(2019.06.27)









 雨









「これは、中々堪えるな」


滅多に弱音を吐かない彼女の口からこぼれたものには人知れず眉根を寄せる。

ミラがベッドに腰を掛けるのをそっとアシストして、彼女の動かない足を動かすための装置、医療用ジンテクスから精霊の化石を取り外した。

太ももをさすりながら表情を苦痛に歪めるミラ。

似たようなものを取り付けている者同士、痛みはわかる、つもりだ。

大の大人が数秒で根を上げ、治療を諦めたというほどの痛み。

大精霊の主であるミラにとってもそれはなかなか手ごわい存在だったようだ。


「…」


レイアとローエンの計らいで仲間の休養を兼ねて宿に一泊することになった一同。

久しぶりの宿を大喜びする仲間たちに気づかれないように、はそっと部屋を去る。

窓の外は時間帯によるものではない薄暗さが広がっていた。

音もなく、そっと静かに宿を出て足を町はずれの森の方向へと進める。

雨が、降りそうな天気だった。


「あれ、は…?」


ひっそりと姿を消した仲間の一人の不在に気付いたジュードは、数刻前に彼女が見つめていた先に視線をやると、考えるよりも先に走り出した。

窓に水滴がつく。

ぽた。

ぽた。

と、数を増やして、やがてそれは大粒のものとなった。




 +




「こっち!」


手を引く力に身をまかせるように後を追う。

導くように先導するのは黒いコートの彼。

年の割に小柄な彼だが、後ろ姿はしっかり成長期のそれで、温和な性格から華奢なイメージを持たれがちだが改めて見ると流石武闘家だな、と言えるくらい筋肉が付いていた。

考え事をしていた思考はまだ薄ぼんやりとしていて、は自分の手首を掴む人の体温と感触を足りない頭で感じていた。

じんわりと自分の肌に溶けていくように感じる人の温かさというやつに、心までもほぐれていく。

温度の違いに、初めてそこで自分の体が冷えているのだと気付いた。


(雨だ)


ぐっしょりと濡れた亜麻色の前髪が額に張り付く。

そこから雫がこめかみを伝って頬、顎へと流れ、ポタリと落ちた。

頭上に降り注ぐ雨を、遮る場所までたどり着くと手を引いていたジュードは改めてに向き直る。

その顔は案の定、険しい顔をしていて、親にしかられる前の子どものように胸がぎゅっと縮こまった。


「この辺は霊勢が変わりやすいから、迂闊に出歩くと危ないって宿の人も言ってたでしょ?」

「…うん」

「急にいなくなるし、街の人はその子ならさっきふらっと出ていった、なんて言うし」

「心配かけてごめん、ジュード君」


素直に謝る。

霊勢の話も確かに一緒に聞いてたし、仲間たちにも行先を告げずに来てしまった。

ほんの少ししたら戻るつもりだったの。

そんな言葉さえも言い訳のようになってしまいそうで喉の奥にしまい込んで黙り込む。

はジュードがいつものようにため息をついて許してくれるのを目を伏せるようにして待った。


「…兎に角、はそのままじゃ風邪ひいちゃうね。火、起こせないかな」


話が変わったことにほっと胸を撫でおろす

そして、ジュードは洞窟を見渡して以前使われていたらしいたき火のあとを見つけると、木材を残したままだったことに感謝しながら暖を取る準備をする。

雨を凌ぐようにもぐりこんだ洞穴は高さもあり案外快適で、2人が横になれるくらいには広さがあった。


「これ、火種になりそうだね」

「…湿気てないといいけど」


… バチッ …


枯草を片手には簡単な精霊術で着火させることに成功すると少しずつ火は燃え広がり想定していたよりも早く暖を取れるくらいに膨らんだ。

ジュードがぬくもりに安堵して、お気に入りの黒いコートを適当な岩場に広げて干すと、視線は自然との服装へと流れる。

本当に魔物もいるかもしれない場所に来るには不釣り合いなほど軽装だった。

武器もいつもは両腿のホルスターに何本もの投げナイフを携帯しているのに、今回はベルトにぶら下げた2本のダガーのみで、本当にラフなスタイルだった。


「コート、宿においてきたんだ」

「…問題ないわ」

「嘘。震えてる」

「…」


は目を合わさずに抱きしめていた両腕にさらに力を込めた。

宿に置き忘れたという紺のポンチョコートの下は動きやすい仕様のノースリーブのシャツが一枚。

雨を塞ぐものが一枚なかったせいもあり、雫でぐっしょりと濡れてしまったシャツは彼女の華奢な体のラインにぴったりと張り付いていてジュードは見てはいけないものを見るようにバッと視線を逸らした。

普段はコートのせいで想像できない女性らしい丸みに異性を感じてしまう悲しい思春期の性。

知ってか知らずかは下着が透けてしまうことを隠すように腕を抱いていた。

ジュードに指摘されながらも服が乾くまでは身動きが取れない彼女は静かに時が経つことを待っているようにも見えた。


「拭けるものがあればよかったんだけど」

「時期に乾くから平気よ」

「…風邪ひかない?」

「何とかは引かないから大丈夫」


薪を舐めていた火が徐々に大きく広がっていく。

炎の光がチカチカと2人の頬を照らし、冷え切った体を温めていった。

ジュードはともかく、彼女の方は雨が強くなってからもしばらく雨に打たれ続けていたのだろう。

ポニーテールの髪をぎゅっと絞ると一気に溜まっていた雫がこぼれ落ちた。


「確かにはすぐに無茶するけど、考え無しのバカなんかじゃないよ」

「…」

「後言っとくけど、の大丈夫とか平気とかに関しては僕、信用してないからね」


決して目を合わせようとしなかったがようやく顔を上げる。

唇や頬はいつもの薄桃色が消えており、体が冷えていることが見て取れた。

彼は「えっと」と口ごもりながらも意を決したように彼女のすぐそばに腰を下ろした。


「僕も濡れてるけど、少しは温かいと思うから」

「………。ジュード君、大胆」

「ばっ…!」


恥ずかしさを一生懸命押し堪えながらぎこちなく両腕を差し伸べた彼の行動の意図がわからないほども子どもではない。

彼女を受け入れるように腕は広げながらも、決して目の前の彼女を直視することは出来ない顔の赤い彼をからかうと、予想通り彼は顔をさらに真っ赤にして声を荒げた。

思った通りの反応にくすくすとほぐれた笑みをこぼす。


「ジュード君も濡れちゃう」

「時期に乾くから平気だよ」

「………。風邪ひいちゃうかも」

「…なら一緒にレイアとミラに怒られよっか。医者の不養生って言われるだろうけど」


さっきの彼女の言葉をなぞる様に言うと、彼女も途中から彼の意図を組んだように繰り返してくれた。

そんな他愛もないやり取りですっかり張り詰めていた気を緩めたらしいは、律儀に「お邪魔します」なんてこぼして彼の腕の中に身を寄せた。


「ジュード君は温かいのね」

「冷たい。が冷えすぎなんだよ」

「…。本当に平気?」

「平気。ふふ、って、自分のことはすぐに大丈夫とか平気って言うくせにね」

「自分じゃない事って分からないから不安になるの」


そっか、と優しく彼は言う。

彼女は返事をするようにより一層温かいところを求めるように身をよじりジュードの首元に頬を寄せた。

ジュードが少し下の方へ顔を俯かせると、いとも簡単に彼女の額に唇が触れてしまいそうになる。

頭の中の邪念を幾度となく振り払うと、ジュードは観念したように腕の中の冷えた体を温め続けた。


「僕も同じだよ」

「…同じ?」

「そう。いくら長く傍にいるからって、何でもわかるわけじゃない。言ってくれないと不安になる時だってあるよ」

「…」

「頼って欲しいな。出来る事なら力になるし、すぐに解決できない事でも一緒に考えることは出来るから」


距離が近いせいでお互いの表情は見えない。

しばらく黙り込み何か考えていたらしいは、自分なりに彼の言葉をかみ砕いていたようで、素直にこくりと頷いた。

まだほんの少し湿り気を持つ亜麻色の髪がこすれる。

ジュードは彼女の頭に頬を寄せるようにして頷き返し、彼女へと気持ちを返した。


「どうして雨の中こんなところにいたの?」

「…」

「言いたくない?」


静かに、穏やかに言う声。

でもぴったりとくっついているおかげか聞き落とすことなく一語一句しっかりと耳に残る。

はゆっくり首を横に振って応える。


「探し物をしてたの」

「探し物?」

「ハートハーブ。この辺に稀に生えていることがあるって教えてもらったから」

「ハートハーブって…」


学生時代に講義の中で出てきたハーブの名称を思い出し思わず「あ」と声をあげる。

芋づる式にその植物の効能を呼び起こすと、すべてが合致した思考で改めて胸をなでおろした。


「確か、鎮痛作用のある希少なハーブだよね」

「…。私も小さい頃両親に摘んできてもらったことがあったから。少しでも痛みが和らげばいいなって」

「それでミラの為に?」

「少し探して見つからなかったら諦めるつもりだったんだけど…」


ごめんなさい、と消え入りそうな声で腕の中の彼女は言う。

仲間思いの彼女の事だ。

あと少し、もう少しだけ、なんて行ってこの薄暗い森の中を一人で探し回っていたのだろう。

自分のことなんてそっちのけで誰かのために一生懸命になれるところは彼女らしいといえば彼女らしい。

仲間は自分のことをお節介だの世話やきだの言うが、彼女も大概だ。

似た者同士なんだろうと思う。


「じゃあ雨が上がったら、一緒に探そうか」

「…いいの?」

「帰り道に少しだけだよ?きっとみんなも心配してるだろうし、ここでが風邪でも引いたらミラが気に病む。そしたら本末転倒でしょ」

「ありがとう、ジュード君」


彼女の頬に桃色が指す。

体温が解けていって彼女の方に流れていくようだ。

血管に温かいものが流れて指先足先まで満ちていく。

肌と肌が触れ、お互いの体温を感じながら静かに雨が通り過ぎるのを待つ時間が心地よかった。


「雨、やまないね」

「そうだね」

「…ジュード君は雨、やんでほしい?」


心拍数で嘘は付けないこの状況。

ジュードは観念したように笑って「さあ、どうかな?」と答えた。














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