(2019.05.8)









火傷









どぷり、と温かいものが頬にかかって心臓がぎゅっと縮こまる。

鼻腔をかすめるのは鉄の香り。

頬の液体の正体に気づくと視線は、見てはいけないものと認識しつつも引き寄せられるようにその正体である上へと惹きつけられる。

まるで時が止まってしまったと思えるほどの長い時間。

釘付けになる視線。

体から力は抜け、戦闘中とは思えない無防備な少女の姿はそこにあった。

は薄く開いていた唇を震わせ「え」とだけ呟くと、視界いっぱいに広がるアカに縮こまっていたはずの心臓は早鐘を打ち始める。

乱れる呼吸。

動悸。

頬の感触や温度。

匂い、まではよかった。

問題なのは視覚的な情報。

咄嗟に我に戻ったは、あ、あ、と言葉にならないものをこぼしながら後退すると両目を塞ぎ、視界を閉ざした。

深呼吸をして正気を保とうとするのに、肩は浅い呼吸を繰り返してうまく息が吸えずに軽い過呼吸を起こす。


!どうしたの!?」

「大丈夫ですか!?」


遠くの方で声がかすんで聞こえた気がするが、空気を震わせ、彼女の耳まで届くことはなかった。

ジュードがレイアとミラに頷きかけ前線を離れる。

仲間たちはローエンの指揮で隊形を変え、魔物たちを手分けして薙ぎ払っていった。


「ジュード!をその場から離れさせろ!」

「アルヴィン?――あ、もしかして!」


左手に構えた銃で魔物を牽制するとジュードにの元まで駆けつけられるように道を作る。

ジュードはの目の前で自爆した魔物の亡骸をひょいと飛び越えると、口を一文字にして全身を強張らせる彼女の顔を覗き込む。


…見たの?」

「……」

「見ちゃったんだね」


反応はしようとするものの、相変わらず視点が定まらない。

それでもいつものように何でもないと、別に平気、と取り繕おうとするのに上手く出来ない彼女にジュードは眉根を寄せる。

いつもの強がりだって、こればかりは僕じゃなくてもわかるだろうに、それでも力の抜き方を彼女は知らない。


―― パチン


の目の前で音を立てるように両手を叩いて見せた。

はっとなる彼女の瞳に光が指す。




「僕を見て」




その音に正気に戻ったが、目の前の彼を大きく目を見開いて映す。

自分と同じ色の褐色を弱々しく見つめ返す彼女。

正気に戻ったおかげで呼吸は少しずつ正常なところまで落ち着き始めた。


「大丈夫。僕がいる。安心して」


武器を手放し手持ち無沙汰にしていた手を握り締める。


「…ぁ…ジュード、君」


震える唇がようやくそう紡いだかと思うと、張り詰めていた糸が切れてしまったかのようにジュードの方に身を預けるようにして、意識を失ってしまった。

ジュードも一度は身構えるが、耳元で聞こえる呼吸が穏やかなことに安堵して、ようやくほっとしたように息を吐きだした。


「ジュード…!は、大丈夫?」

「レイア。多分目の前で見ちゃったんだと思う」

「見たって、何を……あ」


レイアは振り返ったところで中身がむき出しの魔物を見て顔を顰める。

戦いを終えた他の仲間たちも心配そうな表情を浮かべて集まってきた。


さんは瞬間記憶が得意な方。…仇となりましたね」

「そっか、私たちは嫌な事って忘れられるけど、はずっと忘れることが出来ないんですよね」

「それは…結構しんどいかも」

「…アルヴィン、僕たちに何か出来ることはないの?」


そのことを他の誰よりも知っていながら、気付くのが遅れたことを後悔していたアルヴィンは顰めたままの顔で言う。


「フラッシュバックはあるって聞くな。でも一番の薬は時間、だろうぜ」

「時が解決する、と言うやつか。ふむ」

「兎に角、ここから離れる事が第一でしょう。フラッシュバックも何かに起因されて起こるものでしょうし」

「…そうだね。一度、町へ戻ろう」


ジュードは預けられたままの彼女の額が少し熱っぽさを持つことに苦笑しながら、そのまま脇とひざ裏に手を差し込んで彼女を担ぎ上げる。

本来であればアルヴィンがその役を買って出るところだが、ジュードは有無を言わさず抱きかかえた為、思うところがあるのだろうとだれも止めることはしなかった。

レイアが進んで「何か持つよ」と言ってくれたので、彼女のコートと武器をお願いした。




 +




「――」


ぐっしょりと汗を掻いて覚醒する。

不愉快な微熱にうんざりしながら、は夢から強制的に目覚めさせるべく現実のあらゆる物を目に映し、鈍い頭をフル回転させ目覚めようとした。

ごくり、と喉を鳴らす。

今もなお“夢”の余韻で胸がざわつくのとは裏腹に、クリアになった視界からは夜特有の闇色と星空が見えた。


(ここは…)


宿のようだ。

ちょっと魔物が吹き飛ぶところを見ただけで気を失うなんて、仮にも薬学者ともあろうものが、なんて自嘲する。

専門は薬や植物やハーブの部類だったが、多少の免疫を付けるために解剖学や実際の患者相手なども経験していたはずなのに、予想していなかっただけに今回は訳が違ったようだ。


(…)


近くのベッドからはエリーゼやレイアのすやすやと寝息を立てる音。

また、心配かけてしまった。

気を遣わせたくないのに。

気持ちを切り替える意味でも夜風に当たろうと、は音もなく寝室を後にした。

廊下を歩き、バルコニーへ出る。

霊勢が穏やかなおかげか夜風が心地よい。

さらりと頬を撫でてくれる風が先程まで張り付いていた汗や、不快さを遠くに追いやってくれるようだった。


「調子はどう?」

「ジュード、くん…」


どうして、こんな時ばかり彼は気づくのだろう。

ほんの少し眠そうに、でも穏やかに微笑む彼に自然と力が抜けてしまうのを感じた。

それでもほんの少しバツの悪そうに笑って見せれば、彼はそれさえも包み込むように微笑み空いた隣に立ち一緒の景色を見た。


「…火傷みたいなものだって、よく父さんは話してた」

「火傷?」

「そう。ほら、目に焼き付けるって言うでしょ?…あー言うのに限って跡は残るし、しばらくはあの時の情景がちらついてしんどいんだけど、でも、時間が癒してくれるわ」

「そっか」


今は結んでいない亜麻色の髪を風に遊ばせる。

耳にかけなおした時、ぽつりとこぼした。


「だから、心配かけてごめん。私も慣れなきゃね」

「慣れなくていいよ。ううん、慣れて欲しくないな」

「…?」

「今日は僕がたまたま気付けたけど、僕たち知らないところで急に思い出して一人で苦しむのは、なんかいやだから」

「…ジュード君は相変わらず優しいね」

「そんなこと。…がいっつも平気な振りばっかしてるから、心配になるんだよ」


押し黙るを横目でちらりと盗み見るジュード。


「でもね、今回は応急処置があったから、実はいつもより酷くないんだ」

「…応急処置?」

「そ、ジュード君があの時、僕を見て、って言ってくれたでしょ。僕がいるから、安心してって。一緒に焼き付いちゃったから、急に思い出しても、きっと平気」

「……なんかちょっと、恥ずかしいけど。でもの為になってるならよかった」


カァ、と顔を赤らめて言うジュードは今更ながらその時の恥ずかしい台詞に我に返ったのだろう。

恥ずかしさからか全く目を合わせてくれなくなってしまった彼に、はふふっと柔らかい笑みをこぼすと居心地の悪そうに下ろされたままの彼の手をひょいとすくう。

ぎゅ、と大切なものを包むように握りしめると祈るように目を閉じた。


「…っ、!?」

「それでもさ、どうしようもなくなっちゃったら…また、手を繋いで大丈夫って言ってくれる?」


素直な彼女は弱っている証拠だ。

いつもなら「別に」なり「あっそ」なりで流されるところをしっかりと向き合ってくれる。

ずるい。

ジュードは耳まで真っ赤にしながらも「も、勿論だよ」と返した。

屈託なく笑う彼女はいつもよりいくらか幼く見せた。




「大丈夫だからね」

「…うん」




そのままめいいっぱいの勇気を振り絞って額をこつんと合わせると、彼女の微熱と自分の熱が混ざっていくようだった。















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