに、空腹にすら気づかなかった。




 +




嫌なことほど重なるものだ。

しかも、タイミングよく、同じ時に来るから神様は一体何を見ているのだろうとたまに疑いたくなる。

今がいい例だ。

午後の診療時間も終わろうとする時間帯。

目の前に現れたのは昼前に薬を処方したばかりの彼。

カルテを見返さずとも、記憶力のいいにとっては彼の名前をフルネームどころか、病歴や今回の診断名、症状、アレルギーの有無など暗唱することは造作もなかった。


「…薬は2週間分処方したはずですが」

「診療時間ももう過ぎてるし、この時間なら邪魔にならないかなって」

「病院は遊び場じゃありません」

「あ、じゃあこの後ご都合いかがですか?食事とか、どうです?」

「……」

「お仕事終わるまで俺、待ってます」


食事こそ、誰かと一緒だなんて在りえない。

現時点で心を許して共に食事をとれる人なんて片手いたらいいところだ。

嫌だ。

不快感がこみ上げる。

隠ぺいしていた気持ちがわずかな隙間から顔を出す。

あしらえばいいと言われても。

経験値の少ない私には無理難題だ。

帰りたい。

終われ。

終わって。

早く。

お願い。

嫌だ。

嫌だ。

怖い。




「  」




はっと目を見開く。

振り返ると窓口に顔を出すことなんてほとんどないジュードの姿。

診察している彼がこの処方窓口に来るという事は薬やアレルギー関係で相談があるときくらいだ。

最初の頃は確認の意味も込めて何度か足を運んでいたものの、最近はめっきりそれも減っていたためも反応が遅れてしまった。


「ちょっと、いい?検査結果に明らかに異常な数値の方がいて、薬の処方履歴と服用に問題はなかったか知りたくって」

「でも」

「…、一緒に見てもらえる?」

「…うん」


カルテなら自分だって簡単に調べられるはずなのに、どうもそわそわとしている彼に違和感を感じながらも窓口をクローズしてジュードの後に続く。

扉を開けて職員通路に出ようとしたところでジュードは足を止め、残された男を見やって「ああ」とにっこり微笑む。


「ロアーさん、の調合は間違いないのですぐに治ると思いますよ。また何かありましたら僕に仰ってくださいね。ではお大事に」

「は、はい」


それだけ言うと左手にカルテ、右手は彼女の背を押すようにその場を後にした。

取り残された彼はしばらく呆気にとられた後、他の患者にまぎれるようにして帰路についていった。




カツ、カツ。

ブーツの音が静かな廊下に響き渡る。

歩きながら二人の間には長い間沈黙が流れていた。

その間も彼女の背中にはジュードの手。ぬくもりが伝わる。


「あの、ジュードくん?」

「…あっ、ご、ごめん!」


ハウス教授の研究室に入るや否や、先に沈黙を破ったのはの方だった。

彼女の一言にジュードは一気に彼女から手を放し「あの、その」等と言いながら手をひらひらとさせ、しまいには両手で顔を覆ってしまう。

完全に慣れないことをして慌てふためるその姿に、はようやく安堵の表情を彼に見せた。


「ジュードくん、顔赤い」

「それは……っていうか、も本当に嫌なんだったらしっかり断るとか…それが難しいなら人を呼ぶとか、誰かに相談するとかしないと。本当に待ち伏せされたり、家までついてきたりする人だったらどうするの?」

「だって」

「だってじゃない。何かあってからじゃ遅いんだから」

「お人よし」

「そうだよ。誰かさんが心配ばっかかけるから」

「…心配、したの」

「したよ、そりゃあ」


へたりと座り込むジュードの隣にがしゃがみ込む。

紅潮した頬は熱が中々取れないらしく、顔を覗き込もうとすると嫌がるように目をそらした。


「ありがとう、ジュードくん」

「…どういたしまして」

「大胆なジュードくんなんて、ほんとレアだ」

~ッ!!」


悪戯っぽく笑うと昼間の不機嫌はどこへやら。

至極楽しそうに笑う彼女に強くは叱れなくなる。



惚れた弱み、というやつかもしれないが、彼女だって心拍数が上がっていたことは背中に触れていた右手がよく知っていた。














(さっき、すごくドキドキしてたけど、これ言ったらまた機嫌悪くなるんだろうなあ) inserted by FC2 system